第196話『亀甲縛りで上等!!』

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かってに改蔵各話リスト


第196話『亀甲縛りで上等!!』[編集]

作品情報[編集]

2002年 月 日発売、週刊少年サンデー第30号に掲載。第18巻第7話。


P103[編集]

扉絵[編集]

扉絵内の文(あおり文)[編集]

あらあらお隣の奥さん…その年でウサギのポシェットはねえ…ないでしょ。[編集]

P104[編集]

欄外(雑誌掲載時のみ)[編集]

いつもの事ですが、羽美ちゃんの頭のネジゆるんでます…[編集]

3コマ目[編集]

箱「わーるどはんてぃんぐ」[編集]

P105[編集]

3コマ目[編集]

僕の考えた天才[編集]

5コマ目[編集]

じゆうちょう[編集]

ジャポニカ学習帳の物

P107[編集]

2コマ目[編集]

額「うな。」[編集]

3コマ目[編集]

彩園すず「まあ、たしかに自由ってつくもんにろくなもんないけどね。」[編集]

自由民主党[編集]

民主自由党内の吉田茂派と鳩山一郎派の対立による党分裂を経て、1955年に双方の合流(保守合同)をもって結党。日本社会党との二大政党状態となる「55年体制」の中核を担う。
しかし議席比率の都合上、党是であった改憲はかなわぬままその気運も失われ、保守路線も次第にリベラル的な政策も取り入れて保守中道から新保守主義へと移行するが、各省庁との協調がとれず根本的な政治改革は成らず、相次ぐ汚職事件で人気が徐々に落ち、1993年に反自民勢力連立による細川護煕首相就任をもって自民党は野党となり、「55年体制」は終わった。

自由党[編集]

1950年に結党された自由党は、当時の与党であった民主自由党と野党の民主党内の連立一派が合流して結党。総裁の吉田茂のワンマン運営などで不人気な折に、GHQの公職追放令の解除で復帰した鳩山一郎の台頭などで党内の調整がつかなくなり、鳩山や岸信介らの反吉田派は離党して日本民主党を結党。1955年の首班指名選挙に敗れた吉田陣営は鳩山率いる日本民主党に合流、これにより自由民主党が結党された。

1994年に結党された自由党は、辞任した細川護煕首相の後継として渡辺美智雄を擁立すべく、側近の柿澤弘治を中心に自民党を離党して結党されたが、擁立すべき渡辺が自民党離党を断念したため頓挫。のち柿澤は自由連合を経て自民党に復党(柿澤は以前は新自由クラブにも所属していた)。

1998年に結党された自由党は、新進党の解党後に小沢一郎によって結党され、自民党と連立するも公明党の連立参加で存在感を示せぬ状況に業を煮やす小沢派は2000年4月に連立を離脱するが、連立残留を望む一派が離党し保守党を結成するなど、混迷ぶりが目立つ[1]

自由連合[編集]

1990年に元医師の徳田虎雄衆院議員(当時)を中心にして、保守系の無所属議員の受け皿的な団体として結党。自民党と連携しつつ日本共産党ら左派政党と組んで消費税廃止法案を出すなど老獪な立ち回りをするも、2001年の参院選では候補92人を立てて獲得議席0に終わった[2]

新自由クラブ[編集]

ロッキード事件の余韻も生々しい1976年6月、自民党の河野洋平を中心とした議員グループ「政治工学研究所」が離党して結成した政党。
保守政治の新たな方向性を模索するも中道路線との協調に失敗し党内は混乱。選挙でも議席数は伸ばせぬまま1983年に自民党との連立を組むが、次の1986年の選挙で自民党が単独過半数を取ったため存在感を出せなくなり、そのまま解散。党員の殆どは自民党に復党した。

自由契約[編集]

「どのチームとも自由に契約できる」という意味だが、実質解雇。

自由恋愛[編集]

自由の名のもとに爆撃[編集]

同時多発テロを受け、アメリカがアフガニスタンを空爆した。
それ以前にも、(アメリカ大統領の支持率的に)何かあると中東の反アメリカ国家に自由の名の下に無差別爆撃が行われるため、「激しい選挙活動」と揶揄されていた。

フリーター[編集]

映画の「クライング・フリーマン」[編集]

原作は小池一夫原作、池上遼一作画の漫画。1996年に日米合作のハリウッド映画が作られた。
ちなみに「フリーマン」は主人公である殺し屋のコードネームであり、彼は殺しが終わると同時に己の宿命に涙を流すことから「クライング・フリーマン」と呼ばれるようになった。

4コマ目[編集]

「でも自由ヶ丘は素敵な街と『caz』とかに書いてありますよ。」[編集]

女性向け雑誌「Caz(キャズ)」(2006年に休刊)

箱「ブーアの森 初版」[編集]

忌野清志郎作画、せがわきり作の絵本(2002年4月)

5コマ目[編集]

〇野公園[編集]

上野公園か?

