蘇民祭

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蘇民祭(そみんさい)[編集]

概要[編集]

蘇民祭は、岩手県を中心に日本各地に伝わる裸祭り。
8世紀に編纂された備後国風土記(逸文)にもすでに蘇民祭の原型と見られる祭祀が書かれており、少なくとも平安時代中期までには蘇民祭の原形が出来上がっていたのではないかと考えられ、その歴史は1000年以上の歴史を持つことになる。


現在でも岩手県を中心に岩手県内では毎年1月から3月にかけて複数の蘇民祭が行われており、「岩手の蘇民祭」の名称で国の選択無形民俗文化財に指定されている。
その中で最も著名なものは日本三大奇祭ないし日本三大裸祭りの一つに数えられることもある奥州市水沢区の黒石寺蘇民祭である。夜を徹して独特の催しが繰り広げられることから「東奥の奇祭」と呼ばれている。

黒石寺蘇民祭ポスター掲示拒否問題[編集]

奥州市が2008年の蘇民祭のPR用に作成したポスターは、上半身裸で胸毛の濃い男性が大きく写っているデザインであった。奥州市が、JR東日本の「冬の北東北キャンペーン」の一環と連動してこのポスターを駅構内に掲示しようと依頼たところ「女性客が不快感を覚え、セクシャルハラスメントに該当するおそれがある」とJR側に問題視され駅構内での掲示が拒否される事態となった。この経緯がニュースで取り上げられたため、結果的に蘇民祭の知名度が全国的に上昇することとなった。
祭りは本来、男性が全裸で行うことが伝統であったが、ここ数年観光客の増加とともにストリーキング目的の参加者、あるいは露出狂やゲイ関係者というような祭りの趣旨と異なる人々が増加して問題となっており、2007年からは参加者に褌などの下帯着用が課せられるなど、主催者側は近年の祭りのあり方に苦悩していた。そんな中、2008年にポスター掲示問題が発生、さらに地元の水沢警察署がわいせつ物陳列罪で摘発の可能性を警告したことも重なり、さらに注目を集めてしまった。結果、メディアの取材陣が例年の10倍と多数押し寄せたが、祭り自体は厳粛に行われた。


水沢警察署は「文化的に大事で歴史ある祭りで、主催者側も協力してくれた。法律と伝統のバランスを考えても参加者の方には問題はなかった。取材陣と主催者側との事前の約束が守られなかったことが遺憾」とメディアの非礼を指摘。黒石寺蘇民祭保存協力会も「伝統を壊したのはマスコミだ」と怒り心頭、黒石寺の住職も客や参加者の増加については歓迎しているが「去年から変わった苦労はメディア。昨日も今日も電話がかかりっぱなし。祭りはいつも通り進みました。こんな田舎の祭りを取り上げてどうするの?」とおかんむりであった。


後日、一連のテレビ報道による広告効果は約31億円近くになるという分析結果が放送調査会社・ニホンモニターより発表されている。(参考⇒)。


なお、ポスターのモデルとなった男性は地元在住の30代の会社員で、2007年の取主(とりぬし=蘇民袋の取り合いに勝利した者)であった。しかし2008年は祭りへの不参加を余儀なくされてしまったが、「裸で騒ぐ祭りではないしイベントではない。そういうことを分かってくれる参加者や客が増えるのなら、地元の人でなくても大歓迎です」とコメントしている。

久米田康治との関連[編集]

さよなら絶望先生 作品内にて[編集]

上述のポスター掲示拒否問題に関連して、背景ポスターとして登場。なお、ポスターのモデルとして前田くんらしき人物が描かれている。