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:3代目ドラえもん。1979年~2005年3月まで担当。藤子先生は初回アフレコ後に、大山に対して「ああ、ドラえもんの声ってこういう声だったんですね」と最大級の賛辞を送っていた。
 
:3代目ドラえもん。1979年~2005年3月まで担当。藤子先生は初回アフレコ後に、大山に対して「ああ、ドラえもんの声ってこういう声だったんですね」と最大級の賛辞を送っていた。
 
;富田耕生
 
;富田耕生
:初代ドラえもん。1973年に日本テレビ系で製作された旧シリーズで1クールだけ声優を担当していた。これは当時の制作スタッフがドラえもんに対して「世話好きなおじさん」というイメージを持っていたため氏が起用されたとされている。実際にひみつ道具を出す時には「あ~らよっ」というオジさんくさいかけ声をかけていたという。<br />
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:初代ドラえもん。1973年に日本テレビ系で製作された旧シリーズで1クールだけ声優を担当していた。これは当時の制作スタッフがドラえもんに対して「世話好きなおじさん」というイメージを持っていたため氏が起用されたとされている。実際にひみつ道具を出す時には「あ~らよっ」というオジさんくさいかけ声をかけていたという。
番組自体は日曜日の夜7時に放映されていたが裏番組の『マジンガーZ』や『アップダウンクイズ』などの人気番組に比べて地味だったためか視聴率では苦戦(6%前後だったとされている)。<br />
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:番組自体は日曜日の夜7時に放映されていたが裏番組の『マジンガーZ』や『アップダウンクイズ』などの人気番組に比べて地味だったためか視聴率では苦戦(6%前後だったとされている)。
このためテコ入れで設定を一部変え、原作にはあまり登場しなかったアヒル型ロボット「ガチャ子」を登場させドタバタコメディ色を強めて巻き返しを図ったほか、イメージに合わないという苦情が来たドラえもんの声を野沢雅子に交代したそうであるが、制作会社の解散などの要因も重なりわずか2クールで打ち切りとなっている。<br />
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:このためテコ入れで設定を一部変え、原作にはあまり登場しなかったアヒル型ロボット「ガチャ子」を登場させドタバタコメディ色を強めて巻き返しを図ったほか、イメージに合わないという苦情が来たドラえもんの声を野沢雅子に交代したそうであるが、制作会社の解散などの要因も重なりわずか2クールで打ち切りとなっている。
制作会社は作品素材が保存できなくなった理由から、一部を残してセル画や台本等をスタッフが断腸の思いで焼却処分したとされており、もはや幻の作品となっている。<br />
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:制作会社は作品素材が保存できなくなった理由から、一部を残してセル画や台本等をスタッフが断腸の思いで焼却処分したとされており、もはや幻の作品となっている。
藤子先生もアニメ版の設定改変などにおいては不満があったらしく「ガチャ子を出したのは失敗だった」と後にインタビューで答えており、原作者と製作側の双方にとって'''黒歴史'''といえる作品。<br />
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:藤子先生もアニメ版の設定改変などにおいては不満があったらしく「ガチャ子を出したのは失敗だった」と後にインタビューで答えており、原作者と製作側の双方にとって'''黒歴史'''といえる作品。
なお、富田氏は2009年「第3回声優アワード」で功労賞を受賞した。
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:なお、富田氏は2009年「第3回声優アワード」で功労賞を受賞した。
    
====バイオハザード→スイートホーム→アローンインザダーク→悪霊の館(ゲームウォッチ)→宝塚ファミリーランドのお化け屋敷====
 
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