P109[編集]

1コマ目[編集]

箱「あ ドンジャラ」[編集]

PS用ゲーム「あずまんがドンジャラ大王」2002年4月18日発売

箱「冷凍食品新聞」[編集]

1969年創刊の冷凍食品に関する業界紙。毎週月曜発行。 →公式サイト

3コマ目[編集]

すず「まぁ 自由なんて言葉自体できたの日本の歴史からいっても最近だしね。自らを由とする・・・福沢諭吉が明治になって、広めたのよね。」[編集]

慶応2年(1866年)初版の福沢諭吉の著作『西洋事情』に「自由」という言葉が見られる。
穂積陳重の『法窓夜話』によれば、通辞の森山多吉郎が最初に「自由」と訳したと言う。

P111[編集]

4コマ目[編集]

すず「信仰の自由を貫き、田中さんの奥さん、マケマケ教にのめりこみ、全財産教団に寄付した結果よ。」[編集]

P112[編集]

2コマ目、3コマ目欄外[編集]

久米田「FF11でオンライン三昧の毎日…」
久 ウインダス連邦に行ってきたんですよ。
[編集]

4コマ目[編集]

名取羽美「その他 自由が与えられたがためにこんな恐ろしい結果に!!」[編集]

フリーパス買ってみたけど、混んで料金分使いきれずに大損[編集]

自由度高すぎるゲームで先に進まず、ゲームの中でゲーセン通い[編集]

シェンムー型(のちに『オープンワールド』と命名される)のゲームの事。三人称視点の3D空間を自由に動き回り、非常に多くの建物に出入りでき、作品によっては空も自由に飛べる。そのため、やれることが多すぎる反面何をやっていいか分からなくなり、ミニゲームにばかり興じてしまう(シェンムーの場合は、ゲームセンターに行くとスペースハリアーやハングオン等のゲームが遊べる)[3]

自由に書いていいよと白紙の委任状のせいで自由落下するハメに[編集]

まんが家に「なんでも先生の自由にお描きください」とお願いしたまんがほど大失敗[編集]

島本和彦の『新吼えよペン』17話にて、主人公炎尾燃がこれと同じお願いを受けたところ、『違うだろ!!何を書いてほしいんだ!?(中略)俺の中から新しい可能性を引き出せよ!』と、吼えた。
商業誌連載というものは、お願いする側がその作家の能力を把握している事が求められるので、作品の具体像を確立した上でのアプローチが必要となる。作家側も読者の反応などを考察した上で編集側とも上手に連携していく必要がある。
盲信的に作家を見ているような『何でも好きに書いて』という頼み方をすれば作家も勢い任せだけになりやすく、失敗する事間違い無しである。そういう頼み方は、同人誌などを作ってもらう時にすれば良い。

「オレ、フリーだから」って結局彼女いないんじゃん[編集]

P113[編集]

1コマ目[編集]

「チェーンジェイルは素晴らしい。」[編集]

HUNTER×HUNTER』のクラピカの能力「束縛する中指の鎖(チェーンジェイル)」

2コマ目[編集]

右から二番目はサザエさん

P115[編集]

7コマ目[編集]

「何をしようと私の勝手でしょはファンカーゴの中だけなのです!!」
「けいたい空間」
[編集]

トヨタの車ファンカーゴのCM。格納機能(携帯空間)を売りにしていた。

P118[編集]

コマ目[編集]

欄外(雑誌掲載時のみ)[編集]

こんな自由、いらない…[編集]


かゆいところ[編集]



コメント欄[編集]

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  1. comment

第196話『亀甲縛りで上等!!』~
  1. のち小沢率いる自由党は2003年に民主党に合流し解散。保守党側も選挙敗北で衰退し、一旦解党して保守新党に表札替えしたのち自民党に合流した。
  2. のち徳田氏が引退し、実子の徳田毅が後を引き継いだが、2006年に自民党に入党した。
  3. こうしたゲーム構造のヒットは2003年の『グランド・セフト・オートIII』が初で、国産ゲームでは2005年の『龍が如く』の登場からである。