234話『放射後のロックンロール・パーティ』

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233話『四十日と四十夜のアリバイ』235話『初手に告げるなかれ』

234話『放射後のロックンロール・パーティ』(ほうしゃごのろっくんろーる・ぱーてぃ)[編集]

タイトルは市川陽の小説『放課後のロックンロール・パーティ』より。

作品情報[編集]

2010年8月25日発売、週刊少年マガジン39号に掲載。

欄外(雑誌掲載時のみ)[編集]

もうすぐ夏休みも終わりだというのに‥[編集]

P48(単行本追加ページ)[編集]

扉絵[編集]

上半分が浮き輪をくぐらせている海水パンツ姿、下半分がタイヤをくぐらせているコート姿の糸色交

P49[編集]

P50[編集]

4コマ目[編集]

糸色望「放射冷却ですね」[編集]

放射冷却は、夜間に地表面が赤外線を放射するために熱が奪われ、地表面近くの気温が下がる気象現象[1]のこと。
日本では冬季を中心に、夜間の天候が良く晴れて風が弱い時の太平洋側で観察されることが多い。
後ろに描かれているイラストの通り、放射冷却は晴れていると宇宙空間に赤外線が放射されるため発生するが、曇っているときには雲自身が地面の発した赤外線を吸収するため放射冷却はみられない[2]。また風が強いと上空の暖気が地表に流れるため放射冷却が発生しても気温が低下しにくい[3]。なお、冬季にこの現象がみられるのは、大気中の水蒸気が少ないために放射が宇宙空間に達しやすいためである。

P51[編集]

1コマ目[編集]

張り紙「まが屋 OPE 夏」[編集]

P54 2コマ目参照。

P52[編集]

2コマ目[編集]

電柱広告「が屋 夏季営業」[編集]

P54 2コマ目参照。

3コマ目[編集]

ファン男性「男・・・・ 男としゃべっている」[編集]

アイドルやグループユニットのメンバーの過激なファンの中には、そのメンバーが交際していたことを知るや、掌を返してアンチ活動をする者が非常に多い。
こういった過激なファンは昔から存在しており、古くは美空ひばりが嫉妬に狂うファンから硫酸をかけられた事件が起きたり、1980年代にも松田聖子がコンサート中に過激なファンに暴力を受ける事件も発生しているほか、手紙に剃刀の刃を仕込んだり妨害活動を行ったりする事例が見られていた。
インターネットが普及した90年代末からは、ネットの掲示板で殺害予告をするなどの迷惑行為をする事例が多くなってきている。

2010年8月には、声優の平野綾がフジテレビ系列の番組「グータンヌーボ」に出演して過去の恋愛話をしたところ、2ちゃんねるなどの掲示板で一部の過激なファンが「裏切られた」など怒り、果てには殺害予告まで書き込まれるなど騒然とした状態になったりしている。

4コマ目[編集]

パソコン画面[編集]

サーモグラフィと思われる。

P53[編集]

1コマ目[編集]

掲示板[編集]

2ちゃんねる風の掲示板。

ハンドルネーム「名無し中!」[編集]

実在の2ちゃんねるには、「名無し中!」というハンドルネームは存在しない。

5コマ目[編集]

ヘルメット「革」[編集]

60年代の学生運動(全共闘)の武装。ヘルメットに所属党名やスローガンが書かれている。
なお、革マル派の正面に「Z」の文字を書いたヘルメットが有名であるが、ヘルメット側面には「マル」と書かれていた。

6,7コマ目[編集]

[[常月まとい「論破され極端に左寄りの思想から 極端に右寄りの思想になったり」<br /]]「ああ・・いますよね新聞社とかに」[編集]

以前は日本共産党員もしくは支持者でありながら、現在は右翼的論陣を張っている人物の枚挙に暇がないが、ここでは渡辺恒雄(読売新聞グループ会長)のことを指していると思われる。
渡辺は、現在でこそ読売新聞の主筆として保守的な論陣を張る中道右派ではあるが、戦後まもなくの頃には、天皇制への嫌悪から日本共産党に入党していた。

