笑っていいとも!

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笑っていいとも!(わらっていいとも)[編集]

1982年10月4日から2014年3月31日までフジテレビ系列で放送されていた平日正午の生放送バラエティー番組。
正式タイトルはタモリの本名を冠した「森田一義アワー 笑っていいとも!」である。

概要[編集]

1982年10月4日放送開始。新宿駅東口にあるビル「スタジオアルタ」から毎日、生放送されていた。また、日曜日にはダイジェスト番組の「笑っていいとも!増刊号」が放送されていた。
番組開始から続くゲスト数珠つなぎトークコーナー「テレフォンショッキング」(後述)など、生放送の魅力を生かした番組作りが特徴的で、32年間にわたり広く国民に愛された番組であった。全8054回。


なお、フジテレビ系列(クロスネットのテレビ大分とテレビ宮崎も含む)では、毎週月〜金曜日の12:00~13:00の生放送であるが、系列以外の地方局などでは夕方などに時差放映されていた。

テレフォンショッキング[編集]

本番組の看板コーナーである「テレフォンショッキング」では毎日違ったゲストを呼んで、タモリと会話する。ゲストが翌日のゲストを紹介する形式となっており「友達を呼ぶ」というコンセプトであった。出演ゲストは番組中に友人に電話連絡して次回ゲストとしての出演を交渉・依頼するもので、紹介された「お友達」はタモリの「じゃあ、明日来てくれるかな?」との質問に対して「いいとも!」と返事をするという形式になっていた。


コーナー開始当初は生放送での出演依頼のため、スケジュールの都合で番組中に出演を断られてしまうケース、別の友達を玉突きで紹介されるケース、不在や留守番電話のため電話が繋がらなかったケースなどがあった。また、間違い電話を契機に、一般人がゲスト出演してしまったというハプニングもあった。こうした生放送ならではの様々なトラブルも番組人気の要因であった。
平成になった頃からこうしたハプニングは激減したが、これはある芸能人をゲストに迎えた際に友達探しで番組が潰れてしまったために、事前にゲスト調整をする形式に変更になったといわれている。大槻ケンヂによると、テレフォンショッキングは出演のおよそ一週間前に依頼が来て、その際に次に呼ぶゲストも決めるという形式になっていたという。この打ち合わせでマイナーな人物を挙げると局側から「もう少し知名度のある人を…」と要望が入るとのこと。これにより、春や秋の番組改編期などには友達と言いながら、新番組に出演するゲストが大量に出演するという不自然なお友達紹介が目立ち始めた。その一方でバブル景気が華やかだった頃には、出演ゲストが観覧客に多数のお土産を用意するスタイルが定着していた。
2000年代になってからは、観客席のうち100人の女性がスイッチを持ち、ゲストがその100人中1人だけが該当する事柄を予想するというクイズ形式の「100分の1アンケート」が人気となった。質問内容が1人だけに該当すれば、ゲストにいいとも特製のタモリ人形がついた携帯ストラップが贈呈されていた。


なお、2012年4月9日放送分からは、お友達紹介が名実ともに終了になり、翌日のゲストを番組が指名して日替わりにスタジオへ迎えるシステムへと変更された。


テレフォンショッキングの企画自体はタモリ発案のコンセプトで、友達の友達はみな友達を合言葉に友達のつてを辿っていけば、いつかタモリが憧れる吉永小百合と友達になれるだろうというものであった。しかし32年間続いた番組中ではついに吉永と対面することは叶わなかった[1]

終了へ[編集]

