津山30人殺し

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津山30人殺し(つやまさんじゅうにんごろし)[編集]

1938年5月21日未明、岡山県苫田郡西加茂村大字行重の貝尾・坂本両部落で発生した、日本犯罪史上まれにみる大量殺人事件。

世界的に見ても類を見ない大量殺人でありながら、戦時中であったためか、報道規制によって新聞紙面の片隅にひっそりと掲載されただけであった。また、事件後における死体の行方や生存者の移転先なども伏せられている部分が多い。

↑エピソードの取り上げ方などから見ても、「絶望先生」的にはそのような扱いなのでしょうが、実際にはかなりセンセーショナルに取り上げられ、しかも容疑者の動機を勝手に創作するような記事が氾濫してかえって事実関係がわからなくなるなど、現在と変わらぬ光景が展開されました。orz

一般には「津山事件」と呼ばれ(事件名の津山は津山市ではなく、同村を含む津山盆地一帯を津山地方と呼ぶことから。但し現在は合併で西加茂村は津山市の一部となっている)、犯人の姓名を取って都井睦雄事件ともいう。

津山事件は金田一シリーズの代表作『八つ墓村』や『丑三つの村』、都市伝説『杉沢村』のモデルとなるなど、日本のミステリー界やオカルト界に現在も少なからぬ影響を与えている(「丑三つの村」は津山事件を題材にしたノンフィクション小説、およびそれを原作とした映画。映画は残虐シーンのためR-18指定。但し銃は映画では実際の事件と異なり、猟銃ではなくショットガンを使用している)。

事件概要(一部に不快に思われる可能性のある表現があります)[編集]

犯行当日、都井睦雄は自宅の屋根裏に上がり、詰襟の学生服に着替えて両足には地下足袋を履き、軍事訓練に使うゲートルを固く巻いて頭に鉢巻で小型懐中電灯を二つ角のように取り付けた。

さらに自転車用のナショナルランプをひもで首から吊りさげ、皮製のベルトでしっかりととめた。そしてポケットには実弾100発を入れ、背中に予備の弾薬を入れた雑嚢を左肩から右脇にかけた。 そして右手に日本刀、左手には改造した12番口径9連発ブローニング猟銃を持った。

着替え終わると、都井は屋根裏部屋から降りてこたつでぐっすり眠っていた祖母の首を斧で跳ね飛ばした。

そして都井は家を飛び出し、一時間半に渡り村人を改造猟銃と日本刀で殺害していった。被害者は死者30人(即死28人、後に重傷者2人死亡)、重傷1人、軽傷2人。

その後都井は3.5km離れた仙の城山頂に登り、身に着けていた懐中電灯、鉢巻、ナショナルランプ、日本刀、雑嚢を全てはずして傍に置いた。

そして都井は遺書を書いた後、猟銃で自殺した。