クメプロ

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クメタ・プロダクション[編集]

久米田康治先生主宰の漫画製作プロダクション。
クメプロ、久米プロなどと表記される。
法人番号は6011002036265

概要[編集]

所在地[編集]

週刊少年マガジンへ移籍するにあたり、東京・新宿区から渋谷区内へ引越し。理由は「若者の街へ行けば、自然と若者向けを描けると思ったから」らしい。メゾネットタイプのマンションのようだが、築45年を過ぎた古い建物であるためエレベーターもない(西本英雄『もう、しませんから。』第3巻より)。また、さよなら絶望先生第二三集紙ブログによると、とうとう取り壊しが決定したそうだ。
また、漫画家・赤松健先生の公式サイト(2007年10月9日の日記)によると

何か久米田の野郎が、やっぱりウチのビルの近辺に生息しているらしく、
雑誌『オトナアニメ』のインタビュー記事で、
『赤松スタジオは高層マンションの最上階辺りで、いつも灯りがついているから分かる』
みたいなことを言っておりました。(笑)

と語っていることから、東京・西新宿にある赤松スタジオの入居しているビルの近くにあるようだ。
ちなみに、自宅[1]とは別に事務所として使用している。

内装[編集]

室内は作品の雰囲気に合わせ昭和レトロ調に統一されており(209話にも登場)、これらインテリア等の購入には前田くんもずいぶんと貢献したそうだ(絶望読本より)。

歴史[編集]

プロダクション化の時期は不明。少なくとも1993年には既にプロダクション化していた模様。
行け!!南国アイスホッケー部』第1巻によると、初期スタッフは二名。

全国一千万人の久米田康治ファンのために、ちょっと脱いでみました。
ちなみに、ほかの2人はウチの作画スタッフ、熊沢君と有村君です。(二人とも本名)
僕は、脱げとはひとことも言ってないのに、一緒に裸になってくれました。
みんな、とってもいい人たちです。

設立当初は杉並区東高円寺に存在していたが(『行け!!南国アイスホッケー部』第18巻)、手狭になったため1995年頃に新宿のマンションへと引越しを行っている(『行け!!南国アイスホッケー部』第20巻)。複数の怪しい男性が出入りしている部屋があるとして某宗教団体と誤解され、クメプロに公安がやってきたのもこの頃だろうか?
その後『太陽の戦士ポカポカ』連載終了から『かってに改蔵』連載開始までの間にスタッフの大幅な入れ替えがあった模様。久米田先生によれば、「干されてた8ヵ月間の間に全員デビューした」とのこと(『かってに改蔵』第2巻おまけページ参照)。

なお、新宿時代のクメプロ事務所は改蔵終了時に引き払っている。

スタッフ慰安旅行[編集]

クメプロ名物として「スタッフ慰安旅行」があった。
行け!!南国アイスホッケー部』第15巻ではクメプロスタッフがこの「スタッフ慰安旅行」の行き先を検討する様子がかかれている。旅行先として、1993年には伊豆へ、また翌1994年にはセブ島へ旅行したことが記載されている。この「スタッフ慰安旅行」は、ミコノス島に旅行することになった際に畑健二郎先生が「え、いいっすよ。その分現金でくださいよう」と言ったことでおなじみ。畑先生のこの発言には普段は温厚な久米田先生も旅行に行く前から相当不愉快であったらしく、大変嫌な思いをしたと語っている(単行本第十五集紙ブログより)ほか、その後の『かってに改蔵第283話にて坪内地丹が「その分現金でくださいよう」と言っている。
しかしながら、畑健二郎先生は独立後の作品『ハヤテのごとく!』でミコノス島を舞台にした話を描いている他、『ハヤ☆ラジ!!』2009/12/25配信分でゲスト出演した際に、海外旅行の思い出としてこの慰安旅行を挙げているなど、良い思い出になった様子。

現在のアシスタント[編集]

2011年発行『かってに改蔵 公式ファンブック かってに研究しやがれBOOK』追補版インタビューによると、アシスタントは5名(前田くん含む)で、全員がアシスタントとは別にそれぞれ仕事を持っているという。

超藹明(趙藹明=エイミー・チャオ)[編集]

アニメ第二期俗・さよなら絶望先生には超藹明名義で声優として出演。
アニメ版クレジット「スペシャルサンクス」の表記は、第一期は「藹明」、第二期では「藹明」、第三期では「藹明」。