逆に、朝日新聞は戦前から戦中にかけては、極右の筆頭とも言える程に日本軍にベッタリな内容だったが、戦後は一転して左翼的な立場へと転向している。
一方で左派の代表格的存在の日本共産党も、戦後まもなくの昭和21年6月に党独自の「日本人民共和国憲法草案」を発表し[4]、日本国憲法9条の論議において「自衛権放棄の空論」と厳しく批判[5]していたのがいつの間にやら護憲の権化に転じているが、この変節および「日本人民共和国憲法」についての公式な説明は特にない。

補足的ではあるが、左翼(左派)は革新主義を、右翼(右派)は保守主義を表しており、近代では左翼は共産主義・社会主義、右翼は資本主義・自由主義に対比させられていた。
しかし、これらはあくまで相対的なものであり、時代・国家・立場・信条などで見解の相違が生じてしまう。そこで現在では、経済的自由(右翼・保守)と個人的自由(左翼・リベラル)を複数軸にして指標化したノーラン・チャートなどによる分類がなされている。


6コマ目[編集]

看板「喫茶 彩冷え」[編集]

ロックバンドの「&ruby(アヤビエ){彩冷える};」のこと。
2010年8月に、メンバーがボーカルを残して全員脱退したニュースがYahoo!のトップページに掲載される形で報道された。しかし、トップニュースに報じられた割にはメジャーデビューから日が浅く世間の知名度が低かったことやグループ名が難読であったこと、ボーカルの葵だけを残し他のメンバー4人がトラブルがあったことを含ませるコメントを残しバンドを脱退するというインパクトなどから、かえって話題となった。

ちなみに葵は、柏木志保と不倫していた中村イネ改めshotaのデビューCD『シンデレラ・サマー feat.初音ミク』に曲を提供している。

8コマ目[編集]

常月まとい「悪の限りを尽くしたヤンキーが教師を目指してみたり」[編集]

週刊少年マガジン連載の藤沢とおるの漫画『GTO』の主人公である鬼塚英吉のこと。
漫画『湘南純愛組!』では暴走族のリーダーとして鳴らしていたが、『GTO』では元ヤンキーの熱血教師として生徒達からの信頼を得ていく。


現実の世界では、&ruby(よしいえひろゆき){義家弘介};氏が有名。暴力事件を起こした問題児であったが紆余曲折の末、母校である北海道の北星学園余市高等学校の教師となったため、通称ヤンキー先生と呼ばれていた。2003年にはTBS系列で半生がドキュメンタリー『ヤンキー母校に帰る』として放送され、それを元にTVドラマ『ヤンキー母校に帰る』(TBS系列)が放映されている(主演は竹野内豊)。この年以降、義家は『不良少年の夢』『ヤンキー母校に生きる』など多数の著作を発表、『不良少年の夢』は映画化・ドラマ化された(主演は映画が松山ケンイチ、ドラマが櫻井翔)。現在は自民党所属の参議院議員に転進している。

9コマ目[編集]

常月まとい「最先端のデジタルライフを謳歌した反動で 何もない田舎暮らしを始めてみたり」[編集]

デジタルライフの反動というわけではないが、多忙を極めた指導者が田舎暮らしなど隠遁生活を送ることが時折みられる。
政治家では、細川護煕元首相が政界引退後に神奈川県湯河原町に茶室を設け、陶芸家や茶人としての活動をしている。スポーツ指導者としては、2010年5月に岡田武史サッカー日本代表監督(当時)がイギリスのサッカー誌のインタービューにおいて、[[ただしこの発言は、晴耕雨読(=悠々自適)の生活をしたいという意味で語っている。</ref>と答えている。なお、ワールドカップ南アフリカ大会後の身の振り方について尋ねられた際に「農家をしたい」<ref]]後に日本代表監督を退任したものの、日本サッカー協会の理事に就任し、文部科学省参与にも就任するなど多忙な日々は続きそうである。

10コマ目[編集]

常月まとい「祖国に忠誠を誓ったスパイが国に絶望し 敵国のスパイになってしまったり」[編集]

