東京

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東京(とうきょう)[編集]

日本の首都。
17世紀以降、日本の政治経済の中心地として発展している。
21世紀初頭においても、ニューヨーク、ロンドン、パリと並ぶ世界都市(Global City)である。

概要[編集]

東京都市圏[編集]

関東平野南部に位置し、横浜、川崎、さいたま、千葉などの各都市を都市圏に巻き込みながら成長を続ける東京は世界有数の巨大都市である。周辺人口はおよそ3500万人であり、世界最大の人口を有する都市圏を形成している。都市単位の経済規模ではニューヨークを上回る世界最大の巨大経済圏でもある。


都心部は、皇居・東京駅周辺のビジネスエリアに加え、新宿・渋谷・池袋など副都心と呼ばれる経済集積地が東京駅から10km圏内に複数位置しており、連動して巨大商業圏を形成している。これら都心・副都心地域は、都心部を環状運転するJR山手線や網の目のように走行する地下鉄線によって高密度・高頻度に相互連絡し、一体化している。
さらにその郊外では、副都心の鉄道駅から放射状に広がる近郊鉄道沿いに人口密度が高いベッドタウンが50km圏まで存在しており、巨大ベッドタウンを形成している。こうした郊外のベッドタウン化は、関東大震災後や第二次世界大戦後に断続的に発生した無秩序なものと、高度成長期に政策的に建設された多摩ニュータウンなど大規模ニュータウンなどが混在している。
このため、東京は昼夜間の人口較差が極めて大きい都市という特徴を有している。昼間は東京都心部で働き、夜間は東京郊外の多摩地域、神奈川県、埼玉県、千葉県へ帰ると人たちのことは、「多摩都民」「神奈川都民」「埼玉都民」「千葉都民」などとと呼ばれる。毎朝超満員の通勤列車に乗り都心部へ移動するサラリーマンの姿は、世界中から驚異的視点で報道されている。


21世紀の東京は、臨海部を中心に再開発が活発であり、新たな若年富裕層や富裕高齢者層が居住するようになったことから都心回帰と呼ばれている。一方で都市老朽化問題もあり、都心部の老朽化住宅、とりわけ団地やニュータウン住民の高齢化は新たな都市問題として急浮上してきている。

歴史[編集]

東京の歴史は1868年の東京奠都に始まる。
江戸幕府の崩壊後、明治政府の支配下に入った江戸の街は、明治天皇が居を移して「東京」と改称されると、廃藩置県により周辺地域は「東京府」となった。東京府は、京都府、大阪府とともに首都あるいはその代替地とされていた。
以降は近代日本・大日本帝国の事実上の首都[1]として発展した。大正時代には、大正デモクラシーの中で和洋折衷の文化を生み出したが、1923年の大正関東地震・関東大震災により壊滅的被害を受ける。後藤新平市長は内務大臣兼帝都復興院総裁として大規模な帝都復興を実施し、計画は縮小こそされはしたものの帝都は再び隆盛を取り戻した。現在の東京の都市骨格をはじめ公園緑地や公共施設の整備は後藤の手によるところが大きい。しかし第二次世界大戦中の東京大空襲などにより市街地は再び灰燼に帰してしまった。


第二次大戦後には、日本国の首都として復興を遂げ、1964年にはアジアで初めてのオリンピックを開催した。高度経済成長の中で新しい日本の政治・経済の中心として大発展した。都内西部にある新宿・渋谷・池袋などの鉄道ターミナル駅周辺が副都心として急速に発展した一方で、都内東部の上野や浅草は衰退傾向となった。多摩地域では都内への通勤者により急激に人口が増加した。また旺盛な労働人口を吸収するために多摩丘陵に多摩ニュータウンが建設された。
こうした東京の重心の西側への移動は、1991年に東京都庁本庁舎が新宿に移転したことで決定的となった。庁舎は、バブル経済絶好調な時代に計画された当時日本一の超高層ビルであり、「バブルの塔」とまで呼ばれた。


