ダルビッシュ有

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ダルビッシュ有(ダルビッシュゆう)[編集]

フルネーム 生年月日 出身地 職業
ダルビッシュ・セファット・ファリード・有 1986年8月16日 大阪府羽曳野市 プロ野球選手


サンディエゴ・パドレスに所属するプロ野球選手。
ポジションは投手。
イラン人の父と日本人の母のハーフ。元夫人はタレントの紗栄子(旧芸名・サエコ)、現夫人は元格闘家の山本聖子。
実弟は俳優のKENTA(本名・ダルビッシュ賢太)。

略歴[編集]

プロ入りまで 高校球児時代[編集]

小学2年生から野球をはじめる。エース投手として少年野球チームを世界大会3位に導く実力を見せ付けて、宮城県にある東北高等学校に進学。
1年生の頃から195cmの長身から繰り出す150km/h近くの速球を武器に、第85回全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)の準優勝投手に勝ちあがった。[1]
生涯4度の甲子園出場の経験を持ち、第76回選抜高校野球大会(春の甲子園)では熊本工業高相手にノーヒットノーランを記録した。

日本球界での活躍[編集]

2005年のドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに指名され入団。
右ひざ関節炎の影響で出遅れ、更に喫煙をスクープ[2]され謹慎処分を受けるも、調整を経て一軍昇格。この年の6月15日に行われた交流戦の広島東洋カープ戦で一軍初先発を初勝利で飾った。
その後頭角を現し、2006年には個人10連勝を飾りチームの優勝に貢献する。
2007年には最多奪三振を獲得し、ベストナインとパ・リーグMVPに選出。さらに沢村賞やゴールデングローブ賞なども獲得した。
2008年も沢村賞の受賞規準を全項目を満たす好成績を収めるも、東北楽天ゴールデンイーグルス(当時)の岩隈久志投手との勝利数の差から惜しくも受賞を逃した。2年連続でゴールデングローブ賞受賞。
2009年は後半戦で故障に苦しむも、前半戦の成績から最優秀投手(最高勝率)・防御率第1位を獲得し、ベストナインとパ・リーグMVPに選出される。
2010年は打線の援護に恵まれず勝利を落とす場面もあったが、最多奪三振・防御率第1位を獲得。
2011年は3度目の最多奪三振を獲得。沢村賞の受賞規準も全項目を満たすが、成績で上回っていた楽天の田中将大投手が受賞。史上始めて、2度も沢村賞の規準を全項目満たしながら受賞できないという事態が発生した。

北京オリンピック・WBCのエース[編集]

2008年、当時野球日本代表の監督だった星野仙一からダルビッシュをエースに指名。しかし予選リーグでは初戦キューバ戦のマウンドを託されたが、4回0/3を投げて4失点と打ち込まれ敗戦投手に。この1戦で星野監督の信頼を失い、予定されていたメダルのかかる決勝トーナメント準決勝の先発も剥奪され、敗戦処理投手として登板させられた。
2009年にはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、日本代表の原辰徳監督に松坂大輔や岩隈久志と並ぶ三本柱の投手に指名。日本代表の初戦である中国戦に先発投手として出場し、4回を無安打無失点に抑え勝利投手。更に韓国との決勝戦でリリーフに回るも勝利投手となり、ここでは原監督の信頼を得ている。

メジャーリーグ移籍[編集]

2011年12月8日の公式ブログでポスティングシステムを利用しメジャーリーグ挑戦を表明。
12月20日にテキサス・レンジャーズが約5170万(日本円換算で約40億円)で入札。翌年の2012年1月19日[3]に6年契約6000万ドル(日本円換算で約46億2000万円)で合意・移籍した。
入札金と年俸の総額約1億1170万ドル(約86億円)は、2007年に松坂大輔がボストン・レッドソックスに移籍した時の入札金約5111万ドルと6年契約5200万ドルの合計約1億310ドル[4]を上回る日本人最高額のメジャー移籍となっている。
なお、レンジャーズとの契約発表と同日に、夫人だった紗栄子との離婚が発表されている。
2012年にはメジャー日本人投手史上最多の16勝、2013年にはシーズン最多奪三振を記録するなど実績を上げるも、2014年は故障者リスト入りが頻発、2015年シーズン前に右肘側副靱帯損傷が発覚、トミー・ジョン手術[5]を受けたことにより長期離脱することとなる。
2014年に山本聖子との事実婚が発覚、2016年に入籍している。
2016年5月に復帰、長いイニングは投げなかったものの7勝5敗とし、2017年には100球超えの投球を連続でこなすなど、完全復活を果たした。同年7月31日にロサンゼルス・ドジャースに電撃トレード[6]。ドジャースのワールドシリーズ進出に貢献したものの、ワールドシリーズでは2戦に先発しどちらも大量失点で敗戦投手となった。
2018年からはFAによりシカゴカブスに6年契約で移籍。しかし、シーズン途中で右肘を故障し、長期離脱となった。しかし2020年には日本人初の7連勝や最多勝を獲得などの活躍で、ベストナインにあたるオールMLBに選出された。
2021年からは、トレードによりサンディエゴ・パドレスに移籍。開幕投手を務めた。

久米田康治との関連[編集]

さよなら絶望先生作品中[編集]

未成年時の素行として、2話で高校時代のパチンコ屋での喫煙、73話でフライデー(週刊誌)ネタ、83話で日本ハム入団後の喫煙問題がネタにされた。
また、154話ではマルチな才能を持つ例として取り上げられたり、173話では名前の「有」とかけて有限会社の看板としてネタにされた。
野球のプレースタイルとしては、242話で試合開始時の立ち上がりの不安定さが取り上げられている。

サエコ夫人関連のネタは、2007年8月の結婚報道及びヒーローインタビューで結婚報告した直後に106話で取り上げられ、2010年11月に離婚協議が報道された直後に242話で取り上げられた。


  1. 決勝戦で茨城県代表の常総学院高校に敗れた。
  2. 高校生時代に続き2度目。
  3. 現地時間は2012年1月18日。
  4. 当時の為替レートが違うため、日本円に換算した場合では約121億円と松坂投手のほうが高くなる。
  5. 体の別の箇所から正常な腱を移植する手術。リハビリに最低7ヶ月、実戦復帰に最低1年、元通りの球を投げられるようになるのに1年半かかる為、1~2シーズン試合に出られない。
  6. メジャーでは、ポストシーズン争いから脱落したチームは、翌シーズンに向けたチーム再編をシーズン途中から開始する。FA権を所有する主力選手はシーズン後に離脱する可能性があり、戦力として計算しにくい為、ポストシーズンの可能性があり戦力を強化したいチームにトレードに出し、戦力として計算しやすい若手選手を獲得する慣習がある。ダルビッシュのトレードはこの慣習によるもの。