3話『トンネルを抜けると白かった』

提供: 久米田康治ワールド Wikiサイト
ナビゲーションに移動 検索に移動

3話『トンネルを抜けると白かった』(とんねるをぬけるとしろかった)[編集]

タイトルは川端康成の小説『雪国』の冒頭「国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた。」より。

作品情報[編集]

2005年5月11日発売、週刊少年マガジン24号に掲載。


P30(単行本時追加ページ)[編集]

扉絵[編集]

切り絵は、部屋の中で座った姿勢でうつむいている小森霧。座敷童をイメージか? 
コケシは作中のものとかけて。
枠は鍵穴、四隅には鎖とカギ。カギには「篭」の字。右下のモノだけ「座」。

※後記
民俗伝承の一節では、こけしも座敷童も「死んだ子供」が原点にあるという。
医療の知識や技術が未発達だった時代、子供の死亡率は現代の比ではないほど高く、ゆえに世界各国で子供の死は何らかの形で民俗伝承に組み込まれていた。特に日照時間の短い寒冷地では深刻で、アイルランドや北欧、ロシアで古来行われていたといわれる「焼き直し」や[1]、乳幼児にあえて忌み名をつけるアイヌの風習、子供をあえて泣かせて健康を察していたといわれるナマハゲやクランプス[2]など[3]、より積極性が強い行為傾向が見られる。東北地方に伝わるこけしや座敷童もかつては死んだ子供を自宅に葬ることで家神、地神に祀る意味があったとされる説がある。

P31[編集]

1コマ目[編集]

エロチカルアフリカ[編集]

映画『エロチカル・アフリカ』(1970年)。

入ると危険 王子鉄道[編集]

JR王子駅を通っている都電荒川線は、元は「王子電気軌道」という別会社であった。愛称で「王子電車」、「王電」とも呼ばれていた。
1942年に東京市が買収し、後の都電27系統(早稲田~荒川車庫間)と都電32系統(赤羽~三ノ輪橋間)に再編成。その後1974年に両系統を統合し荒川線となり、現在に至る。
(またJR王子駅とJR東十条駅の間には、朝方の通勤ラッシュになると開くことがほとんど無い開かずの踏切がある)

手動[編集]

東武伊勢崎線竹ノ塚駅の事故で問題となった手動式踏み切り。
2005年3月17日現在、全国の手動踏切の数は59箇所となっている。そのすべてに、自動化の移行が計画されている。(単行本収録時に加筆)
このコマの望の台詞の裏には警手小屋と思われる建物が描かれている。とすると、望の自殺を止めている鉄道職員らしき人物はこの踏切を操作する係員である。
わざわざ係員のいる踏切で自殺しようとしているのがミソですね。

3コマ目[編集]

電車の行き先「有栖」[編集]

港区にある有栖川宮記念公園のことか?
ちなみに日本の鉄道駅で「有栖」で始まる駅名は、京都市にある京福電鉄嵐山本線の有栖川駅のみ。

P32[編集]

3コマ目[編集]

78364-[編集]

悩み無用
発毛クリニック「リーブ21」の電話番号の宣伝コピー。

4コマ目[編集]

駅の貼り紙「レンタンカー」[編集]

車内で練炭を焚く一酸化炭素中毒自殺が近年の自殺に多い傾向にある。

5コマ目[編集]

R東日暮[編集]

JR西日暮里駅をモチーフにしている。 糸色望がこの周辺に住んでいると言うことだろうか? 考察については小石川区を参照。

泪橋[編集]

マンガ『あしたのジョー』の「丹下拳闘倶楽部」が橋下にある。
現在の東京都台東区清川と荒川区南千住の境界付近に該当しており、橋の跡地が交差点の名前として残っている(最寄駅は南千住駅)。
この場所は江戸時代には小塚原刑場があり、橋を渡る罪人は皆涙を流したという逸話が名の由来となっている。同じく品川にあった鈴ヶ森刑場の近くの浜川橋も別名で同じく呼ばれていた。