本作でも107話で、はスパイの嫌疑をかけられ、自暴自棄となり敵国のスパイになろうとしていた。

ただし、そうした変節を装った二重スパイの場合もあるので一概には分けられない。
二重スパイを主体的に扱った創作ではジョン・ル・カレの『寒い国から帰ってきたスパイ』が有名。理想主義を抱くスパイと、日和見主義的な二重スパイとの対立の中で、主人公は任務に翻弄され、精神をすり減らせていく物語。実際に諜報員として働いた経験もある作者は「個人の心情を圧殺し、その事自体をも正当化する思想への反発」として執筆したという。
日本に関わる二重スパイ事件としては「ラストヴォロフ事件」がある。
ソ連対外諜報部所属諜報員のユーリ・ラストヴォロフは第二次大戦終結後の1946年、連合国のソ連代表団の一員として東京に派遣された。終戦後にシベリアに抑留された元日本軍捕虜たちからソ連側の工作員になる人物を選抜する任務に就き、自身も駐日外交官として在日米軍の情報を得るため活動したが、逆に二重スパイの疑いをかけられる。折しも当時のソ連本国はスターリンと側近のラヴレンチー・ベリヤ[6]を中心にした粛清政治が横行していた。
1953年にスターリンが死去し、ベリヤも失脚したことで粛清の危機を察したラストヴォロフは翌年1月にソ連帰国寸前にアメリカに亡命した。ラストヴォロフの証言で配下の日本人工作員が36人いたことが明らかとなり、日本で逮捕者が出る事件となった。奇しくもこの日本人工作員であり、旧軍人で元抑留者[7]だった志位正二は復員後にGHQに就職しており、立場的には二重スパイでもあった。任務に疲れた志位はラストヴォロフの亡命直後に自首した[8]

11コマ目[編集]

常月まとい「&ruby(バブル){加熱経済};の反動で 失われた20年になってしまったり」[編集]

1989-90年を好景気の頂点とした「バブル景気」は、それが崩壊し不況として実感され始めた1993年頃からITバブルにより景気が回復傾向を示した2002年までが、特に「日本の失われた10年」と呼ばれている。ただし定義にばらつきがあり、バブル崩壊直後の1990年頃から、ITバブルが始まった1999年を「失われた10年」とする場合もある。
しかし、本格的に景気回復する前に2008年の世界同時不況によって再び景気が低迷していることから、現在も失われた期間はまだ続いているという見方もなされており、「失われた20年」とするべきではないかとの声もある。なおこの場合はまだ景気回復まで何年かかるか確定していないので暫定的な数字となり、今後この数字がさらに大きくなっていくことが懸念される。

P54[編集]

大草麻菜実の全身絵[編集]

千円札[編集]

1984年から2004年まで発行された千円札(日本銀行券千円紙幣D号券)。
表に夏目漱石の肖像画、裏に2羽の丹頂鶴が絵が描かれている。

1コマ目[編集]

缶詰「CA**AR」[編集]

キャビア(CAVIAR)の缶詰。
チョウザメの卵で、世界三大珍味の一つ。

2コマ目[編集]

看板「くまが屋」[編集]

埼玉県熊谷市のこと。
「日本一暑い町」として知られており、2007年8月16日には気象台観測では国内最高気温となる40.9℃を記録した[9]
熊谷市が暑い街となる理由としては、海風に乗り北上してくる東京都心のヒートアイランド現象により暖められた熱風と、フェーン現象によって暖められた秩父山地からの熱風が、一般的に日中の最高気温となる午後2時過ぎに同市の上空付近で交差するためだと考えられ「熱風の交差点」と呼ばれることもある。

追記:2013年8月12日に高知県四万十市で国内最高気温が41.0℃と0.1℃高く更新された。

掛け看板「冷 シャンプー」[編集]

山形県発祥の「冷やしシャンプー」。
理髪店でメントールを配合したシャンプーを冷蔵庫や氷で冷しておき、洗髪の際に使用するもの。店によってはかき氷を頭の上に載せ、シロップのようにシャンプーをかけて洗髪するところもある。
なお、急激かつ過度に頭部を冷やすと頭部の毛細血管にダメージを与える恐れがあるため、山形県の推進委員会は正しい「冷やしシャンプー」の普及に努めて、各地の理容団体対して講習を開いている。

冷やしシャンプーは2008年頃からテレビメディアで取り上げられ、全国的に知名度を上げた。現在では冷やしシャンプーを提供する理髪店は20を超える都府県に広まっている。また、クラシエから「冷シャンプー」が市販されている。
熊谷との関係は2009年に山形と埼玉県熊谷の理容団体が友好姉妹団体となり、熊谷でも冷やしシャンプーを用いた町おこしが行われている。これは、山形市で記録されていた国内最高気温記録(40.8度)を、熊谷市と岐阜県多治見市が2007年に40.9度を記録して塗り替えたことがきっかけとなっている。

