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3,125 バイト追加 、 2021年3月5日 (金) 09:33
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<!-- &tag(人物,男性芸能人,浜田省吾);<br /> -->

==浜田省吾(はまだ しょうご)==


{| class="wikitable"
|-
|~本名
|~生年月日
|~出身地
|~職業
|-
|
|1952年12月29日
|広島県竹原市
|シンガーソングライター
|}

===本人について===
1975年、愛奴のメンバー(ドラムス)としてプロ・デビュー。デビュー時からサングラスがトレードマーク。<br />
少年期にビートルズを聞いて音楽に強く惹かれ、姉のギターで演奏するようになったのが音楽体験のスタートだったという。神奈川大学法学部に入学したが学生運動で荒れていた大学に見切りをつけて中退し、広島の音楽仲間と共にバンド「愛奴」を結成するも70年代は不遇の時代にあり人気は伸び悩んだ。1976年に愛奴を脱退しソロ・デビューするも楽曲提供の仕事が中心で、音楽事務所の意向と自身の方向性との齟齬に悩む日々を送った。<br />
1979年に発表した『風を感じて』のヒットがきっかけで仕事が増えたが、テレビ番組の収録に要する拘束時間の多さに辟易し、後々までメディア露出が極端に少ない遠因となった。
80年代からは本格的なロックを発表するようになり、地道なライブ活動によって確実にファンを獲得。1982年には初の日本武道館コンサートを成功させ、以降シンガーソングライターとしての地位を不動のものとする。<br />

真摯な反骨精神を貫きつつも、力強さと細やかな情感に満ちている作風と人柄は業界内からも広く尊敬されている。楽曲提供の他にも2016年からはシンガーソングライターの中嶋ユキノのプロデュースを手掛けている。<br />
洋楽に大きな影響を受けた世代でありつつもロック=英語という既成概念に疑問をもち、日本語による歌詞や歌唱にこだわるミュージシャンのひとりでもある。この作風は、[[尾崎豊]]や福山雅治、桜井和寿ら後進のミュージシャンにも大きな影響を与えた。<br />

ちなみに少年時代は音楽に並んで漫画も好きで、自分で描いてみたこともあるという。高校時代には生徒会役員と新聞部をかけもちし、学生運動にも参加していた。<br />


===久米田康治との関連===
====さよなら絶望先生 作中====
浜田の代表作である『MONEY』(アルバム「Down by the Mainstreet」収録)がしばしば作中で引用される。<br />

純白のメルセデス プール付きのマンション
最高の女と ベッドでドン・ペリニヨン

[[第05話『シミと毒だし』|アニメ第05話]]で、[[45話『身のたけくらべ』|原作第45話]]で引用された『MONEY』の引用が期待されたが、残念ながら実現されなかった。
====じょしらく 作中====
[[三十六日目/芝居プロ]]にて『MONEY』歌詞が引用されている。

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