谷中ぎんざ[編集]

日暮里駅前にある商店街。

ゼロテスター[編集]

1973年10月1日から1974年12月30日まで関西テレビ放送をキー局にフジテレビ系で全66話が放送された、東北新社・創映社(現、サンライズ)製作のSFアニメ。

P33[編集]

3コマ目[編集]

Suicoca[編集]

JR東日本の“Suica(スイカ)”とJR西日本“ICOCA(イコカ)”を足したもの。 共に非接触型ICカード方式乗車カード。どちらもソニーが開発したFelicaを採用している。
2006年3月現在、駅構内のキオスクや無印などの販売店や飲食店、ビックカメラ、ファミリーマートの一部やローソンの一部などでSuicaが利用できる。

4コマ目[編集]

AI止まる[編集]

赤松健の漫画『A・Iが止まらない』 1994年~1997年に連載された。

 教材 木村カエラ エッセイ[編集]

木村カエラ
sakusakuで有名になったタレント。詳しくは該当項目参照。

シルバー仮面[編集]

シルバー仮面
1971年~1972年にTBSで放映された特撮ヒーローもの。
地球人の惑星間航行技術研究を警戒する異星人に狙われ、父を失い社会からも孤立した科学者兄弟の苦闘を通して地球人の存在意義にまで触れたハードな作風だったが、 放映時は裏番組(フジテレビ)の『ミラーマン』に押されて低視聴率だったため、途中で変身巨大化といったアイデアを盛り込むも失敗。26話で打ち切りとなった。

5コマ目[編集]

ライブドア銀行[編集]

IT企業ライブドア。カードのロゴは「ホリエ」と書いてある。 2005年1月、西京銀行と提携しインターネット専業銀行を設立することを発表した。

三住銀行[編集]

三井住友銀行のもじり。 大量に合併をくり返した銀行の代表例。 『かってに改蔵』の終盤にも登場する。

浜名湖銀行[編集]

静岡銀行のことか?財務内容の優秀さは邦銀の中でトップクラスらしい。 浜名湖と言えば(『行け!!南国アイスホッケー部』の連載とかぶっていた)河合克敏のマンガ『帯をギュッとね!』の舞台である浜松市を連想させる。

6コマ目[編集]

スキミング[編集]

スキミング(Skimming)は、近年のカード犯罪で多く使われる手口の一つで、磁気カードに書き込まれている情報を抜き出し、まったく同じ情報を持つカードを複製する犯罪である。 wikipedia ちなみに2005年頃からATM等に密かにスキミング装置が取り付けられる事件が発生しており、あながちギャグとも言い切れないものがある。

P34[編集]

1コマ目[編集]

本橋ユカ 来栖アツコ 七瀬リカ[編集]

いずれも「激走戦隊カーレンジャー」に出演した女優。
同番組は、1996年3月から翌1997年2月までテレビ朝日系列で放映された「スーパー戦隊シリーズ」第20作目の特撮テレビドラマである。製作は東映。

  •  イエローレーサー役:本橋由香(女優・タレント)
  •  ピンクレーサー役:来栖あつこ(女優・元グラビアアイドル・女性タレント、元ミニスカポリスリーダー)
  •  ゾンネット役:七瀬理香(現在は女優・かつては「水谷リカ」名義の元AV女優)
    • 同シリーズでは「カーレンジャー」で七瀬理香(水谷リカ)を起用してから三作品連続で元AV女優を起用していた。

P35[編集]

2コマ目[編集]

電柱「サンデー」[編集]

断片的で読みにくいが、字体から漫画雑誌の週刊少年サンデーのものと思われる。

2~3コマ目[編集]

さがしています。花 ルン[編集]

魔女っ子アニメ番組『花の子ルンルン』のこと。
同番組は、1979年2月から翌1980年2月までテレビ朝日系列で放映された東映動画制作の魔女っ子シリーズアニメ。主人公のルンルンは幸せをもたらす七色の花を探して世界を旅していた。 各話の最後にはその回に登場した花の花言葉が紹介されるという大変凝ったつくりであった。