7コマ目[編集]

[[日塔奈美「放射冷却で」<br /]]「それただのリバウンドですから」[編集]

昨年に続き、どうやら今年も奈美はダイエットに失敗したようである。

看板「カロリミット」
張り紙「リミッター解除」(単行本追加項目)
[編集]

ファンケルのボディシェイプサプリメント「カロリミット」のこと。
「リミッター解除」はあずまんが大王に登場する水原暦のエピソードからか? 水原暦も太りやすい体質で普段は節制を心がけていたが、修学旅行先の沖縄で夕食がバイキングだったため反動から自ら「リミッター解除」を宣言した。

P55[編集]

2,3,4コマ目[編集]

加賀愛「妙に気分が高揚する日があったと思ったら そのあと何日も激しく落ち込んでしまったり かと思ったらまた突然気分が高揚してテンション上がったり そのあとまた激しく落ち込んでみたり」[編集]

人間はつねに微弱な感情が変動しているため、日によって気分が異なるということは決しておかしなことではない。しかしこの感情の変動の振れ幅が極端に大きかったり、変動がある程度の期間にわたって持続することが原因で苦痛を感じたり日常生活に支障をきたす状態となると、躁鬱病と分類される。気分障害の一種であり、躁状態と鬱状態を繰り返すことから双極性障害と呼ばれる。

ちなみに「じょしらく」の暗落亭苦来も躁鬱気味な感じがあるので、中の人繋がりのネタなのかもしれない。

7コマ目[編集]

常月まとい「熱いほど冷めた時 逆ベクトル作用してしまうのです」[編集]

P56[編集]

1コマ目[編集]

糸色望「人間の放射冷却ですね」[編集]

熱愛から泥沼の告訴合戦[編集]

離婚の際に離婚の認定、慰謝料、親権、子どもの養育費、損害賠償などを求めて互いに訴訟を起こし、事態が泥沼化することも。

トーン使いまくりの絵柄が白と黒のみの絵柄に[編集]

久米田先生の自虐ネタか?
漫画家集団のCLAMPも2000年頃までトーン使いまくりであったのが、 その後はほとんど使用していないのでそのことかも。

0m地帯からスカイツリー[編集]

東京都墨田区に建設中の電波塔「東京スカイツリー」のこと。
建設地は東京低地の海抜0m地帯となっている。なお、本誌掲載時の2010年8月25日には塔体高さは428メートルに達している。

信心が冷めすぎて他教団に入信[編集]

カルト教団を脱会した信者が、別のカルト教団に再入会する事例は決して珍しくはないと言われる。
これは、教団側以上に、当の信者本人の人的素因が関わってくるため(体質的にカルトにはまりやすく、入信時の洗脳などの経験から、再洗脳を起こしやすいともいう)で、カルト教団を巡る問題が複雑化しやすいのはこの様な側面が否定できないためである。

ぺストを媒介する害獣から世界的マスコットキャラ[編集]

ネズミは病原体の媒介、建築物等を齧るなど鼠害を引き起こす害獣とされている。
ペストは、もとはネズミ目の動物(特にクマネズミ)に流行する伝染病で、ペスト菌に感染したネズミの血を吸ったノミを媒介して人間にも感染する。人類史で幾度も流行し「黒死病」として恐れられ、14世紀のヨーロッパを中心とする大流行ではヨーロッパで3000万人弱[10]、世界で8000万人強が命を落としている。
現在ではワクチンの開発や衛生面での向上により先進国での流行はなくなったが、発展途上国では現在でも小規模な流行を繰り返している。

今日では、ネズミはミッキーマウスのモデルとなるなど、キャラクターのモチーフとなることも多い(ただし、ミッキーの場合はウサギのオズワルド・ザ・ラッキーラビットが原型であり、権利問題で版権が配給元のユニヴァーサル・ピクチャーズに渡ったため、ウォルト・ディズニーは自社キャラとしてミッキーマウスを制作した[11]。)。
他にも、ジェリー(アニメ「トムとジェリー」)、トッポ・ジージョ(人形劇「トッポ・ジージョ」)などが代表的なネズミのキャラクターとして挙げられる。
ただし、こうしたモチーフとなるのは小型のネズミ(英語で「mouse」。種類はハツカネズミなど)で、害獣とされる大型のネズミ(英語で「rat」。種類はドブネズミ、クマネズミなど)とは区別されている。

