島田紳助
&TAG(人物,男性芸能人,島田紳助);
島田紳助(しまだ しんすけ)[編集]
~本名 | ~生年月日 | ~出身地 | ~職業 |
CENTER:長谷川 公彦&Br;はせがわ きみひこ | 1956年3月24日 | CENTER:京都府京都市南区 | CENTER:漫才師、司会者 テレビタレント |
略歴・人物[編集]
不良少年の学生時代[編集]
中学時代は学校の窓ガラスを割ったり、高校時代は車上荒らしで補導されるなど、いわゆる「不良少年」であった。
高校の教師に叱られたことから改心し、紳助曰く「おもろい不良になろう」と悟っていた。
芸能界入りから「紳助・竜介」時代[編集]
18歳(1974年)の時、B&Bの師匠であった島田洋之介・今喜多代[1]に弟子入り。
1977年9月に松本竜介[2]と漫才コンビ「紳助・竜介」を結成。つなぎ作業着風の衣装を着て、リーゼント姿の紳助が竜介と絡む芸風は「ツッパリ漫才」と呼ばれ、若い男性を中心に爆発的人気を得る。1980年頃からの漫才ブームでは、関西の雄として一角を担った。
解散後・司会者の仕事が急増[編集]
1985年5月に紳助・竜介が解散。1987年に日本テレビ系列の音楽番組『歌のトップテン』で和田アキ子と共に2代目司会を担当。この番組で紳助は和田から司会術を学び、司会者としての礎を築いた。
その後『サンデープロジェクト』(テレビ朝日系列)『オールスター感謝祭』(TBS系列)『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京系列)など多くの番組で司会を担当し、タレントを「いじる」芸が存分に発揮され、人気司会者の地位を得ている。
プロデュース業に進出[編集]
2001年にはお笑い選手権番組『M-1グランプリ』(朝日放送(ABC)製作・テレビ朝日系列)をプロデュース。2007年より『クイズ!ヘキサゴンII』(フジテレビ系列)でおバカキャラとして人気を得ていた里田まい、木下優樹菜、スザンヌの3人による「Pabo」や、つるの剛士、上地雄輔、野久保直樹の3人による「羞恥心」の歌手ユニットをそれぞれプロデュース。「おバカタレントブーム」の嚆矢として貢献した。
以降、プロデューサーとしての地位を確立した紳助は様々な歌手ユニットをプロデュースしていき、「バラエティ番組を私物化している」や「小室哲哉を気取っているつもりか」という批判を受けながらも、長年『クイズ!ヘキサゴンII』のトップとして君臨していた。[3]
突然の芸能界引退[編集]
しかし、出る杭は打たれるというもので、2011年8月23日に「山口組系暴力団幹部との交際」を理由に芸能界を引退。
彼が出演していた各番組は代わりの司会者を出して継続したり、打ち切りになってしまったりなどの道を辿り、さらに後番組を検討している間は打ち切りになってしまった番組枠を、既存番組の2時間スペシャルで埋め合わせするという強引な応急処置をせざるを得ない事態にまで発展してしまい、色々な意味で紳助が各TV局で必要不可欠な存在となっていたことが明白となった。
ちなみに、雑誌などでは紳助の芸能界復帰を示唆する記事が掲載されたものの、紳助本人は週刊文春の記事のインタビューで「芸能界に未練はない」旨のコメントを残している。
久米田康治との関連[編集]
さよなら絶望先生 作品内にて[編集]
第273話をはじめ、紳助の引退ネタを中心に掲載されいている。