4コマ目[編集]

小森霧登場。[編集]

初台詞 は「来んなよ」「帰れよ」であった。

P37[編集]

3コマ目[編集]

テレビ画面「タモアワー 笑っていい 」[編集]

森田一義アワー 笑っていいとも! 1982年から2014年までフジテレビで平日昼に放映されていた生放送バラエティー番組。フジテレビ系列(クロスネットのテレビ大分とテレビ宮崎も含む)では、毎週月~金曜日の12:00~13:00の生放送であるが、系列以外の地方局などでは夕方などに時差放映されている。
本番組の看板コーナーである「テレフォンショッキング」では毎日違ったゲストを呼んで、タモリと会話する。ゲストは、翌日のゲストを紹介する形式となっており友達を呼ぶのが通例だが、春や秋の番組改編期などには友達と言いながら、新番組に出演するゲストが大量に出演する。
タレントでミュージシャンの大槻ケンヂによると、 テレフォンショッキングは出演のおよそ一週間前に依頼が来て、 その際に次に呼ぶゲストも決めるという。
この打ち合わせでマイナーな人を挙げると局側から「もう少し知名度のある人を…」 と要望が入るとの事。
かつては本当に生で出演依頼をしていたが[4]、テレビ嫌いで知られた作曲家の大瀧詠一が出演依頼を受けたが堂々と断ってしまったり[5]、ある芸能人をゲストに迎えた際に友達探しで番組が潰れてしまったため現在の形式になったといわれている[6]

P38[編集]

2コマ目[編集]

あまく 南海の美少年[編集]

南海の美少年(天草四郎の唄) 橋幸夫の歌(1961)

ハイティーン[編集]

上記、『南海の美少年』を歌っていた橋幸夫が、当時高校生だったことの意か?

5コマ目[編集]

ご*げん よー +6コマ目 提供 *イオン[編集]

 ライオンのごきげんようのこと。
関東地方では「笑っていいとも」の後(13:00~13:30)に放送している、小堺一機司会のトークバラエティ番組。番組の特徴であるサイコロ投げで話題を決めるスタイルに合わせて、 このコマで小森霧もテレビを持ち上げ、ぶん投げている。 スポンサーはライオンの一社提供(イオンではない)。

6コマ目[編集]

ティッシュ箱「*リオネ」[編集]

1924年から発売されているティッシュのロングセラー「クリネックス」と “流氷の天使”と呼ばれる透明な体の貝類「クリオネ」(ハダカカメガイ)とかけている。

P39[編集]

1コマ目[編集]

護符[編集]

右の壁に、右から「サンマンエン」「*・クマタ」「色*」 ドアに「*かり」 天井に、右から「封魔」「*郎」「*め」「壱万」「*目」「火口」「北川」

P40[編集]

1コマ目[編集]

こけし「しょんでこ節[編集]

秋田民謡「秀子節」のこと。
山形で「しょんでこ節」と呼び、岩手では「そんでこ節」と呼ぶ。 こけしは東北地方に伝わる郷土玩具として有名。 可符香が結界を張る以前から小森霧の部屋にはこけしがあることから推測すると、小森さんもしくは家族が東北地方出身なのだろうか。
座敷童は主に岩手県方面に伝えられる伝承である。現れた家は大事にもてなす風習で知られており、 岩手県の金田一温泉にある緑風荘の奥座敷“槐(えんじゅ)の間”は多くの人形が供えられている。

P42[編集]

1コマ目[編集]

糸色望の手帖「ですのうと」[編集]

DEATH NOTE 週刊少年ジャンプの漫画『DEATH NOTE』が元ネタ(原作・大場つぐみ/作画・小畑健)。 そのノートに名前を書くと、名前を書かれた人間は死亡する。

