藤子不二雄A

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藤子不二雄A(ふじこ・ふじお・エー)[編集]

~本名 ~生年月日 ~出身地 ~職業
CENTER:安孫子 素雄&Br;あびこ もとお 1934年3月10日 富山県氷見市 漫画家

漫画家の安孫子素雄のペンネーム。なお、「A」の正確な表記は「Ⓐ」である。
コンビを組んでいた藤本弘と共に「藤子不二雄」の共同ペンネームで活動した後、1987年のコンビ解消表明を境に改名している。

略歴[編集]

小学生時代に高岡市に移り住み藤本氏と出会う。この時、藤本氏から絵の上手さを褒められたことをきっかけに一緒に漫画を描くようになる。
以後、藤本氏と共に漫画執筆に熱中する学生生活を送り、高校時代(1951年)に藤本氏と共に執筆した『天使の玉ちゃん』でデビュー。
高校卒業後は新聞社に勤務していたが、藤本氏に誘われ1954年に上京し作家活動を開始。
『忍者ハットリくん』『怪物くん』などの児童漫画の他にもゴルフ漫画の『プロゴルファー猿』や、犬を主人公にした『タカモリが走る』、大人向けショートギャグの『さすらいくん』、ブラックな作風で知られる『笑うせぇるすまん』シリーズや『魔太郎が来る!!』なども手がけており、執筆ジャンルは幅広い。藤本氏と比較するとメリハリが強くエキセントリックな作風が特徴的といえる。またエッセイなど文章でも高い評価を得ている。
共同ペンネーム時代については藤子不二雄の項目を参照されたい。


2008年、秋の叙勲で旭日小綬章を受章。
故郷の氷見市では名誉市民に認定され、JR城端線・氷見線では自らの漫画キャラを提供した「忍者ハットリくん列車」が走っている。

実家が寺だった生い立ちから肉や魚は殆ど食べない食生活を過ごしている。過去に手塚治虫に鰻を御馳走になった際、食べ慣れない物を食べた為、鼻血が止まらなくなったというエピソードが自書の作品で描かれている。

主な作品リスト[編集]

  • シルバークロス:1960年~1963年
  • くまんばち作戦:1962年
  • きえる快速車(原作:久米みのる):1968年
  • スリーZメン:1964年~1965年
  • わかとの:1964年
  • 不思議町怪奇通り:1964年
  • フータくん:1964年~1966年
  • 忍者ハットリくん:1964~1968年、1981~1988年
  • 怪物くん:1965年~1969年、1967年~1969年、1980~1982年
  • 笑ゥせぇるすまんシリーズ:1968~1971年、1990~1995年、1996~2000年
  • ビリ犬:1969年
  • 仮面太郎:1969年~1970年
  • 狂人軍:1969年~1970年
  • 黒ベエ:1969年~1970年
  • 夢魔子:1970年
  • 劇画 毛沢東伝:1971年
  • マボロシ変太夫:1971年~1972年
  • 無名くん:1971年~1976年
  • 魔太郎がくる!!:1972~1975年
  • 添乗さん:1973年~1974年
  • さすらいくん:1973年~1981年
  • 愛ぬすびと:1973年
  • 愛たずねびと:1974年
  • プロゴルファー猿:1974~1980年、1982~1988年
  • オヤジ坊太郎:1975年~1976年
  • ミス・ドラキュラ:1975年~1980年
  • シャドウ商会変奇郎:1976年~1977年
  • まんが道:1977~1982年
  • 少年時代:1978~1979年(柏原兵三原作・作画)
  • ウルトラB:1984~1989年
  • プロジェクトPOS:1988年
  • タカモリが走る:1988年~1991年
  • パラソルヘンべえ:1989~1991年
  • SUDDEN DEATH -サドンデス-(シナリオ:中川一省):1991年~1992年
  • プリンスデモキン:1991年~2000年
  • 憂夢:1992年~1995年
  • ワールド漂流記:1993年~1995年
  • 切人がきた!!:1994年~1996年
  • 愛…しりそめし頃に…:1997年~
  • 劇画・用心棒:1998年
  • ホアー!! 小池さん:1998年~2001年
  • SARU -サル-:1999年~
  • PARマンの情熱的な日々:2007年~

久米田康治との関連[編集]

久米田康治との関係[編集]

久米田先生は藤子作品のファンであり、自作品の中でも度々ネタに活用している。
また「漫画家・久米田康治がペンネームであり、作品は久本康米田治の合作である」という設定の元ネタも「コンビネーム藤子不二雄」を強く意識したものになっているが、米田治のモデルが藤子不二雄Aである。ずんぐり体型で眼鏡をかけた自画像からも米田のモデルになった原像が伺える。おそらく久米田先生がイメージする「過激でマニアックな漫画家」なのではないだろうか。