宇宙飛行士から宗教家に[編集]

アポロ計画で月面に降り立ったジェームズ・アーウィン、チャールズ・デュークなどが有名。
ジェームズ・アーウィン(アポロ15号で月面着陸)は牧師となり、2度に渡ってノアの方舟探索のためアララト山に探検隊を率いて探索している。
チャールズ・デューク(アポロ16号で月面着陸)は妻と共に熱心なキリスト教徒となり、世界各地で講演を行い布教活動をしている。
また、宗教家というわけではないが、エドガー・ミッチェル(アポロ14号で月面着陸)は月面での経験から超常現象に傾倒して研究所を設立している。

オリンピックから投資家に[編集]

陸上競技の為末大選手のこと。
オリンピック出場経験を持つ現役のアスリートであり、著書を出版したことがある投資家でもある。154話でもネタにされた。

86やめて自転車に[編集]

1983年から1988年[12]までトヨタ自動車が発売した4代目カローラレビンとスプリンタートレノのこと。共通車両型式番号「AE86」から通称「ハチロク」と呼ばれる。
1990年代後半には、しげの秀一の漫画およびアニメ「&ruby(イニシャル){頭文字};D」に主人公の愛車として登場し、読者はもちろんのこと触発された走り屋たちに人気を博し、現在の中古車市場でも20年以上前に生産された車としては高値で取引されている。
なお、2009年にはトヨタが新型ライトウェイトFRスポーツカーとして「FT-86」というコンセプトカーを発表し、「ハチロク」の名前を継ぐ車として話題となっている。

球児からロン毛に[編集]

一般に、高校野球に出場する生徒は丸刈りであることが多い。

一説には、昔の球場にはシャワーなどの設備が無く、髪を伸ばしているのは不衛生であるということから丸刈りが広まり定着したとされている。

毛皮から全裸に[編集]

動物愛護団体「動物の倫理的扱いを求める人々の会」(通称:PETA)が行っている抗議活動のひとつ。
賛同者(特に賛同する著名人)がヌードや水着となり毛皮製品の不買運動の広告塔となっている。

ヤクザが神父に[編集]

該当者は何人かいるので、誰のことを指しているのか特定は難しいが、知名度からおそらくアーサー・ホーランド(日本名 岡田正之)と推測される。もっとも彼はいわゆる元ヤクザではなく、元チンピラである。
ヤクザ時代の格から言えば、基督聖協団西所沢教会の元牧師である、故中村謙三師が最も有名。戦後、六本木界隈で名を馳せた人物で、二枚重ねにしたドスで斬りつける為、斬られた相手は傷を縫い合わせることができないので、非常に怖れられた。

なお、「神父」はカトリック教会の司祭に対する尊称のため、上記の二人にあてはめるとすれば「ヤクザが牧師に」と言ったほうが適切であるかもしれない。

2コマ目[編集]

本「ハヤ」[編集]

本作品頻出の久米田先生の元アシスタントである畑健二郎の漫画「ハヤテのごとく!」。

4コマ目[編集]

読者「ヒナギクアンチになって あーたんファンになるわ」[編集]

どちらも『ハヤテのごとく!』の登場人物(サブ・ヒロイン)。
「ヒナギク」は桂ヒナギク、「あーたん」は天王州アテネの愛称。
どうやら作中で、この読者様にとって何らかのお気に召さない言動があったようである。


6コマ目[編集]

[[常月まとい「あるイミ逆ベクトルですけど」<br /]]「それじゃ作者はプラマイ0で損しないじゃないですか」[編集]

畑先生に対する久米田先生の本音でしょうか?
だが、本作品もそれに近い構造をしているような…

7コマ目[編集]

糸色望「これじゃホストの指名替えと一緒で店は困らないじゃないですか」[編集]

女性キャラクターなのでホストよりキャバ嬢のチェンジに例えた方が適切?

