手塚治虫
手塚治虫(てづか おさむ)[編集]
~本名 | ~生年月日 | ~没年月日 | ~出身地 | ~職業 | h |
CENTER:手塚 治 てづか おさむ |
1928年11月3日 | 1989年2月9日 | 大阪府 | 漫画家 |
漫画家。
代表作は『鉄腕アトム』『ブラック・ジャック』『ジャングル大帝』『メトロポリス』『リボンの騎士』『ふしぎなメルモ』『陽だまりの樹』『火の鳥』など。
60年の生涯の中で膨大かつ多岐に亘るジャンルの作品を発表し、現在も「漫画の神様」として尊敬を受けている。
来歴・人物像[編集]
略歴[編集]
会社員ながら写真を嗜む趣味人でもあった父と宝塚歌劇を好む母からの影響で幼少の頃から昆虫と漫画を好み、子供時代から宝塚歌劇や田河水泡、岡本一平、ウォルト・ディズニーらの作品の影響を受けて漫画や昆虫画を描く。
子供時代は虚弱体質で視力が弱く、またくせ毛でもあったため、容貌をからかわれていじめを受けたり[1]、戦時中は漫画執筆を周囲から咎められたり、運動が苦手で身体が頑健ではないとの理由で強制修練所に生かされたり、空襲で九死に一生を得るなど、苦労も多い青春だった。
大阪大学医学部に在学中から本格的に漫画執筆を開始。1946年に『マアチャンの日記帳』でデビュー。この人気で弾みをつけ、1947年に執筆した長編書き下ろし『新宝島』が大ヒット。その後も次々と作品を発表して注目を集め、医学部を卒業して博士号を取得してからは医師との兼業も考えたが、母からの勧めで漫画家として本格的に活動する。
丸みのある可愛らしく親しみやすい絵柄と、高いスペクタクルとストーリー性、深いヒューマニズムを込めて描かれた手塚作品の人気は表現ジャンルとしての漫画を大きく進化させ、旧来の低かったイメージを払拭したのみならず、商業ベースにおいても1950年代から始まる大手出版社による漫画雑誌創刊及び商業出版隆盛のきっかけにもなった(それ以前の漫画は零細版元が手がける小規模なもので「赤本」と呼ばれ、書店ではなく駄菓子屋などで細々と売られていた)。
更に、手塚作品に影響を受けて石森章太郎[2]、赤塚不二夫、藤子不二雄、横山光輝ら後に大成する作家たちが手塚先生の住む東京のアパート「トキワ荘」に集ったのは漫画史上では避けては語れぬエピソードでもある。
また、執筆に於いては多人数のアシスタントを雇う分業制による大量執筆スタイルを最初に用いた事でも知られ、更にこの制作体制から独自のアニメ制作プロダクションを立ち上げ、日本初のTVアニメ『鉄腕アトム』を制作。[3]
70年代に入ると人気が低迷し、さらにアニメ制作事業も経営不振で頓挫するなど、精力的な作家活動に実績が伴わぬ窮状に苦しむが、次第に劇画などの手法も取り入れて『ブラック・ジャック』など青年向けの作品を多く執筆するようになり、再度評価を得て復活していく。この頃から全集刊行なども始まり、「漫画の神様」として読者・作家から尊敬を受ける存在となっていった。
1980年代に入っても作家活動は旺盛だったが、1988年5月に胃を壊し、同年11月に倒れ入院。この時既に胃がんと診断されていた。
本人には告知されていなかったため、入院中もベッドで漫画を描き続けたが、翌年1月に昏睡状態となり、同年2月9日に入院先の病室で息を引き取る。
評価・影響[編集]
こうした手塚先生の作風及び制作スタイルは日本の漫画・アニメのモデルとして現在に至るまで大きな影響を与えており、漫画・アニメ両面で多くの優秀な人材を輩出する基盤を築いた先駆者としての功績も大きい。
漫画賞においても講談社漫画賞と小学館漫画賞を両方受賞(さらにどちらも2回受賞)した稀有な漫画家でもあるほか、文藝春秋漫画賞、日本漫画家協会賞、日本SF大賞も受賞している。没後にはアメリカからアイズナー賞を受賞している。
アニメでもヴェネツィア国際映画祭サンマルコ銀獅子賞、広島国際アニメーションフェスティバルグランプリを受賞。
また、1989年に亡くなった後に麻生太郎から国民栄誉賞に推薦する声もあったが、漫画家授与の前例がないなどの理由で見送られてしまい、この事を惜しむ声も多い。
後の1997年に朝日新聞主催による漫画賞「手塚治虫文化賞」が設立された。
久米田康治との関連[編集]
久米田康治との関係[編集]
久米田先生は手塚作品のファンでもあり、自作品でのネタ活用のほか、「神」とも呼んでいる。
かってに改蔵 作品中にて[編集]
さよなら絶望先生 作品中にて[編集]
保健室や糸色医院などに関連ネタが登場している。
- 9話『僕たちは、どんなことがあっても一緒に固まっていなければ駄目だ』
- 「古典・漢文」の教科書が手塚先生の著作となっている。
- 16話『民さんはいっぱいいっぱいな人だ』
- 新聞記事が「えらいこっちゃ」で埋め尽くされた演出は、『ブラック・ ジャック』第185話「六等星」に見られた手法。
- 17話『義姉さん 僕は貴族です』
- ドクターキリコ
- 18話『見合う前に跳べ』
- 『奇子(あやこ)』。
- 30話『今の武蔵野は闇である』
- 加山雄三が主演したドラマ版ブラック・ジャック.
- 34話『一人より女夫の方がええいうことでっしゃろ』
- 手塚医院の看板
- 37話『あヽ 無言・・・・・・』
- リボンの騎士
- [毒抜きされたブラック・ジャック 42話『シミと毒出し』
]先生が登場。保険証の提示を要求している。
- 46話『ベタ・セクシャリス』
- 今どきいないベレー帽をかぶった漫画家
- [『ブラック・ジャック 48話『ヨボー家の人々』
]』に登場する盲目の鍼師、琵琶丸.
- [糸色望のセリフ「手塚治虫 62話『不便百景』
]先生の危惧なさっていた機械に支配される世界に突入してますよ!」
- [『ミッドナイト』の主人公「ミッドナイト」の本名である三戸真也と、『ブラック・ジャック 78話『或る女 役』
]』の主人公「ブラックジャック」の本名である間黒男。
- [「神の像」として、漫画の神様手塚治虫 85話『ティファニーで装飾を』
]の像が登場。
- 109話『発禁抄』
- 「ミクロイドS」
- 114話『大人の決行』
- 缶コーヒー「BLACK JAC」が登場。
- 119話『様々なる一周』
- 「けっきょく手塚が一番面白え」という結論。
- 161話『イキてこそ』
- 『火の鳥』をもじった「火野酉神社」。
- 173話『こんにちはご起源いかが』
- 現代マンガ手法の多くがマンガの神様こと手塚治虫先生によって形作られたこと。