船場吉兆

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船場吉兆(せんばきっちょう)[編集]

船場吉兆は、大阪市に存在した料亭のこと。食品偽装問題(後述)が原因で廃業した。


会社概要[編集]

1991年に「吉兆」の創業者・湯木貞一が自身の子供たちに吉兆の暖簾分けを行なったとき、三女・湯木佐知子の夫(婿養子)であり吉兆の板前でもあった湯木正徳が当時の吉兆船場店を与えられ、「船場吉兆」として分離・独立。他の吉兆グループ(本吉兆、京都吉兆、神戸吉兆、東京吉兆)とはグループ内であったものの定期的な会合を行う程度で資本関係は一切なく、営業方針もそれぞれに委ねられていた。その後、湯木佐知子の辣腕ともいえる経営戦略により、1999年には福岡市に博多店を開店して他の吉兆グループのない九州へと進出、また大阪の阪急百貨店や福岡の博多大丸と提携して「吉兆ブランド」の独自商品を販売するなど、強気な多角化戦略を推進していた。


食品偽装事件[編集]

しかし、過剰ともいえる採算重視の経営方針は、賞味期限切れ商品の再利用や賞味期限偽装など、商品を偽装する企業体質へ変化していった。


2007年10月に福岡市の「吉兆天神フードパーク」にて、売れ残った「黒豆プリン」「桜ゼリー」「抹茶ゼリー」「タルト」「ほうじ茶ケーキ」の5種類の菓子のラベルを毎日張り直し、消費期限もしくは賞味期限の表示を偽装していたことが明らかとなった。さらに同年11月には「吉兆天神フードパーク」で販売していた「栗のふくませ煮」などの惣菜の内、消費期限・賞味期限切れの食材を岩田屋新館7階にあった「吉兆天神店」に輸送して販売いたことが発覚、結果福岡からの撤退となった。内部調査により、船場吉兆はその他にも恒常的に牛肉など食材の産地も偽装していたことを認め、全店舗で営業を休止した。しかし「会社ぐるみではない」「幹部の承知事項ではない」などと組織的な関与は否定した。


翌2008年1月に民事再生法を適用、経営陣刷新(とはいえ、正徳社長をはじめとする幹部の退任のみで、湯木佐知子氏は新社長となる人事)を行った上で営業を再開した。しかし2008年5月、客の食べ残し料理の使い回しが発覚。
湯木佐知子社長と息子の湯木喜久郎取締役とが謝罪会見を開いてようやく経営陣の関与を認めたものの、喜久郎取締役が記者の質問にいいよどんだ際に、横に座っていた女将が息子に取材陣への返答内容を小声で指示するささやき声が記者会見会場のマイクですべて拾われてしまうというコント顔負けの失態を演じてしまう…。
これが追い討ちとなりさらに客足が遠退いたため経営再建が見込めなくなり、同年5月28日をもって大阪市保健所に飲食店の廃業届を提出、船場吉兆は倒産した。

さよなら絶望先生作品内にて[編集]

2007年に発覚した賞味期限の偽装、ならびに2008年に発覚した客の食べ残しの再提供がそれぞれネタとして取り上げられた。


2007年8月に北海道みやげの定番菓子「白い恋人」が、また同年10月には伊勢名物の和菓子「赤福」が、それぞれ賞味期限の偽装問題を起こしたことを受け、久米田先生は同年10月31日発売の週刊少年マガジン48号(115話)の巻末コメントにおいて「白い赤いときて次は黄色いお菓子かな。」とコメントしていた。
そしてこのコメントが掲載されたマガジンが発売される3日前の10月28日に、船場吉兆の賞味期限切れ偽装が発覚している。偽装していた「プリン」は奇しくも黄色いお菓子であった。この巻末コメントを書いてる時点で久米田先生がこの事件を知っているはずがないのだが…。


また、上述の謝罪記者会見の一件もささやきおかみ失墜としてネタにされている(150話165話)。