エリクサー[編集]

アニメ第二期俗・さよなら絶望先生エリクサー名義で声優として出演。
Webラジオさよなら絶望放送にも「クメプロ・エリクサー」名義で投稿している。
アニメ版クレジット「スペシャルサンクス」の表記は、第一期では「ポーション」、第二期では「エリクサー」、第三期では「リボン」。
元ネタはゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズのアイテムから。


過去に在籍したアシスタント[編集]

前田くん(前田耕作[2][編集]

『[[作品内初登場は、[[第183話>第183話『NYへ行きたいかぁ〜』|かってに改蔵]]』中期<ref]]。</ref>以降から『さよなら絶望先生』終了までアシスタントを勤めた。
クメプロではチーフアシスタント的な役割を担っていた。『さよなら絶望先生』のアニメ化に際して、アニメの打ち合わせへの参加や兄弟子である畑健二郎先生に[[アニメ[[第二期>俗・さよなら絶望先生|声優]]のオファーをするなど秘書的役割もこなしたほか、声優・MAEDAX<ref]]、第三期にもそれぞれ「MAEDAX G」「MAEDAX R(Romanの略)」名義で出演。</ref>としてアニメに出演した。


絶望先生第二四集紙ブログによると、2010年12月24日に一般女性と入籍[3]、婿養子になったため「前田」の苗字は旧姓となったとされており、以降は前・前田君と表記されることもあった。
東日本大震災の地震発生時に東京都庁展望台にいた人物として、2011年12月25日放送のTBS特別報道番組『「報道の日2011」記憶と記録そして願い』第三部「3.11映像の記録~あの日、何があったのか~」にて出演、本人が撮影した展望台の様子も放映された。


2012年10月にクメプロからの独立を発表した。

畑健二郎[編集]

かってに改蔵』時代のアシスタント。
2004年に独立し、週刊少年サンデーにて『ハヤテのごとく!』を連載中。サンデーの看板作家として厚遇されている。同作品はアニメ化・映画化されるなど少年サンデーを代表する作品である。

熊沢君(熊沢智道)[編集]

デビュー作『行け!!南国アイスホッケー部』初期スタッフ。


行け!!南国アイスホッケー部』単行本2巻に浜津学園アイスホッケー部のメンバー(背番号18)として登場。その後単行本9巻ではバレンタインデーに磯野カカオが起こした革命運動に参加する浜津学園の生徒として再登場した。
その後早い時期にクメプロから離れたらしく、『行け!!南国アイスホッケー部』20巻5話(通算210話)に漫画家「くまさわくん」として登場。持込のまんがが没になり恋人のユキコさんに振られ自殺を図ろうするも、蘭堂月斗に助けられ原稿の採用が決まっている。その後、『太陽の戦士ポカポカ』1巻および2巻に久米田先生の「ともみち 連絡待つ」のメッセージがあることから、その後も久米田先生との関係は良好であったようだ。


1998年3月号〜2003年3月号まで熊沢智道名義で講談社コミックボンボンに『新人まんが大賞 募集まんが!』を掲載。この間1999年6月号〜2000年2月号までは同時に「熊沢ユキオ[4]」名義で『ぐるぐるガラクターズ』を連載。その後「くまざわともみち」名義で、2003年4月号〜2004年3月号まで『不思議あたま動物ウニくん』を連載。
現在は、道路看板・植物樹名板製作のアボック社>http所属。東北営業所長・営業副本部長。
同社所属後も漫画家として活動しており、2011年に「くまさわともみち」名義でモバMANに「がんばれ(・∀・)ゾンビさん」を掲載、その後「南門前クマヲ」名義(2012年8月号までは「くまさわともみち」名義)にて月刊!スピリッツで2012年6月号〜2013年1月号、やわらかスピリッツで2012年11月〜2013年9月まで「ゾンビ営業 高橋」を連載、グランドジャンプPREMIUM2014年7月30日号で特別読切「鬼神営業マンアシュラはつらいよ」を掲載。

また『行け!!南国アイスホッケー部』の原稿が落ちた[5]際に「智田うに」名義で作品が掲載されたことがある。

なお、少年サンデー特別増刊1994年5月20号に、智田うに『必殺見切人』が掲載されているが、詳細は不明。情報求む。

有村君(有村広太)[編集]