小森霧のTシャツ「The Golden Cups」[編集]

ザ・ゴールデン・カップス グループ・サウンズの実力派バンド。代表曲は『長い髪の少女』。
霧の髪の毛が長いことからの連想だと思われる。

4コマ目[編集]

掲示板「5/11 水 マガジン」[編集]

週刊少年マガジン 毎週水曜日発売。 日付はこの話が掲載されたマガジンの発売日。
前話ではサンデーだったが、今話ではマガジンになっている。 おそらく久米田先生がサンデーからマガジンに移籍したことを示している。

6コマ目[編集]

なぐらない 山下(真)[編集]

テレビドラマスクール・ウォーズのこと。 同作品は、1984年10から1985年4月までTBSテレビ系列で放送されていた青春スポ根もののテレビドラマ(大映テレビ制作)である。主演は山下真司。常に生徒の非行問題が絶えなかった高等学校において、弱小ラグビー部が全国優勝を果たすまでの軌跡を描き、生徒の更正に取り組む教師(山下真司)と生徒たちの葛藤と成長を描いた物語である。

 作品中において体育教師の滝沢賢治(山下真司)は、その熱血のあまり生徒に手を上げる事も度々であった。なかでも有名なシーンは、静岡県大会で112対0と大負けしたラグビー部員に対して

「俺が必ず勝たせてやる! そのために俺は、これからお前たちを殴る!

いいか、殴られた痛みなど3日で消える。

だがな、今日の悔しさだけは絶対に忘れるなよ!」

 と言って生徒たちを殴り倒していった場面である。
このシーンは後の続編『スクール・ウォーズ2』や照英主演でリメイクされた劇場版 『スクール・ウォーズHERO』でもしっかり受け継がれた。

P43(単行本時追加ページ)[編集]

「小森霧」紹介[編集]

出席簿「2のへ組」
出席番号20番 小森霧 ひきこもり少女
2005・05・11
日付は週刊少年マガジンに掲載された号の発売日

義務[編集]

今話の常月まとい[編集]

今話は不在

かゆいところ[編集]

P31の1コマ目[編集]

後姿のようだが、立て札の傍にラヴ地蔵らしき地蔵がある。

P31の3コマ目[編集]

電車の中に坪内地丹がいる。



コメント欄[編集]

掲示板もあります。 久米田康治ワールドWikiサイト掲示板
Wikiの内容に関するチョットした事は↓のコメントへどうぞ。

  1. comment
  1. 西洋ではかまどは豊穣の象徴と見られており、子供が虚弱体質の場合、子供に見立てたパンを焼くなどして子供の健康を願った風習があった。後世にこうした伝承が廃れた後もグリム童話『ヘンゼルとグレーテル』などにその名残がみられる。
  2. 古来からドイツ、オーストリア、ハンガリー東欧地域に伝わる悪魔で、クリスマス前の12月上旬に街に現れて悪い子供を叱って罰する。ちなみに日本でもクランプス・ジャパンという団体がイベントを行っている。
  3. 現代では異論も多々あるが、乳幼児は泣くことで心肺機能が強くなるという説がある。乳幼児の身体は成人に比べて呼吸制御が不安定なため、最悪の場合は呼吸不全に陥り乳幼児突然死症候群(SIDS)に至る場合もあるという。
  4. 実際に相手のスケジュールが合わずに出演が流れてしまうケースも初期の頃にはあり、牧村美枝子や千昌夫は出演を断っている。
  5. 紹介したのは大瀧とはバンド「はっぴいえんど」のメンバー同士だった細野晴臣。細野は大瀧に事前考証をしていたフシがあったが、生放送の状況とタモリからの要請で断りきれなくなるようには事は動かなかったため、翌日のゲストは糸井重里に変更された。
  6. 出演が決まっていたが、交通渋滞などのトラブルでスタジオアルタに到着できないハプニングも起きており、電話出演や現場入り直後で友達紹介などの急場しのぎの処置が取られたことがあった。