ブラック・ジャック

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ブラック・ジャック(BLACK JACK)[編集]

手塚治虫原作の漫画。また、その作品の主人公。
1973年(昭和48)11月19日号から1983年(昭和58)10月14日号にかけて『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)に連載。
のちにアニメ化されたほか、実写ドラマ、ラジオドラマ、朗読劇、宝塚歌劇、新作狂言、オペラでも発表されている。

ストーリー[編集]

無免許だが天才的な技術を持つ外科医[1]、ブラック・ジャック(本名:間 黒男)が法外な料金を請求した上で、様々な怪我や難病に立ち向かい、治療してゆく物語。

沿革[編集]

デビュー以来、手塚は得意とするヒューマニズムとスペクタクル性の強い作品を得意とし多く描いていたが、スポ根やラブコメなど少年誌で需要の高いジャンルは全くの不得手な上、1960年代後半から台頭してきた「劇画」がハードな作風を多く引き受けるようになり、ジャンルの棲み分けが進んだことで手塚の作家性が発揮しにくい状況にあった。
さらに編集側も商業的にはリスクが高い大作よりも短編を期待するようになった方向性ともかみ合わず、営業面でもスランプ状態に陥っていた。さらに1973年には虫プロ商事と虫プロダクションが倒産。自他共に認める崖っぷちの様相だった。
当時の秋田書店の担当が、手塚が旧制の医学専門学校卒業であったことから医療をネタにしてはどうかと進言(手塚もこれ以前に小学館で『きりひと讃歌』を描いている)、暗に大家の花道としての隠れた意図もあったようであり[2]、手塚自身も最終作と覚悟して企画を持ち込む。かくして8話読み切りのミニシリーズとして企画連載されるも連載初期は下位続きだったが、次第に人気を得て長期連載となり、手塚の復活を印象づける作品となった。

作中に出てくる医学知識は手塚が医学を学んだ戦後間もなくの時期のもので、連載当時もすでに陳腐化していた物が多く、その考証や整合性のみならず、実際の患者や支援者団体からの抗議などで苦慮することも少なからず[3]、現在も単行本収録されていない「封印」扱いのエピソードも存在する[4]
しかし「治療代一億円がどうかしたか? 命の値段としては安すぎるがね」「わたしなら母親の値段は百億円つけたって安いもんだ」「分かったかい大先生、患者はね、いい人間ばっかりとは限らないんですぜ」「それでも私は治すんだ!自分が生きるために!」など、実際に解剖や臨床実習などを履修した者にしか書けないようなセリフ回しや、生命と人間の尊厳に深く切り込んだ大作作家ならではの重厚さこそがこの作品が今なお愛される理由だろう。[5]
医学的な考証で言えば、当時ビッグコミックオリジナルで連載されていた『夜光虫』(原作:柿沼宏 作画:篠原とおる)の方が上だが、後続の『ブラックジャックによろしく』『医龍』『ゴッドハンド輝』など「医療漫画」としてのジャンルを開拓し定着させた意義は大きい。

また、ブラック・ジャックの「反社会的立場にあるアウトサイダーでありながらも独自の正義感とプロフェッショナリズムを貫く」というキャラクター性は、その後の漫画界に多くのフォロワーを生んだ[6]

手塚亡き後もチャンピオン誌上では吉冨昭仁や山本賢治らによるリメイク作品が度々執筆されているほか、製作当時の様子を描いた実録漫画『ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜』(原作:宮崎克 作画:吉本浩二)や、BJの医学生時代を描いた前日譚『ヤング・ブラックジャック』(原作:田畑由秋、作画:大熊ゆうご 医療監修:後藤伸正)なども発表されており、なお高い人気を保ち続けている。

久米田康治との関連[編集]

さよなら絶望先生 作品内にて[編集]

保健室や糸色医院などにネタが登場。
小節あびるの左目に移植された角膜に、その提供者が断末魔の瞬間に見た光景の残像が映る、というネタはブラック・ジャックのエピソードからの拝借である[7]

かってに改蔵 作品内にて[編集]

第262話『処女崇拝?』にて、「医学会に背を向ける孤高の天才医師の話」の企画提案として登場する。

じょしらく作品内にて[編集]

四日目にて、予防接種の医療従事者優先ネタに登場。
四十八日目にて「スゴいけどカテゴリーエラー」ネタに登場。

アニメ『じょしらく』にて[編集]

第二席四日目のネタをコスプレで強化。
BD/DVD巻ノ四の特典CDの資格ネタに登場。

  1. 手塚が認識していた可能性は限りなく低いが、手塚と同年代で無免許医師だったアメリカ人のフェルディナンド・ウォルド・デマラ(1921~1982)のように医大に通った経験さえ無いまま軍医を騙り、医学書の知識だけで手術と治療を行った後に詐称がバレたが、いずれも的確な処置であったため1件の被害申告も出ることなく解雇だけの処分で済まされた実例もある。
  2. 当時週刊少年チャンピオンで執筆していた吾妻ひでおの著作によると、秋田書店の編集者たちは手塚の作家価値を完全に見限り、こき下ろしていたという。
  3. 手塚は単行本第18巻のあとがきで「東大医学部の学生の活動家グループがぼくに、「そんなでたらめを描くのなら漫画家をやめちまえ。」と、どなったことがあります。(中略)でたらめなことがかけない漫画なんてこの世にあるものでしょうか」と述べており、あくまで物語として割り切る認識を示している。
  4. ファンが封印エピソード10篇を収録し、少年チャンピオンコミックス全25巻に次ぐ非公式の「第26巻」として自作販売した例もあるが、著作権法違反で摘発されている。
  5. ジャンル的には「人間ドラマ」のカテゴリに区分される作品なのだが、初期のチャンピオンコミックスでは何故か「恐怖コミックス」と銘打たれ、一種のキワモノ作品的な扱いを受ける時期があった。
  6. 『ギャラリー・フェイク』『スーパードクターK』『ザ・シェフ』など
  7. この元エピソードは単独で実写映画化もされ、(1977年『瞳の中の訪問者』宍戸錠主演)。2004年のアニメ版でも(ストーリーの流れは多少異なるにせよ)放送された。