デビュー作『行け!!南国アイスホッケー部』初期スタッフ。


行け!!南国アイスホッケー部』単行本3巻に博多大学アイスホッケー部所属の二日酔い選手として、単行本9巻ではバレンタインデーに磯野カカオが起こした革命運動に参加する浜津学園の生徒として、また単行本13巻にも知的で実験好きな少年として登場し、ある日お尻に乾電池を入れる荒業をやってのけた。


少年サンデーSUMMERオープン大増刊」1992年8月25日号に有村広太名義で『流浪闘士』を掲載。その後「こーた」名義で、講談社コミックボンボンに1998年2月号〜1998年05月号まで『アニメがんばれゴエモン』[6]を、また1998年9月号〜1999年5月号まで『ゲームソフトをつくろう』をそれぞれ連載していた。(かつてのwebsite⇒★>http、ブログ⇒★>http

小林広司[編集]

行け!!南国アイスホッケー部』中期から『太陽の戦士ポカポカ』連載終了までのアシスタント。


行け!!南国アイスホッケー部』単行本12巻に、授業中に勃ってしまった浜津学園の生徒として登場している。
当時、クメプロ屈指の作画力と評価されていた。『太陽の戦士ポカポカ』 単行本第二巻巻末にてポカポカキャラに勝手に声優をノミネートした際には、当時の人気声優の名を上げていたことから、アニメ事情にも相当詳しかったようだ。
また、熱烈な「ときめきメモリアル」ファンであり、『太陽の戦士ポカポカ』連載中にときメモグッズの作画を行った。いわゆる「ときメモファンド」で大穴を開けてしまった畑健二郎にも影響を与えた模様。

大倉康祐[編集]

行け!!南国アイスホッケー部』単行本12巻に、授業中におならをしてしまった浜津学園の生徒として登場。単行本13巻に接骨院の先生として登場し、鈴木保奈男の骨を治療した。


「おーくらやすひろ」名義としてコミックボンボンでデビュー。1997年12月号〜1998年02月号まで『新人まんが大賞 募集まんが!』を掲載。1998年3月号〜1998年6月号まで『スーパーロボット大戦F リアルストーリー』[7]を、また1999年12月号〜2000年02月号まで『ザ・グレイトバトル』をそれぞれ連載。現在は「蔵王」名義で活躍中(⇒)。

畠山美奈子[編集]

当時のクメプロの紅一点。
行け!!南国アイスホッケー部』単行本9巻に「畠山動物病院」が登場するので、1993年初頭にクメプロに加入したようだ。その後も『行け!!南国アイスホッケー部』単行本13巻の折り返し企画「切り抜いて遊ぼう 久米ちゃん人形」「久米ちゃん着せ替えセット」の製作にかかわっていた。


日本ナレーション演技研究所20期生の声優・畠山美奈子とは別人。

スパークうたまろ[編集]

緊縛エロマンガ家。
スパークうたまろWebsite(⇒★>http

新潟県三条市出身。デザイン系専門学校卒業後、ゲーム業界にてPCエンジンソフト「夢幻戦士ヴァリスII」「ヴァリスIII」「天外魔境2」、アーケードゲーム「ギガンテス」などの製作にかかわる(ボーバンかじわら名義)。その後、クメプロのアシスタントとなる。
1997年7月にエッチ漫画家としてデビュー。単行本として『インモラル壱号』(東京三世社)、『制服大征服』(東京三世社)、『インモラル逆襲』(メディアックス) 、『少女、堕ちる』(東京三世社)、『汁を吸う縄』(東京三世社)の5冊を上梓。2002年12月を持って漫画家を廃業。現在は同人活動のみ。


かってに改蔵第9話に、この頃の作品『インモラル壱号』が登場していることから、久米田先生との関係も良好であったようだ。

ハシモト☆モモ[編集]

サンデーの読者ページ「サンデー青春学園」のイラスト担当。
久米田先生いわく「すごくキレ者」であったらしい(かってに改蔵 公式ファンブック かってに研究しやがれBOOK追補版インタビューより)。

池田結香[編集]

