華原朋美

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華原朋美(かはら ともみ)[編集]

~本名 ~生年月日 ~出身地 ~職業
CENTER:下河原 朋美&Br;しもがわら ともみ 1974年8月17日 東京都江東区 歌手、タレント

略歴・人物像[編集]

出生~下積み時代まで[編集]

東京都江東区亀戸で生まれ、千葉県浦安市で育つ。昭和学院小学校→松蔭中学校・高校卒。 3歳頃「あれに乗りたい!」の一言で始めた趣味の乗馬は、高校3年生の時に国体で4位という成績を修めた。また、将棋の級(日本将棋連盟ジュニアクラス1級・一般クラス3級)も持っており、NHK衛星第2テレビの将棋特番で司会も務めていた。
二代目黒ブタシスターズのひとり。かつては、遠峯ありさや三浦彩香などの芸名で、グラビアアイドルタレントとして活動していた。


小室哲哉プロデュースとして大ブレイク[編集]

小室哲哉に見出され1995年6月、華原朋美に改名(改名は本名をもじって小室哲哉のイニシャルと同じT. Kにする意図だった)。同年9月、シングル「keep yourself alive」で歌手デビュー。セカンドシングル「I BELIEVE」で新人賞を総なめにした。サードシングル「I'm proud」も続いてミリオンセラーとなり、一躍トップアーティストの仲間入りを果たす。
雑誌『JUNON』で“なりたい顔1位”にも選出されるなど同性受けもよく、ブランドスーツ・ワンピースを着こなすファッションも支持されていた。以降もJT「桃の天然水」のCMに出演し年間1,600万ケースを売り上げる、テレビ番組で牛丼好きを告白し若い女性の牛丼ブームを起こすなどカリスマティックな人気を集めた。


1996年頃、当時華原をプロデュースしていた小室哲哉と交際。ダウンタウンの浜田雅功に「ラブラブ光線が出てる」といわしめるほどの熱愛振りだった。

小室哲哉と破局…休養[編集]

1998年末ごろに小室とは破局を迎えたらしく、3年連続出場となる1998年『第49回NHK紅白歌合戦』では、小室プロデュース最後のシングル曲「daily news」を小室のバック演奏なしで歌唱した。
その後は、事務所を移籍し活動。破局により精神的に不安定になることもありたびたび休養するなど健康不安説が囁かれる。翌2000年に休養に入る。


華麗に復活[編集]

休養中にテレビ番組「進ぬ!電波少年」から全米デビュー企画のオファーを受け出演。翌8月から全米デビュー企画がスタート。半年あまりの下積み?生活の末、セリーヌ・ディオンやダイアナ・キングなどを手がけるアンディ・マーベル(Andy Marvel)プロデュースのオーディションに合格し、全米デビューへの切符を掴む。2001年2月、日本へ帰国し凱旋ライブを開催。
2001年4月の復帰シングル「Never Say Never」はオリコン初登場10位、出荷15万枚のスマッシュヒットとなる。以降エッセイ集の発売、初の単独ツアー、レギュラーラジオ番組出演、雑誌の連載に加え本格的にバラエティ番組への出演など華麗に復活した。2003年にはアニメ『クレヨンしんちゃん』の主題歌を担当、自身がモチーフのアイドル歌手・トモちゃん役で声優にも挑戦している。 以降もCMに出演、ミュージカルデビュー、写真集の発売、パチンコ機『CR華原朋美とみなしごハッチ』出演など多種多様なジャンルに果敢に挑戦。ミュージカル女優としての活動を本格化させ、完全復活したかに見えた…。


また休養[編集]

しかし精神的に不安定な状態が解消せず、2007年には年明けから4月いっぱいまで自宅療養し、3度目の休養に入る。同年6月29日、所属事務所から専属契約の解除を発表。以降、事実上の引退状態にある。


2009年1月17日、医師から処方された精神安定剤の大量服用による急性薬物中毒で病院に搬送されたと報道された。これは元恋人の小室氏の逮捕報道のショックで精神が不安定だったためとも言われている。

久米田康治との関連[編集]

さよなら絶望先生 作中にて[編集]

小室哲哉と熱愛→破局に関するネタが作品初期のころにあった。
華原の休養後はメディア露出がなくなり、作品中で取り上げられることもなくなっていた。しかし2009年、上記急性薬物中毒のニュースを受けて168話にて約1年半ぶりに作品内に登場している。