山本太郎

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山本太郎(やまもと たろう)[編集]

~本名 ~生年月日 ~出身地 ~職業
CENTER:山本 太郎
やまもと たろう
1974年11月24日 兵庫県宝塚市 俳優・タレント・参議院議員

略歴・人物[編集]

ダンスから俳優へ[編集]

箕面自由学園高等学校在学中にビートたけし司会の番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』で行われていた素人参加企画「ダンス甲子園」に「アジャコング&戸塚ヨットスクールズ」の一員として出場。海パン一丁にオイルを塗った逞しい肉体にキャッチコピーを書いたスタイル、得体の知れないマッスルダンス、問答無用に持ちギャグ「メロリンキュー」(意味は不明)を披露する山本のハイテンションなキャラはカテゴライズ不可能なインパクトを炸裂させ、当時番組を見ていた世代は今も記憶に残っている者が多い。
一気に語り草になるほどの印象を残したが、あくまで遊び感覚だった山本の意思とは裏腹に、放送を見た山本の両親が「あんな裸踊りをさせておくような学校には行かせられない」と学校に苦情を申し入れたことで学校や周囲との関係が悪化しながら出演し続けたりと苦労もあり、高校を留年したのち中退する。
ダンス甲子園の最終回には白スーツ姿で出演し、持ちネタを全て封印。芸能界入りを考えた際に同じ芸風を続けていても限界があると悟って俳優を目指したという。こうして「ダンス甲子園」時代の雄姿は黒歴史となった(ただし、放送やインタビュー等で話題に出すことについては特に抵抗なく応じている)。

デビュー後は武骨な雰囲気の容姿を生かして俳優として活動する。アクティブな肉体派から素朴で優しい性格の役柄まで幅広くこなせる演技で知名度を上げ、ブルーリボン助演男優賞を受賞。「ダンス甲子園」の頃からのイメージチェンジを確実なものとする。

政治家の道へ[編集]

東日本大震災による福島第一原発事故をきっかけに反原発活動を開始。所属事務所を退所する。
民主党政権が倒れて最初の国政選挙となる2012年5月の衆議院議員総選挙に出馬するため「新党 今はひとり」の立ち上げを表明し、東京8区から無所属(日本未来の党・社会民主党支持)で出馬。主に反原発、反TPP等を訴え、71,028票を獲得するも次点で落選した。山本は自民党が圧勝したことに憤慨し、日本の極右化を憂う旨のコメントを出した。
2013年7月21日の第23回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から出馬、周囲の表読みを覆す666,684票を獲得し4位で初当選した。無所属ではあるが選挙に際しては、生活の党、社会民主党、緑の党、新社会党からの支援を受けた。また、政党ではないが新左翼系の中核派、旧第四インターナショナル各派、労働者共産党などからの支援があったり、市民の党代表の斎藤まさしが選挙参謀として協力していたとの報道もある。

政治家としての主な政策公約に「反原発」「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)不参加」「生活保護受給条件厳格化反対(ただし不正受給は正されるべきとの姿勢)」「教育・医療・介護の無償化推進」「秘密保護法反対」を掲げており、選挙で勝利して政権に返り咲いた安倍晋三率いる自民党政権とは相反する立場をとっている。

また、野党系の中でも選挙以来の懇意的関係にある社民党や共産党など左派色の強い政党との関わりが多い傾向にある。

第184回臨時国会に社会民主党の福島瑞穂の質問主意書と一言一句同じである項目を含み、全体としても言葉を置き換えるなどで酷似した質問主意書を政府に提出。これについて山本事務所は同じ専門家から文案を提供してもらいそのまま提出したためとし、今後はこのようなことはないようにすると表明した。
日本共産党委員長の志位和夫の講演を聞くために共産党創立91周年記念講演を訪れ、記者団に対し「日本維新の会やみんなの党は自民党の補完勢力でしかなく、共産党が本当の意味での野党の最大勢力であって大きな力を持つだろう」と述べ、反対勢力としての統一拡大が必要である旨の見解を表明した。
特定秘密保護法案成立反対を表明し、社民党前党首の福島瑞穂ら4名の野党議員と結束して、同法案の今国会での成立を阻止することを強調した。

ほか、2013年10月31日に開かれた園遊会において、今上天皇に書簡を直接手渡した。天皇は書簡を受け取ったが中身を開くようなことはせずにそのまま侍従へ預けたが、この行為が「園遊会の場にふさわしくない」「皇室の政治利用」だと指摘され問題になった。宮内庁からも山本の行為を肯定せざる旨の見解が示され、手紙も事務方で預かり、陛下に届けることはないことを述べた。
同年11月8日、参議院議長の山崎正昭から厳重注意と皇室行事への参加を任期中の間は認めない処分が言い渡された。 山本側は「陛下に福島第一原発の事故における健康被害などの現状を訴えたかった」という趣旨を表明。行為の軽率を認めたが、皇室の政治利用の意図については否定し、議員辞職などの引責はしないと述べた。
また、この際に「自分の政治的ポジションは保守ど真ん中」とコメントしている。

2014年12月に行われた第47回衆議院議員総選挙では、東京8区から立候補した民主党の円より子の支援を表明したが落選。選挙後、山本は議席を減らした生活の党に合流して共同代表に就任。政党要件を回復させるとともに、党名を「生活の党と山本太郎となかまたち」に改名。2016年10月に同党が「自由党」に党名変更した後も党籍を自由党に置きつつ、政治団体「山本太郎となかまたち」を設立して政治活動を行っている。


久米田康治との関連[編集]

久米田康治との関係[編集]

黒歴史保持者として、その扱いには鋭敏な久米田作品においては変わり身の成功も含めてネタに挙がっている。

さよなら絶望先生 作品内にて[編集]

「ダンス甲子園」時代の黒歴史がネタになる。
また、山本が反原発活動を始めて以降はその転向も言及したネタになる。

せっかち伯爵と時間どろぼう 作品内にて[編集]

第5話で「ダンス甲子園」時代の姿の写真集が「アカ本」として扱われる。