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ページの作成:「<!-- &tag(人物,政治家,さよなら絶望先生,金正日,北朝鮮); --> ==金正日(キム・ジョンイル) CV:[[飛田展男<ref]]…」
<!-- &tag(人物,政治家,さよなら絶望先生,金正日,北朝鮮); -->

==金正日(キム・ジョンイル) CV:[[[[じょしらく|飛田展男]]<ref]]での役名は「あの方」。</ref>==


{| class="wikitable"
|-
|~生年月日
|~没年月日
|~出身地
|~職業
|-
|CENTER:1941年2月16日<br />1942年2月16日(公式)
|2011年12月17日
|CENTER:ソビエト連邦・極東管区<ref>ハバロフスク近郊、ウラジオストック近郊など諸説あり。</ref><br />大日本帝国・朝鮮咸鏡南道<ref>現在の北朝鮮両江道。</ref>(公式)
|政治家・軍事家
|}
※[[北朝鮮]]では'''1942年'''<ref>父親である金日成の生年1912年に合わせて繰り下げたといわれる。</ref>2月16日に聖地・'''白頭山'''で誕生したと神格・伝説化されており、北朝鮮の公式発表となっている。<br />


朝鮮民主主義人民共和国([[北朝鮮]])の第2代最高指導者。<ref>対外的な国家元首は最高人民会議常任委員会委員長が務める。現職は金永南。</ref><br />
職位は、朝鮮労働党中央委員会総書記<ref>正確には総秘書。他の社会共産主義国家の肩書きに倣い、日本では「総書記」と表記される。</ref>・中央軍事委員会委員長、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長(北朝鮮の最高職位<ref>1998年までは朝鮮民主主義人民共和国主席(国家主席)が最高職位。金日成の死後は空席となっていたが1998年に憲法で廃止され、以降は国防委員会委員長が最高職扱いとなり2009年に北朝鮮の憲法で明文化された。</ref>)、朝鮮人民軍最高司令官。<br />
没後、朝鮮民主主義人民共和国大元帥、「永遠の総書記」、「永遠の国防委員長」の称号が追贈。

===略歴===
====不明点の多い生い立ち====
1941年2月16日生まれ。<br />
当時、抗日パルチザンに参加していた父親の金日成と母親の金正淑は日本軍に逐われてソビエト連邦へ逃亡し、金日成は中国・朝鮮人部隊の第88独立狙撃旅団に所属していた。金正日はこの時期に極東管区内の軍事キャンプで生まれたとされている。キャンプはハバロフスク近郊とウラジオストク近郊にあり、第88独立狙撃旅団が主に訓練をしていたハバロフスク近郊ビャックエという説が有力である。<br />
北朝鮮では金日成のソ連脱出自体が認められておらず、1942年に朝鮮民族の聖地である白頭山(長白山)で誕生したとの公式見解が発表されている。<br />

====金日成の後継者====
大学生時代に朝鮮労働党に入党し、卒業後は党の組織指導部長、思想担当兼宣伝扇動部長などを務める。<br />
1972年に中央委員会委員、1973年に中央委員会書記局書記、1974年に政治委員会委員に選出され、金日成の後継者としての立場が固められた。1980年に中央委員会の政治局常務委員・書記局書記、中央軍事委員会書記となり、後継者として明確な立場を持って初めて公式の場に姿を現す。<br />
1990年代初頭には朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長、朝鮮人民軍最高司令官の地位に就いて軍部の統帥権を掌握した。<br />

しかしながら、自らの肉声をほとんど流さないことで有名<ref>肉声については厳格に管理しており、最高指導者となる前の肉声は、1992年4月25日に行われた朝鮮人民軍創建60周年の軍事パレードで発した「英雄的朝鮮人民軍将兵諸君に栄光あれ!」というわずか5秒間の音声のみ。最高指導者となって以降も2000年の南北首脳会談まで肉声は流されなかった。</ref>であり、存在について謎のベールに包まれていたことから非実在説まで噂されていた。

====将軍様の瀬戸際外交====
1994年に父親であり[[北朝鮮]]建国の父であった金日成の死去に伴い、最高指導者の地位を継承する。1997年に朝鮮労働党中央委員会総書記に就任し名実ともに後継者となった。<br />
2000年6月には太陽政策を取る韓国の金大中大統領を平壌に迎えて南北首脳会談を行ったことで、西側メディアに姿を現した。しかし会談以降は国際的な孤立を深め、独自に核開発を進めるなど独裁色を強めていった。国連の核開発中止要求に対しては、交渉決裂や武力衝突を辞さない態度をちらつかせ自国に有利な状況を作り出す「瀬戸際外交」を展開しつつ、核実験を成功させるなど強かな外交戦略をみせた。<br />

