誤植

提供: 久米田康治ワールド Wikiサイト
ナビゲーションに移動 検索に移動


誤植[編集]

印刷物における文字や数字、記号などの誤りのこと。ミスプリント、タイポ(typo,typographical errorの略)、タイプミスとも言う。

植は写植の植であり、もともとは活版印刷の組版で間違った活字を植字してしまうことを指したが、現在は印刷物全般に対して用いられている。印刷物以外の字の間違いは単に誤字と呼ぶ。

タイポ、タイプミスと言った場合は、ワードプロセッサ、タイプライター、コンピュータのキーボード等の、タイピング上の間違いを広く指し、こちらは印刷物に限らず各種テキストに用いられる

概要[編集]

当初の誤植とは、「植字の誤り」つまり活版印刷での印刷過程である組み版時のミスであり、植字工がおこす活字の組み間違いであった。活字の欠落、酷い場合には単語そのものの欠落や、活字の配置間違い(例えば「cat」を「act」等)は目立つミスであるが、文字サイズが9ポイントで指定されているのに、8ポイントや10ポイントのものが紛れ込んでしまう、ポイント間違いも立派な誤植である。ただし、電算植字やDTPの普及発達によって、組み版そのものが行われなくなってきており、こうした厳密な意味での誤植は姿を消したと言え、今日では文書の誤り全般を指す言葉になりつつある。

手書きの文書の誤りは「誤記」と言う。「誤植」は主に活版や写植などの大量印刷物の表記の誤りを指す言葉であり、文書処理ソフト上における綴り誤りはその誤り方によって「ミスタイプ」や「誤変換」という。しかし、インターネットの普及によって、ブログなど書いたものが直接公開されるものが一般化し、出版形態も印刷一辺倒でなくなった事もあって、誤記と誤植の差は、無くなりつつある。

また「誤植」はあくまでも表記の誤りのことを指し、内容の間違いを指す言葉ではない。例えば「日本はアメリカ合衆国より面積が広大である」という文は事実に反するが、誤謬であって誤植にはあたらない。そのような誤りを正す作業は「校閲」という。しかし今日では内容の間違いも、タイプミス、誤変換なども全て「誤植」と呼ばれる様になってきているが、言葉としては誤りであり、誤用の定着の一例と言える。

誤植とは、本来意図した表現の一部が別の字に置き換わってしまう誤りである。大抵は気付けば元の表現に復元できるが、場合によっては深刻な誤解を生むこともある。例えば薬学の本で薬の量の桁や単位を誤れば命に関わる。百科事典や辞書などで間違いがあれば、間違った知識が流布してしまう危険がある。また小売店が商品の値段を書き間違えた場合その値段で売らざるを得なくなる場合がある。これは特にオンライン販売でよく見られる。

本来誤植は編集作業の過程で「校正」によって正されるべきものである。校正は軽んじられがちだが、誤植の有無は出版物の質を計る指針にもなりうる。校正が不十分だと刊行後にも誤植が残ることが多い。このため、論語子罕第九の「後生可畏」の句をもじって「校正畏るべし」の警句がしばしば言われる。逆に校正者の思い込みによって正しい表現に間違った修正がなされることもある。と思われがちであるが、表現に関して直接修正する事は、校正者権限の逸脱であり最も忌避される。表現修正に踏み込む場合は、正誤確認のお伺いを立てて、著者や編集者に確認を取るに止まる。ただし、近年に多い編集者が校正も兼ねている場合や、著者校に回す時間のない新聞などは別である。

刊行後に誤植が大量に判明した場合や緊急の場合には、修正箇所をまとめた正誤表が改版前に出されることもある。その正誤表にも更に誤植が発見される例もある。

一般に誤植は避けるべきものだが、自分の著作が盗作されてもすぐわかるよう、誤植や誤記を忍び込ませる著作者もいる。このような手法はソフトウエアの世界にもある。 宣伝やサービスの一環として誤字を利用する例も有り、一例としてビックカメラ高崎駅西口店はチラシに故意に誤植を混ぜ、それを見つけた人間に粗品を進呈するという宣伝方法で来店者数を稼いだ事がある。また誤植で有名な雑誌ゲーメストも故意に誤植を混ぜそれを見付けた読者に景品を進呈するという企画を行ったことがあるが、こちらは意図的でない誤植が大量に存在し「最も面白い誤植を見つけた読者」が景品進呈の対象になった。

久米田康治との関連[編集]

久米田作品ではセリフやキャラクターの名前などに度々誤植があったりする。
基本的には単行本時に修正されるが、単行本になっても修正されてないままの誤植もある。

かってに改蔵 作品内にて[編集]

さよなら絶望先生 作品内にて[編集]

新井智恵

連載時に新井智と誤植されることが多い。
以下、誤植のあった話数。