2002年4月5日には放送回数が通算5000回を迎えた。タモリは「生放送単独司会世界記録」として2003年度版ギネスブックに認定された。これを受けて、翌2003年1月15日の放送分では、小泉純一郎首相(当時)と生放送中に電話会談が企画され、小泉からタモリへ直々にお祝いの言葉が贈られた。
しかし放送開始30年目を迎えた頃から、番組内容が大きく変遷していった。2011年10月放送分からは番組ロゴやスタジオセットの配置に大幅な変更が加えられ、2012年4月放送分からは名物コーナーであった「テレフォンショッキング」のお友達紹介企画である「友達の輪」が終了し、翌日ゲストを番組が指名するシステムへと変更されるなど、番組のクオリティ低下が指摘されるようになっていき、番組終了の噂もたびた指摘されていた。タモリ自身も、2011年2月放送の番組内のクイズコーナーで韓国料理の人気順が上位であったことに「おかしいだろ」と放送中に公然と反発してみたり、2012年の『FNS27時間テレビ 笑っていいとも!』番組内にて「視聴者はこれを面白いと思ってるのか?」と番組内で苦言を呈する状態であった。ついに2013年7月放送分より、タモリがオープニングとテレフォンショッキングを除いて出演しない[2]ようになるなど、番組の劣化は顕著となり、週刊誌の見出しにも”タモリ降板”が記事になるなど、むしろいつ番組が終わるかが注目されるようになっていた。


2013年10月22日(火曜日)放送分の番組内で、2014年3月末で放送を終了することが発表された。
同日の放送終了直前に、タモリが「ゲストが来ています」と本来は木曜レギュラーの笑福亭鶴瓶を呼び込み、鶴瓶の口から「いいとも終わるんやって。ほんま?」と質問させて、それにタモリが開頭する形で発表された。これは、2005年9月21日の放送で、テレフォンショッキングのコーナー中に観客席の男性が突然「いいとも年内終了って本当ですか?」とタモリに質問した事件[3]をパロディとした演出であった。


2014年になると番組の終了を意識して連日大物ゲストが登場するようになったが、3月21日には現役の首相として初めて安倍晋三首相が「テレフォンショッキング」トークコーナーのゲストとして生出演、「首相動静でタモリと会食」と記載して欲しいというタモリからの要望でイチゴが振舞われた。なお翌日の新聞では「タモリとイチゴを試食」と書かれている。
3月31日に番組は惜しまれつつ最終回を迎え、8054回目の生放送で32年の歴史に幕を閉じた。

久米田康治との関連[編集]

さよなら絶望先生 作品内にて[編集]

久米田作品では、平日昼間のけだるい雰囲気の象徴として登場しており、生徒が学校に行かない日だとリアルタイムで視聴できたりするという扱い(183話で新型インフルエンザにより登校禁止になった日塔奈美が視聴)、あるい は、ニート引きこもり関連ネタ(3話では引きこもった小森霧が視聴)に絡められることが多い。

羅列ネタには、番組中に「いいとも年内終了って本当ですか?」と質問した観覧客ネタ(26話 )、番組の末期症状について(56話)タモリの安産祈願(88話)、提灯「笑亭いいとも」 (112話、「いいともに映ったよ」というプチ自慢(186話)、上述の「アンケートでキムチ鍋が上位だったこと」(283話)などが取り上げられた。

アニメ版さよなら絶望先生 作品内にて[編集]

アニメにおいても原作準拠のパロディ演出があるほか、俗・第07話『百万回言われた猫/ほか』『絶望していいかも』が登場。上述の「100分の1アンケート」がパロディにされた「絶望1000人アンケート!!」が登場していた。

せっかち伯爵と時間どろぼう作品内にて[編集]

  1. ふたりの対面は、2014年3月31日の通常放送後、夕刻より放映された『笑っていいとも!グランドフィナーレ感謝の超特大号』と題した生放送特別番組にて、吉永が中継ながらゲスト出演する形で実現した。吉永がタモリをねぎらい「いつかぜひ、(タモリさんの船に)乗せていただきたいと思っております」と提案、これに対してタモリが「いいとも!」と真っ赤な顔で返答。最後はタモリの「私と食事に行ってくれるかな?」の呼びかけに対して、吉永は「いいとも!」と返答する一幕もあった。
  2. 2013年7月1日放送のオネエ系イケメンを決める"オネメンコンテスト"のコーナーを「こんな企画なら、オレが司会じゃなくてもいい」とタモリがボイコットしたといわれている。
  3. なお、このとき質問した男性はCM明けには退場させられ、観客席にはクマのぬいぐるみが置かれていた。この事件は『さよなら絶望先生26話においても取り上げている。