コミックボンボン

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コミックボンボン[編集]

1981年~2007年に講談社から発行されていた児童少年漫画雑誌。
シンボルマークは「ボン太」(爆弾に顔と手足がついたキャラクター)→「Bゴン」(王冠を被った恐竜風キャラクター)→顔のついた爆弾(名称不明)

概要[編集]

初代編集長・田中利雄曰わく、小学館コロコロコミックに対抗するために創刊。
コロコロの藤子不二雄に対しジョージ秋山で対抗しようとしていたらしいが、創刊初期に連載されたジョージ秋山の漫画『スパットマンX』(途中から『パットマスターX』に改題)がアニメ化出来なくなったのは小学館の妨害に遭った為と初代編集長が『チャンネル北野』で語っていたが真偽、詳細は不明。なお、これに激怒した作者は連載を終了させたとのこと。

誌名の由来については明らかにされることはなかったが「爆発」と「爆笑」をかけているという説が最も有力とされている。なお連載漫画『海の大陸NOA』作中で、敵の刺客が「今の子供に言いたいのはコロコ○って何!?ってこと!柱時計はボンボンと鳴るんだよ!」と言っているシーンがあった。

作風[編集]

とにかく児童誌にしては濃いことが特徴で、初期の作品でも、小学生が趣味でやるには高価過ぎるカメラを題材にした作品や、ファミコン漫画にしても主人公が『ゼビウス』のデータを改ざんしている作品があり現在でも雑誌などで話題にされることが多い。
90年代でも、アメコミや『新世紀エヴァンゲリオン』の特集を組んだり、また『ウルトラマン超闘士激伝』がOVA化される際には起用してほしい声優を募集したり、『王ドロボウJING』では同人誌を募集するなど異様に濃い読者参加企画も行われた。そういったことからマニア育成雑誌というイメージが定着していた。

何より『機動戦士ガンダム』との関係はかなり濃密で、特に80年代はMSV(モビルスーツバリエーション)を中心としたガンプラ特集が充実していたが、劇場版『機動戦士ガンダム』のコミカライズ連載が企画されるも事情により白紙へ。そこでその穴埋めとして『プラモ狂四郎』が連載されるが予想以上にヒットする。(コロコロで連載されたたかや健二の漫画『3D甲子園プラコン大作』はこの作品に対抗するために描かれた作品らしい)作中に登場したパーフェクトガンダムは、後に実際に商品化されるまではガンダムのプラモにプラ板などを使い、真似して作る小学生も多かったとか。
またガンダム以外のサンライズのロボット作品でも、『太陽の牙ダグラム』『伝説巨人イデオン』『聖戦士ダンバイン』『重戦機エルガイム』なども扱われていた。

また、お色気要素が多いというイメージが浸透しており、実際80年代前半頃には『ほとんど!セーラ』のようにパンチラを中心とした作品もあったが、本来低年齢向けの雑誌であることから読者の興味は同性の友達とファミコンやプラモデルなどで遊ぶことに向いていたからか、人気が出ずに打ち切られている。以降、このような描写を中心にすることは殆どなくなっている。その一方で下ネタは少ないと思われがちだが全くないわけでもなく、特に『やっぱ!アホーガンよ』の勢いを含んだお下劣ネタは当時の読者の間で長年に渡り語り継がれ、全盛期に発売されていた増刊号にのみ掲載された『ウンコマン』は初掲載の92年夏休み増刊号の時点で「汚いからやめろ」といったクレームが殺到したが、三度掲載された。

黄金期[編集]