2002年9月17日、[[小泉純一郎]]首相の北朝鮮への電撃訪問により、日朝首脳会談が開催された。この席で[[金正日]]は、かねてから指摘されてきた日本人拉致を公式に認め謝罪し、国交正常化へ努力することを記した「日朝平壌宣言」を発表した。<br />
この会談により日本人拉致被害者の5人が帰還することとなり、北朝鮮による日本人拉致問題は大きく進展した。しかし残りの拉致被害者のうち8名が死亡・1名が行方不明とする北朝鮮の回答は、日本側の納得する形では決着しない形となった。なかでも[[安倍晋三]]内閣官房副長官は北朝鮮に対する経済制裁を主張し、拉致被害者を北朝鮮に一時帰国させる方針を示した[[福田康夫]]内閣官房長官との関係に亀裂が入ったといわれている。安倍副長官はこのときの強硬姿勢により多くの世論の支持を得る形となった一方で、社会党時代から一貫して北朝鮮を擁護し続けてきた社民党の信頼は失墜した。<br />
この電撃訪問を契機として、多くの日本国民にとって謎の国家であった北朝鮮とその指導者・[[金正日]]に関する報道が頻繁に報道されるようになった。北朝鮮国内で[[金正日]]を形容する表現が過剰であることを皮肉って彼自身を'''将軍様'''<ref>北朝鮮での敬称「チャングンニム」より。北朝鮮では上位者に称号に「様」を付けて呼ぶため、直訳で漢字に起こすと「将軍様」となる。日本語の場合は敬称が「将軍閣下」となるため、「将軍様」という響きが独特に感じられることも一因となっている。</ref>と揶揄したり、彼の側近に対する奉仕の為に組織された集団である'''喜び組'''の存在などが面白おかしく取り上げられるようになった。<br />

====健康不安と死去====
2000年代より健康が不安視され、糖尿病などの生活習慣病説や心臓病・肝臓病・腎臓病などの健康悪化説が他国メディアで報道されるようになり、2008年以降には脳卒中や膵臓癌であることが報じられた。以後、公式の場に総書記が登場した際の姿や動作から、こうした重病説が真実性を帯びるようになった。<br />
このため、2010年9月には総書記の三男の金正恩を朝鮮人民軍大将に昇進させ、朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長に選出させて自らの後継者として明示し、金正恩を中心とする三代世襲態勢への移行を推進していた。<br />

2011年12月19日正午に[[北朝鮮]]の朝鮮中央放送が、朝鮮中央テレビとラジオの朝鮮中央放送・平壌放送を通じて金正日総書記の死去を一斉に報道した。朝鮮中央通信は、総書記が12月17日に列車で現地指導に向かう途中、精神的・肉体的過労により急性心筋梗塞と心臓性ショックを併発し、同日の午前8時半に死亡したと報じている。

===人物像===
独裁的な政治を行い、日本国内では「将軍様」と呼ばれ、親しまれ(?)ていた。

===[[久米田康治]]との関連===
====[[かってに改蔵]] 作品内にて====
====[[さよなら絶望先生]] 作品内にて====
作品内では弾道ミサイル・[[テポドン]]とともに描かれることが多い。<br />
また、作品内で「将軍様」と呼称されるのは十中八九この人である。<br />
彼以外で「将軍」を名乗ったのは[[冬将軍]]くらいであるが、恋将軍に名称変更しようとした際に[[糸色望]]が「将軍級の恋」として喜び組などを見る将軍様を想像したため、「イメージ悪い」と撤回されている。([[83話『将軍失格』|83話]])<br />
権力の世襲については[[67話『誰がために金はある』|67話]]、独裁体制については[[156話『君よ知るや隣の国』|156話]]でネタにされている。<br />
====アニメ『[[さよなら絶望先生アニメwiki|さよなら絶望先生]]』との関連====
[[懺・第09話『尼になった急場/ほか』|懺・第09話]]で金正日らしき人物が登場し、2009年の[[テポドン|ミサイル]]実験を人工衛星の打ち上げと称したことがネタにされている。
====[[じょしらく]] 作品内にて====
[[十一日目/眼鏡小娘|十一日目]]でミサイル発射ボタンを押す金正日が描かれ、「あの方のメガネがくもったら世界が終わる」とネタにされている。
====[[せっかち伯爵と時間どろぼう]] 作品内にて====
[[00’05”/金の卵を産む伯爵|5話]]で彼らしき人物が登場している。<br />
尚、この時の役回りは質屋「堕異国屋」を営む上人類の店主であった。

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