安倍晋三
安倍晋三(あべ しんぞう) CV:上田燿司[編集]
~生年月日 | ~出身地 | ~職業 |
1954年9月21日 | CENTER:東京都新宿区 本籍地:山口県大津郡油谷町[1] |
政治家 |
第90代、第96代内閣総理大臣。
自民党所属、成蹊大学法学部政治学科卒業。
母方の祖父に岸信介元首相、父に安倍晋太郎をもつ3世政治家[2]。
略歴[編集]
政界入り[編集]
小学校から大学まで成蹊学園で学び、卒業後海外留学を経て1979年に神戸製鋼に3年間就職。その後は父親である晋太郎の秘書を務め、晋太郎の死去から2年後の1993年の衆議院選挙で父の地盤を継ぎ当選。2000年に森喜朗内閣から内閣官房副長官として初入閣し、2003年には小泉純一郎の指名により自民党幹事長に抜擢。2005年の第3次小泉内閣で内閣官房長官に就任した。
ポスト小泉[編集]
小泉後継で争われた2006年の自民党総裁選にて第21代自由民主党総裁に選出、内閣総理大臣に就任。戦後生まれとしては初めての内閣総理大臣、52歳での首相就任も戦後最年少であった。
しかし、相次ぐ閣僚の不祥事や年金問題などで指導力不足が目立ち、「お友達内閣」と揶揄され支持率が低下。2007年夏の参議院議員選挙で歴史的惨敗を喫する。
その後内閣改造を断行し支持率回復を狙うが、2007年9月所信表明演説をした直後に突然の辞任。自身の健康悪化が原因とされる[3]が、所信表明演説をしながらの辞任は歴代にも前例が無く、これまた「無責任」「投げ出し」と非難されてしまう。
党内基盤が磐石ではないまま若くして首相に押し出されたため、辞任後はすっかり政治的影響力を失ってしまった。
その後の総裁選では、前年不出馬した福田康夫が当選し後継首相の座に就いている(1年後に辞任)。
政権奪還[編集]
野党転落から3年後にあたる2012年9月26日に総裁選が行われ、40年ぶりとなる決選投票の末、石破茂を破り5年ぶりの自民党総裁就任を果たした。12月16日の衆議院議員総選挙において大勝を収め、同月26日に第96代首相に選出され、政権奪還を果たした。
人物像[編集]
スローガンは自身の著書『美しい国へ』にちなみ「美しい国、日本」。
政策[編集]
アベノミクス[編集]
久米田康治との関係[編集]
さよなら絶望先生作品中にて[編集]
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久米田先生は、安倍氏の政策や思想には批判的なようで、作中では再三『美しい国へ』をもじった『鬱くしい國』のコピーを冠したポスターでネタにしている(第67話~)。
また79話では、「阿部晋三」として台詞つきで登場した。
アニメ版さよなら絶望先生作品内にて[編集]
アニメ第12話で「安倍さん辞任 なんたる迷惑であることか!」と取り上げられた。