80年代末辺りからはガンダムシリーズのTV放映がないこともあり、SDガンダムが中心となっていったが、これが武者や騎士といった自由で豊富な世界観やデザインがうけて小学生の間で流行した。そのため昭和50年代以後生まれの人はSDガンダムからガンダムに入った人も少なくない。
ガンダム以外でボンボンの黄金期を支えていたのは、『ゲゲゲの鬼太郎』が三度目のアニメ化がされたのを期に連載されたほか、『おそ松くん』や『天才バカボン』をはじめとした赤塚不二夫作品は、「赤塚不二夫劇場」という赤塚作品枠が90年代前半まで設けられており、さしずめコロコロコミックにとっての藤子不二雄のような扱いだったといえる。
90年代前半に突入するとそれらの作品に加え「リトルグルメ」が当時の少年達にトラウマを与えた秋元康原案の『OH!MYコンブ』や、ゲーム関連の作品が誌面を賑わせついに部数でコロコロコミックを抜いた。
特にゲーム関係の作品では『ロックマン』は実はガンダム以上に表紙を大きく飾る機会が多く、看板作品となっていた。また、本山一城の『スーパーマリオ』シリーズはコロコロコミックで『ドラえもん』に次ぐ長期連載作品の沢田ユキオの『スーパーマリオくん』と比較した上で「マリオコミック界では沢田版は徳川家康、本山版は織田信長」と評されていた。他に『がんばれゴエモン』は連載した帯ひろ志の描いたヤエちゃんが当時の読者に衝撃を与え、それを抜きに考えても漫画自体も好評で長期連載となった。加えて細井雄二の連載した『餓狼伝説』シリーズは、登場人物達の強烈な台詞回しなどから「ボンガロ」の愛称で現在でもカルト的なネタ漫画として話題となっている。
1993年に『機動戦士Vガンダム』で数年ぶりにガンダムシリーズのTV放映が復活したことで、ボンボンでもコミカライズが連載されるがこのVガンダムはアニメ版と大きく展開がことなり、当時の読者の間で上述の『餓狼伝説』と並ぶ「ボンボンネタ漫画」として印象に残っているらしい。なお『機動武闘伝Gガンダム』以降長年に渡りボンボンでガンダム関連の作品を描き続けてきたときた洸一は『新機動戦記ガンダムW』の連載時にボンボン誌上でファンクラブの会員を募集していたが、その会員特典でときたの描く所謂あれな同人誌が読めてしまうため、何も知らない男子小学生が会員になっていたりしていないだろうかと当時の腐女子の間で心配されていた。

衰退[編集]

1996年頃になると、世界的に大ヒットした『ポケットモンスター』と提携していることから、低年齢層の新規読者の殆どがコロコロコミックを選ぶようになる。その上、こしたてつひろの漫画『爆走兄弟レッツ&ゴー』のヒットにより再びミニ四駆ブームに火がつき、さらにハイパーヨーヨーなどの玩具も男子小学生の間で流行する。こうしてコロコロはその発行部数を三倍以上に伸ばした。
しかしボンボンは『機動新世紀ガンダムX』の放映打ち切りやSDガンダムが武者、騎士と立て続けにシリーズに区切りがつくように終了(漫画家、デザイナーの交代)したことによるガンダム関連作品の衰退、さらにもうひとつの看板作品となっていた『ロックマン』シリーズは、まだSFCに移行したばかりにも関わらず新作を当時まだ入手困難気味で普及しきっていないPSやSSで発表してしまったがために最新作が欲しくても買えない子供が続出。加えてファミコン世代が思春期に『ときめきメモリアル』などの美少女恋愛ゲームに影響されたことでゲームに対する意識が変わってしまい次世代機に移行しても相変わらず高めの難易度の横スクロールアクションゲーム、子供に親しまれやすいキャラクターデザイン、優等生的な主人公キャラというスタイルを貫き通した『ロックマン』のようなゲームやそのファンは、オタク層やゲーム誌などから見下されるようになり、その売り上げを全盛期の四分の一以下に落としてしまうなど、看板作品が危機に陥り苦戦する。

なおこの時期、『がんばれゴエモン』がTVアニメ化された。アニメオリジナルの展開で、ゲームには登場しないキャラも登場する。このアニメの設定に合わせたコミカライズ版がゲーム準拠の帯ひろ志版と並行される形で連載される。作画はクメプロ出身のこーたが担当。

迷走[編集]

『ポケットモンスター』がアニメの成功による大ヒットをした頃、ボンボンでは各メーカーとタイアップし、『メダロット』や『ロボットポンコッツ』をはじめとしたポケモンの模倣ゲームを濫造していく。一定の人気を得てアニメ化した作品もあったが、鳴かず飛ばずのまま打ち切られるものがほとんどであった。
さらに講談社のゲーム雑誌「覇王マガジン」が休刊になったことでこの雑誌の編集長を務めていた池田新八郎という名の放射性廃棄物がボンボン編集長となると大幅な路線変更を行い「雑誌そのものや読者に影響を与えかねないマニアックな要素を排除する」という名目で熊倉裕一の漫画『王ドロボウJING』など、高い年齢層に人気のあった作品を打ち切ってしまう。だが勿論これらの作品が全年齢向けの作品として不適当な表現があったわけではなく、強いていうならシリアス過ぎて低年齢層が完全に理解するのは困難というくらいだった。前述の黄金期を築いた編集長であった池田の行った路線変更は極めて独善的かつ自己満足だったといえる。(おーくらやすひろの漫画『スーパーロボット大戦Fリアルストーリー』がわずか4回で打ち切られたのもこのため)
またこの時期、カプコンでは以前からの目標であった『ロックマン』のTVアニメ化を実行に移そうとするが、やはり池田が上述の理由から売り上げを大幅に落としたロックマンに高額なスポンサー料を払う価値はないとして契約まで切ってしまう。そのため連載中の漫画も読者には好評であったにも関わらず誰が見ても打ち切りが決まったとしか思えない不自然な展開に突入し終了してしまう。
こうして連載作品の殆どを失ったボンボンはその穴埋めとして旧来のガンダムファンから絶大な支持を得ている『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のときた洸一によるコミカライズを連載するが人気挽回にはならなかった。
加えて「史上最強のRPG計画」のキャッチフレーズで読者から様々なアイデアを募って作られた『クロスハンター』は、発売延期を繰り返しておきながらバグが多くゲームバランスは滅茶苦茶で、極めつけにはキャラクターデザインのカイマコトが執筆した漫画版があまりにも拙い内容で人気が出る筈もなく打ち切られたが、その構図のほとんどが『ドラゴンボール』や『ベルセルク』のトレースで描かれていたことがネットの普及により近年になり発覚した。(検証サイト⇒★>http  検証動画⇒★>http