P57[編集]

4コマ目[編集]

ブログ「丸姫ブログ改めオトナリサイコーブログ」[編集]

隣の女子大生の芸名(?)「尾吐菜梨」。
「丸姫」は丸内翔子のAKaBane84ファンからの愛称。P52で登場したファンの男性がオトナリに鞍替したブログ。

P58[編集]

1コマ目[編集]

[[根津美子「昔の子供はミーちゃんを嫌いになったらケイちゃんを好きになるしかなかったと聞きます」<br /]]「レコード会社的に何の問題もありません」[編集]

70-80年代に活躍したミーとケイ[13]からなるアイドルデュオ「ピンク・レディー」のこと。

2コマ目[編集]

糸色望「対立候補を応援したところどっちが勝っても 大元の黒幕は同一人物だったり」[編集]

3コマ目[編集]

糸色望「出版社の違うマンガ雑誌に鞍替えしても 大元の株主は一緒だったり」[編集]

小学館集英社を中核企業とする一ツ橋グループのこと。
集英社小学館の娯楽出版部門が独立した会社で、現在も小学館が大株主となっている。

雑誌「S
雑誌「J
[編集]

小学館発行の「週刊少年サンデー」と集英社発行の「週刊少年ジャンプ」。

4コマ目[編集]

糸色望「アパート引っ越したら 同じ大家だったり」[編集]

5コマ目[編集]

糸色望「行きつけの店をライバル店に替えたら 同じ経営母体だったり」[編集]

外食産業ではスケールメリットを求めて、他のレストラン企業への出資や買収などが盛んに行われており、同じ企業グループが異なるブランドで店舗展開していることがしばしば見受けられる。
ファミリーレストランではすかいらーくグループ(ガスト、バーミヤン、ジョナサン、夢庵、藍屋、小僧寿しなど[14])、飲食店ではゼンショー(すき家、なか卯、ココス、ビッグボーイ、ジョリーパスタ、華屋与兵衛、サンデーサン、シカゴピザなど[15])やロイヤルホールディングス(ロイヤルホスト、てんや、シェーキーズ、シズラーなど)、居酒屋ではモンテローザ(白木屋、魚民、笑笑、千年の宴、月の宴など)あたりでしょうか。
ちなみに余談ではあるが、さよなら絶望放送死にるるぶなどで幾度か取り上げられている「池田屋跡のパチンコ屋跡の居酒屋」こと「はなの舞 (池田屋店)」も、チムニーを経営母体とする多角ブランド(他に団欒炎、こだわりやま、さかなや道場など)の一つである。

コマに描かれている男性はワタミ会長の渡邉美樹と思われる。ワタミも和民、和み亭など異なるブランドで事業展開している。

6コマ目[編集]

電柱広告「が屋」[編集]

P54 2コマ目参照。

看板「民」(単行本追加項目)[編集]

前出の「ワタミ」から。

P59[編集]

2コマ目[編集]

[[風浦可符香「あら千里ちゃんお久しぶり」<br /]]「姉さん帰ってきてて、忙しかったのよ。」[編集]

二週連続で出番なしであった千里が台詞にあるように久々の登場。
絶望少女達の中でも特に出番の多い千里の不在に、一部読者は動揺していたとか。

P60[編集]

欄外(雑誌掲載時のみ)[編集]

アシュラ男爵的な修羅場‥‥。[編集]

永井豪の作品「マジンガーZ」に登場する敵幹部で、正しいネーミングは「あしゅら男爵」。
Dr.ヘルが古代ミケーネ人の夫婦のミイラを組み合わせてサイボーグ化した幹部で、右半身が女、左半身が男という異形の姿をしている。

P61(単行本追加ページ)[編集]

義務キャラクター[編集]

今話の常月まとい[編集]

P51の3コマ目と全身絵[編集]

P52の4,5,7コマ目[編集]

P53の2,4~8コマ目[編集]

P54の4コマ目[編集]

P55の8コマ目[編集]

P56の1,6コマ目[編集]

P57の2,3コマ目[編集]

P58の6,9コマ目[編集]

今話のパンチラ[編集]

P60の5コマ目[編集]

今話の皇帝ペンギン[編集]

P50の2コマ目[編集]

今話のさのすけさのすこ[編集]

P54の7コマ目[編集]

今話の櫻井よしこ女史[編集]

P60の2コマ目[編集]

今話の天下り様[編集]

今話のコウノトリと赤ちゃん[編集]

P53の5コマ目[編集]

今話の棒犬[編集]

P55の2コマ目[編集]

今話の黒い涙[編集]

P57の風浦可符香の全身絵横[編集]

