落語

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落語(らくご)[編集]

概要[編集]

落語について[編集]

落語家について[編集]

落語家は師匠に入門する事から始まり、まずは着物の着方・畳み方から寄席でのしきたりなどを学びつつ入門者の素質を計る「前座見習い」の期間があります。短ければ1カ月せず、長ければ1年間、入門した師匠の裁量によって見習いとして師匠に付いた後ようやく「前座」となります。「前座噺」という短く軽い、そして落語の動作の基本の入った噺を覚えたり、寄席の楽屋に入り一番太鼓や出囃子(落語家が高座に上がる時のテーマ曲)の演奏補助、楽屋に入った真打の師匠達の小間使い、寄席が無い時は師匠についてお世話をしたりします。またこの期間は規制が多く、喫煙・飲酒・落語会の開催・メディアへの自主判断での出演などが許されていない。この様な感じで3年半~4年半を前座として過ごします。

前座から「二つ目」に昇進すると師匠のお付きや寄席での労働から解放されますがその分自分で落語会を開いたり、師匠方の落語会に出させて貰ったりしなければならず一転して能動的に動かなければならなくなります。しかしなりたての頃は知名度も乏しく、落語会ひとつ開くのも苦労するようですし単価も安いのですが、昇進の記念品として手ぬぐいを配るしきたりがあるので数百本単位で注文したり衣装の着物も自分で仕立てなければならず、また後輩には奢る事が半ば義務化されているので前座時代よりも喰えなくなると言われています。また前座から二つ目までのうちに師匠が亡くなってしまうと、他の師匠の門下へと移籍しなければいけない規定になっています(真打の弟子はそのまま)。二つ目は平均的に10年程と言われます。

入門から約14年してようやく一人前の「真打」となります。ここでようやく落語家のステータスである「黒紋付羽織」の着用が許されます。人様からも「師匠」と呼ばれる立場になり、弟子も取れるようになりますし寄席のメインである「主任」(しゅにん、符丁では「トリ」と言う)も務める事が出来る。(これについては過去に特例があり、林家三平と三遊亭圓歌が二つ目ながら大人気に押され務めた事がある)

ちなみに以上は落語協会・落語芸術協会でのおおまかな基準である。東京には他にも立川談志が創設した「落語立川流」、三遊亭圓生が創設し五代目圓楽が育てた「五代目圓楽一門会」の2団体がある。この2団体は共に落語協会から派生し、真打の昇進基準が原因で脱会している為、独自の昇進基準がある。

落語立川流は基準を公開しており、前座から二つ目の昇進には落語五十席と都々逸・長唄・かっぽれ等の歌舞音曲の修得、二つ目から真打には落語百席と歌舞音曲の修得が必須であった。これらを覚えて立川談志の目の前で演じ、彼を納得させれば理論上は入門したその日に真打に昇進する事も出来た。彼の死後は現在合議制に移行しており、二つ目昇進には上記の条件以前に前座修行3年が必須条項として追加されている為、即日昇進は出来なくなっている。また談志存命中は入門時に10万円、見習・前座・二つ目は毎月2万円、真打は上納金額総額270万円に到達するまで毎月4万円の「上納金制度」が存在していた。

五代目圓楽一門会は六代目三遊亭圓生が発足させた「三遊協会」を元にした組織。圓生の死後総領弟子(弟子のトップ)である五代目三遊亭圓楽が運営した組織で彼とその弟子による団体である。談志が昇進の基準を厳しくした反面、こちらはやや優しいようで前座は3年半~4年程、真打には合計で10年程で昇進出来るようである。しかし現在在籍する殆どの落語家が真打となっており、真打が35人に対して二つ目は7人、前座は3人(うち一人は元芸人・末高斗夢で高座名・こうもり)と高齢化が進んでいる。

尚立川流・圓楽一門会共に前座時代から勉強会(落語会)の開催が許されている。

久米田康治作品との関係[編集]

さよなら絶望先生にて[編集]

112話『大導寺信輔の音声』にて久藤准が落語を披露している

じょしらくにて[編集]

じょしらくとは、女子落語(家)の事。

ただ、じょしらくといいながら、作中で落語を演じて いる場面がほぼ無く、楽屋内で主役5人が会話しているだけの密室劇となっている。 詳しくはじょしらく参照