元看護師。ペンネーム「紅結羅」としてKKベストセラーズ社のイラスト投稿雑誌『チョコバナナ』に、職業欄「看護学生」(のち看護婦)として投稿していた。
その後、漫画家志望のアシスタントとして週刊少年サンデー編集部にクメプロを紹介された。『かってに改蔵第157話に自分探しの旅に出てる女の子「いけだゆか」として登場している。
2001年、9・10月期「小学館少年サンデーまんがカレッジ」に『ドリームらんちきゾーン』で佳作入選。クメプロを離れる。
当時すでにクメプロの漫画製作はフルデジタル化されており、ペン入れからトーンまで全部Macで行われる体制であった。このことから当初から折り合いが悪く、漫画家志望サイトにて色々とクメプロの情報を流していたとされる。結果として久米田先生を非難し「ここで学ぶものは私には何もありません!」と決別宣言[8]
温厚な久米田先生を怒らせ喧嘩別れした模様[9]
その後2003年、「少年サンデー特別増刊R」秋号に『ブシドー花吹雪!』、2006年「サンデー超」冬増刊に『針士のホロン』を掲載。以降の消息は不明。
小学館『ちゃお』連載作家であるいわおかめめ先生のコミックスのおまけページにスペシャルサンクスとして名前が出ているのが確認されている。

新井隆広[編集]

短期在籍者。
2003年6月期「小学館少年サンデーまんがカレッジ」に入賞。翌2004年少年サンデー超7月号『グランバトラー』でデビュー。2006年週刊少年サンデー36・37合併号〜2009年10号まで『ダレン・シャン』を連載。小説『ダレン・シャン』を原作としてほぼ忠実に漫画化されているが、クレプスリーの髪型等の細かい部分が異なる。単行本全12巻刊行。単行本の巻末には新井隆広による製作秘話が載せられている。2010年『週刊少年サンデー』4・5合併号より2011年43号まで『AR∀GO -ロンドン市警特殊犯罪捜査官-』を連載。
このため、さよなら絶望先生作品内に何度かダレンシャンネタが登場している(68話159話など)。
2018年から「名探偵コナン-ゼロの日常」を連載中。

H・O君[編集]

かってに改蔵第91話P14に似顔絵入りで畑健二郎(作中ではK・Hくん)とともに登場。
あと 買ってはずかしくないエロ本の自分ルールについて、「ア○ションカメラは買えますが 投○写真ははずかしいっス。」と述べていることから、写真マニアだったようだ。
かってに改蔵OVA上巻にも登場しており、MAEDAXが声を担当していた。


幻のアシスタント[編集]

山下[編集]

前田くんが見た夢に現れたアシスタント。
前田くんが仮眠中に山下というアシスタントの夢を見たらしく、起き出して来て「山下が辞めなければボクが辞めます」と久米田先生に向かって叫んだというエピソードとして登場。
さよなら絶望先生177話の単行本追加ページにて登場。その後、半年以上経った220話で再びネタにされ、「じょしらく十日目では幻獣山下としてオチに絡む存在感を持つようになる。その後、単行本第二一集第二二集紙ブログにも登場している。

単行本第二二集紙ブログでは、山下という名前について、前田くんクメプロにやってきた当初に久米田先生が前田くんの名前を覚えられず「山下」と呼んでいたことが判明した。

漫画・アニメなどでの展開[編集]

アニメ版さよなら絶望先生 作中にて[編集]

アニメ第一期第05話に、スタジオジブリ作品のオープニングパロディが登場。
青地に「クメプロ作品 STUDIO KUMETA」と表示されていた。

  1. 久米田先生の自宅は、引き続き新宿にあるようだ。エレベーターで久米田先生が老婦人と会話したことなどがさよなら絶望先生第十九集紙ブログにて語られている。
  2. 前田は旧姓。
  3. このとき久米田先生が結婚保証人になったが、相手の女性にはあったことがないという。
  4. 「ユキオ」は『新人まんが大賞 募集まんが!』の主人公の名前から。
  5. 原稿が落ちた理由は当時話題になっていた宗教がらみ。さよなら絶望先生第十四集紙ブログによると「ち○こで空中浮遊」というネタが問題視されたとのこと。
  6. 1997年12月号、1998年1月号では別冊付録に掲載。正式に本誌に掲載された1998年2月号は連載3回目となる。また、ボンボンリミックス(1997年12月号増刊、1998年1月9日発売)に番外編あり。
  7. 1998年2月号別冊付録に予告編あり。
  8. サンデーバックステージ 2002年6月12日⇒★>http
  9. 久米田先生はこのことを「かってに改蔵第277話の羅列ネタでネタにしている。