畑正憲

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畑正憲(はた まさのり)[編集]

~生年月日 ~出身地 ~職業
1935年4月17日 福岡県福岡市 作家・動物研究家


略歴・人物[編集]

父親は医師で、幼少期は父の仕事の都合で満州(現在の中国東北部)の開拓団の村で育つ。この頃から周囲の様々な動物と接していたという。
中学生以降は父の郷里の大分県で過ごし、東京大学理学部動物学科に進学。のち大学院に進み生物研究に打ち込むが、同時に文筆にも興味を持っており、研究者と作家との選択に悩んで精神的に追い詰められ研究室を出奔。
のち学研に入社し教材映画の製作などを手がけ、退社後は専業作家となり1967年に『われら動物みな兄弟』でデビュー。以降動物を題材にしたノンフィクション作品を多く執筆し、ムツゴロウの愛称で親しまれるようになる。
結婚し家庭を設けたのち、娘が生き物の命を食事のために奪うことを嫌悪するようになったことをきっかけに東京を離れ、自然と生命への深い理解と愛情を得させるために移住先の北海道で「ムツゴロウ動物王国」を開園する。以降その活動はテレビ番組でも度々紹介されるようになり、2004年には東京サマーランドに「東京ムツゴロウ動物王国」を開園するに至るが、集客不足で運営会社が破綻し、2007年に閉園。
その後は北海道に戻って活動を続けている。しかし同時期にパチンコ会社と提携し、「CRムツゴロウの動物王国」のリリースに一役買うなど、商売っ気豊かだったりもする。

念のため、漫画家の畑健二郎とは、血縁は全く無い。

作風[編集]

作家として尊敬する目標に、医学部出身で動植物にも詳しく、昆虫コレクターでもある北杜夫を挙げており、自著にも生物学的見地に立脚した冷静かつ精緻な描写と、動物への情愛を表面的な領域で括らず、動物と同じ目線に立って真剣に向き合う叙情豊かな描写を両立させた作風を呈している。自分が飼った動物が死んだときには必ず自らの手で解剖し、死因を究明する方針にもそうした所以を見ることができる。
こうした姿勢はテレビ出演の際には独特のキャラの濃さとして表れ、モノマネなどでかなりネタになりやすい側面を持つ人でもある。

また、文筆や動物研究の他にも麻雀や囲碁の腕前も高い評価を得ており、実は多才多趣味でもある。
さらに映画分野では1986年に脚本と監督を務めた『子猫物語』で主役猫のチャトランの顔にシーンごとの微妙な違いが見られたり、危険なシーンにやたら出てくることから、一部でかなりの数の猫が犠牲になったという報道も出つつ真相は藪の中だったり、1993年には角川映画の黒歴史として知られる『REX 恐竜物語』の原作を手がけるなど、こちらの分野でも妙に濃い経歴を持つ。

久米田康治との関連[編集]

久米田先生も畑のキャラクターの濃さやムツゴロウ王国を作品中でネタにすることがしばしばあり、テレビ出演で世間に広まっているイメージ像だけでなく著作や趣味についても挙げている点などから、けっこう深く目を通しているフシがある。

かってに改蔵 作品内にて[編集]

さよなら絶望先生 作品内にて[編集]

無茶するほどに動物好きな性格は小節あびるのキャラクター造形にも影響を与えているかもしれない。