草野仁
草野仁(くさの ひとし)[編集]
~本名 | ~生年月日 | ~出身地 | ~職業 |
CENTER:草野 仁 くさの ひとし |
1944年2月24日 | CENTER:満州国新京市[1]生まれ 長崎県島原市育ち |
フリーアナウンサー・司会者・タレント |
略歴・人物像[編集]
満州国新京生まれ。2歳の時に長崎県に引き上げている。
長崎県立長崎西高等学校卒業後、東京大学文化Ⅲ類に進学、文学部社会学科を首席で卒業している。
NHKアナウンサー[編集]
1967年にNHKに入局。
報道記者志望だったにも関わらず、アナウンサーで採用された。以降、NHKの地方めぐりの慣例に従い、鹿児島局→福岡局→大阪局を経て東京アナウンス室へ出世。以降、スポーツアナウンサーとして知られ、1976年モントリオールオリンピックと1984年のロサンゼルスオリンピックの実況中継を担当し、『ニュースセンター9時』のスポーツコーナーキャスターとなる。しかし、草野が憧れた『ニュースセンター9時』のメインキャスターに就任できるのは報道出身者のみ不文律があったことから、1985年にNHKを退局した。
司会者[編集]
フリー司会者となってからは、TBS系『世界・ふしぎ発見』や日本テレビ系『ザ・ワイド』の司会を務める。穏やかな人柄、相手への気配り、長年の経験から得られた司会者としての技術は特筆すべきものがある。
1994~1995年ごろの「オウム真理教事件」に関する報道が過熱中、オウム教団の広報担当であった上祐史浩が報道・情報系生番組に出演し得意の弁舌でマスコミを煙に巻く中、草野は見事に上祐と渡り合っていた。
肉体美[編集]
ボディビルが趣味で、日ごろから体を鍛えていることもあり還暦過ぎとは思えない肉体の持ち主。また、プロレスファンとして知られる。
フリー転向後はほぼ司会・キャスターの仕事に専念していたが、『草野☆キッド』等のバラエティ番組に出演してこれまで見せてこなかった「肉体派」「ボケキャラ」の一面を披露して視聴者を驚かせたり、コミカルなCMに出演するなど、還暦を越えてからも様々なことに積極的にチャレンジしている。
久米田康治との関連[編集]
さよなら絶望先生 作中[編集]
常月まといの元カレ・たかしは草野仁マニアの設定となっている。
- ↑ 現在の中華人民共和国東北部・吉林省長春市にあたる。