1999年に石原慎太郎が東京都知事に就任、以降2010年現在まで3期を務めた。石原は悪化した都財政の健全化を行うため、職員給与など人件費圧縮や福祉教育部門、学術研究予算の削減を行う一方で、ラッピングバスなど広告収入を増加させる政策も併用し都の財政は黒字化。都税の増収もあって債務は減少しつつある。またディーゼル車排ガス規制、警察官増員と摘発強化による犯罪減少、東京都立大学の改組、羽田空港再国際化などの業績を挙げた。大型プロジェクトとして環状道路網整備、築地市場移転計画、臨海副都心事業など積極的な投資が行われたこともあって、品川・丸の内・汐留などの都心部を中心に大規模再開発が進んだほか、臨海副都心の整備が進められた。お台場・有明など臨海部は新たな観光地としても注目されるようになった。
2020年には、東京にて2回目のオリンピック開催が決定し、インフラを始めとする資本整備が新たに進められていく予定である。

都内と都下[編集]

他の府県では「県内」と「県下」はほぼ同じ意味を持つ一方で、東京に特有の地域内表現として「都内」と「都下」というものがある。


自治体としての「東京都」は、第二次大戦中の1943年にもともとあった「東京市」と「東京府」の二重行政の重複を解消する目的で作られた自治体である。これによって、「市内」と呼ばれていた旧東京市内(現在の東京23区に相当する範囲)はそのまま「都内」と呼びかえられ、東京市外のかつて「東京府下」と呼ばれでいた範囲は「都下」と呼ばれることになった。以降、「都内」と「都下」が異なる範囲を意味するという東京独特の習慣が定着した。


近年は東京都内を「23区内」「都区内」、都下を「多摩地域」「多摩地区」などと呼び換える傾向にある。新たに東京へ転居した人の中には、東京都の範囲すべてを「県内」と同じ感覚で「都内」と呼ぶこともあるようで、実際にはマスコミを中心に「都内の高尾山」「都内小仏峠」などと報道されることも増えてきている。しかしそれまでの名残で、都民の中には奥多摩の山中までをも「都内」と呼ぶことに対して、意外なことに高齢者だけではなく若い人の間でも違和感を感じるものが少なくない。実際のところ、東京オリンピックの招致活動を行った東京都庁でさえ、招致を呼びかける横断幕に「オリンピックを東京で、多摩で、島しょで。」と書かれており、東京(東京23区)と多摩は別物と認識しているようだ。

久米田康治との関係[編集]

さよなら絶望先生 作品内にて[編集]

さよなら絶望先生の世界観は、昭和モダンテイストとなっているため、その舞台は戦前の帝都を彷彿とさせる「東京府小石川区[2]となっている。
55話『なんたる迷惑であることか!』では、加賀愛とともに加害妄想に取り付かれた糸色望が、水道水をふつうに飲んだり、ご近所づきあいがあることを「首都にふさわしくない行為の数々」であるとして絶望し、なぜか沖縄へと旅立っている。また、103話『晒しが丘』ではどこへ行っても凶方になる東京23凶が登場した。


また、連載期間中には石原慎太郎が都知事であったが、その過激な言動から作品内にたびたび登場した。詳細は本人の項目を参照されたい。

かってに改蔵 作品内にて[編集]

作品の舞台が、東京都練馬区と埼玉県の境界にある「[[それ以前に短期間ではあるがとらうま町」とされた<ref]]が舞台であると言及されていたことがあるが、なかったことに。</ref>。
また第161話『友だちの輪』にて、彩園すずが都市伝説について「とらうま町はせいぜい都下。都市伝説とはいえない」と言及しており、上述のような旧住民が抱く都内と都下のビミョーな感覚が反映された内容となっている。

  1. 一部には京都を廃して東京を首都とする法的根拠はないとする意見もあるが、賛同は得られていない。
  2. 実際の住居表示に則るなら「東京府東京市小石川区」となる。