今話の麻生太郎氏[編集]

今話の安倍晋三氏[編集]

今話の石破茂氏[編集]

P57の2コマ目[編集]

今話のAAA[編集]

P52の1コマ目[編集]

今話のきよ彦[編集]

P58の8コマ目[編集]

今話の神シール[編集]

今話の闇の目[編集]

P59の2コマ目[編集]

今話の娘々[編集]

P57の風浦可符香の全身絵横[編集]

今話の面白シール[編集]

P54の2コマ目[編集]

今話の漫画界が平和でありますように[編集]

P57の4コマ目[編集]

今話のせんとくん[編集]

今話のイロイロ削られたナニか(・3・)[編集]

P57の2コマ目[編集]

今話の文化庁[編集]

今話の草彅剛[編集]

今話の酒井法子[編集]

P59の2コマ目[編集]

今話の友愛[編集]

今話のスキ魔[編集]

今話のハト[編集]

P55の2,7コマ目[編集]

かゆいところ[編集]

今話掲載のマガジンはAKB48が表紙を飾り、漫画『AKB49 ~恋愛禁止条例~』も連載開始。
この動きに合わせるかの如く作中でもAKB商法ネタが炸裂。
今回もお見事なタイミングです。

P51の5コマ目[編集]

ポスター[編集]

陸瑠羽子が「AKaBane84」のメンバーを続けている。

P60の5コマ目[編集]

白絶望先生と黒絶望先生[編集]

支持者が6対6と均等に分かれている。



しかしこの場面には常月まとい小森霧糸色倫根津美子丸内翔子が見当たらない。彼女たちはどちらを支持するのか?


234話『放射後のロックンロール・パーティ』~
233話『四十日と四十夜のアリバイ』235話『初手に告げるなかれ』

コメント欄[編集]

こちらへどうぞ http://kumetan.net/test/read.cgi/wikibbs/1282662560/l50

  1. 本来「放射冷却」とは、物体が放射する電磁波によりその物体が熱を奪われる現象を指す言葉だが、日常では主に気象用語として使われている。
  2. この保温作用を毛布効果と呼ぶ。
  3. 放射冷却の時は上空よりも地面の方が低温となる逆転層が発生しやすいため。
  4. 草案では侵略戦争の不支持不参加は明文化されているが、軍備保持や自衛権行使、国防政策の方向性については明確な規定がされていない。なお、天皇制廃止は明確に述べている。
  5. 参考:昭和21年8月24日の衆議院本会議議事録より「(憲法9条案は)一個ノ空文ニ過ギナイ、(中略)我ガ国ノ自衛権ヲ抛棄シテ民族ノ独立ヲ危クスル危険ガアル、ソレ故ニ我ガ党ハ民族独立ノ為ニ此ノ憲法ニ反対シナケレバナラナイ。」
  6. ソ連国内の治安・諜報を統括するNVKD(内務人民委員部)議長。数多くの粛清や弾圧に関与したが、フルシチョフ一派との政争に破れ、「英国の諜報機関と結託したスパイ」として処刑された。
  7. 抑留中に諜報員になることを強要されたという。
  8. 具体的ないきさつは不明だが、志位正二の弟・明義は日本共産党に入党し、実子の志位和夫もまた日本共産党員である。ただし、明義の入党は正二が抑留中だった1946年とのことである。
  9. 同じ日に岐阜県多治見市でもアメダス観測所で同じく40.9℃を記録している。
  10. 当時の全ヨーロッパ人口の3割といわれる。
  11. ミッキーとの差別化のため、逆にオズワルドのキャラデザインを変更する必要に迫られるも人気は伸び悩み、長らく日陰の扱いとなっていた。オズワルドが正式にディズニーキャラとして復帰したのは諸権利がディズニー社に返還された2006年以降のことである。
  12. 海外仕様含む。日本は1987年まで。
  13. ミーの本名は根本美鶴代、ケイの本名は増田恵子(当時。現在は結婚しており増田は旧姓となる)。現在はミーは「未唯mie」名義で、ケイは「増田恵子」名義で活動中。
  14. すかいらーくブランドの店舗は2009年で営業を終了した。また、小僧寿司は2012年にグループ離脱。
  15. サンデーサンブランドの店舗は2008年で営業終了(運営企業として存続)、またシカゴピザは2011年にグループ離脱。