楳図かずお

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楳図かずお(うめず かずお)[編集]

~本名 ~生年月日 ~出身地 ~職業
CENTER:楳図 一雄&Br;うめず かずお 1936年9月3日 和歌山県伊都郡高野町 漫画家、タレント、作詞家


※初期の作品では「山路一雄」「ウメヅカズヲ」名義のものもある。

略歴[編集]

小学校5年生の時に手塚治虫の『新宝島』に影響を受けて漫画家を目指す。中学時代には同人誌活動を始め、高校卒業後の1955年に貸本漫画『森の兄妹』でプロデビュー。

後に講談社の少女漫画誌『週刊少女フレンド』で連載を持ち、ヒットしたことで勢いをつけ『週刊少年マガジン』『週刊少年キング』『週刊少年サンデー』でも作品を発表。『猫目小僧』『おろち』『漂流教室』『まことちゃん』『わたしは真悟』など幅広い作風のヒット作を出す。
1975年に小学館漫画賞を受賞。

1990年から執筆した『&ruby(フォーティーン){14歳};』が1995年に完結して以降は休筆しているが、持ち前の明るくサービス精神旺盛なキャラクターで突き抜けた特異領域を確実に発するタレントとして活動している。

多方面での活動[編集]

作家やタレント業のほかにも多方面で活動しており、後楽園ゆうえんち(現:東京ドームシティアトラクションズ)のお化け屋敷製作に参加し、1994年に「楳図かずおのおばけ屋敷 安土家の祟り」を、1995年には「デーモン小暮vs楳図かずお~パノラマ怪奇館’95」のデザインと演出を手がけたこともある。
本人は若い頃に俳優を目指していたこともあり、映画やTVドラマにも出演するほか、自作品の映像化にもよく顔を出している。また、2009年には自らのドキュメンタリー映画『グワシ!楳図かずおです』が製作され、自ら主演している。
また、学生時代から音楽好きでもあったことから、自作レコードを発表したり、作詞家としても活動している。

作風[編集]

怪奇漫画の大家として現在もなお不動の評価と尊敬を集める存在であり、代表的な印象としてそのようなイメージが強いが、SFやギャグものも幅広く描いてお り、若い頃には『ウルトラマン』のコミカライズ[1]を手がけたこともある。
情念に満ちた酷薄な世界観と、強い陰影で描かれるハイテンションな恐怖描写は比類なきインパクトを確立しており、イメージ性豊かな圧倒感は『漂流教室』に代表されるように、映像化においても難易度の高い作品が多いほどである。
後の世代への影響も強く、漫画界では広く手本ネタとして活用されているほか、小説家の綾辻行人や芸能方面では中川翔子[2]、山咲トオル、西川史子らがファンを公言している。

また、赤と白のボーダー柄を自らのラッキーカラーと公言しており、メディア出演においては必ずといっていいほど赤白ボーダーシャツを着てくるほか、2007年に新築した自宅も赤白ボーダーにする本気のこだわりぶりを披露[3]。近隣住民から苦情が来てしまったこともあったが、2009年に請求棄却となった。

久米田康治との関連[編集]

かってに改蔵 作品中にて[編集]

名取羽美が『14歳』や『神の左手悪魔の右手』を愛読書にしているなど、恐怖方面でのリスペクトを揚げている。ほか、『漂流教室』の映像化の残念さがネタになったこともある。

さよなら絶望先生 作品中にて[編集]

連載期間中に起きた自宅景観訴訟問題がネタになったことがあるほか、『漂流教室』問題ネタもあり。

じょしらく 作品中にて[編集]

二十日目/四枚起承にて、赤白ボーダー柄の服装がネタになっている。

  1. ただし怪獣や宇宙人の描写は怪奇漫画のそれに近く、楳図自身も「結局ホラー漫画になっちゃった」と自己評価している。
  2. 父の中川勝彦も熱心なファンで、娘の幼少の頃から楳図作品を読ませていた。
  3. 室内も赤白ボーダー柄になっている。