大判化、休刊[編集]

こうしてかつての人気作品が編集部の「好み」で打ち切られたことから作家陣、及びこれまでの読者からの反感を買い、生き残った人気作品では『サイボーグクロちゃん』や『へろへろくん』などがアニメ化するなど健闘したが、アニメ制作会社が倒産してしまっている。
さらに2000年代に入ると『機動戦士ガンダム』の主導権を角川書店に掌握されてしまい、ボンボンで活動していたときた洸一も角川へ移籍してしまう。さらに過去にボンボンが上述の通り切り捨てたかつての看板作品『ロックマン』シリーズ[1]コロコロコミックで連載開始されるとこれまでにない勢いをつけ、ファミ通のクロスレビューで理不尽に低評価されることもなくなり、当初の目的のTVアニメ化も果たし劇場版も製作された。また、ボンボンとタイアップした玩具は全く注目されなくなり、ゲーム関係では『ポケットモンスターファイアレッド・リーフグリーン』の発売を見て開発された『メダロット』の第一作目のリメイク『真型メダロット』はユーザーから駄作と呼ばれる出来栄えだったため、以降休刊後の2010年にDSで新作が発売されるまでシリーズが途絶えた。こうしたことから2005年頃にはゲーム、玩具関係とのタイアップが行われなくなると同時に突然誌面が大判化された。この大判化に雑誌としての末期を感じた元作家や読者も多かった。
以後は『デルトラクエスト』[2]の記事、特集、漫画にページを費やすようになり「月刊デルトラ」と揶揄されることになる。加えて『ゲゲゲの鬼太郎』の五度目のアニメ化に合わせ、ほしの竜一による漫画が連載されこの二作品を中心に展開していくことになるが、他は週刊少年マガジン出身作家による連載作品やスピンオフ作品に読み切り、打ち切り作品が目立った。また『魔法先生ネギま!』のアニメ第二期のコミカライズである『ネギま!?neo』が連載され、週刊少年マガジンの人気作品にまで手を出してしまい、迷走に歯止めがきかなくなっていたのは明らかであった。

そして、2007年の末に休刊することとなり、その後継誌として「月刊ライバル」が創刊されるも、実際に創刊されれば「月刊ライバルはコミックボンボンの後継誌ではない」と主張され、コミックボンボンとのはしごを外される羽目になり、最終的に後継誌となったのは、テレビマガジン増刊扱いの季刊誌「テレまんがヒーローズ」だが、こちらも結局2009年をもって休刊となり引き継いだ連載作品も打ち切りとなる[3]。だが上記の『ネギま!?neo』だけはボンボン休刊後マガジンSPECIALに移行し連載を全うできた。[4]また角川書店から創刊された「月刊ケロケロエース」では『SDガンダム三国伝』を『BB戦士三国伝』と改題し引き継ぎ、この雑誌に移籍した元ボンボン作家も多数見かける。

そして、月刊ライバルも読者イメージ像として「オタクではない普通の元気な男の子」と掲げておきながら『アイドルマスター』や『ラブプラス』といったオタク向けの漫画を連載して早くも迷走を始めてしまい、結局、2014年6月をもっての休刊が発表され、新たな少年漫画誌の刊行に向けて研究を進める旨が編集部より発表された。

休刊後の評価[編集]

まず児童誌の特徴として単行本が絶版になるまでの期間が非常に短いというのがある。その上単行本の尺合わせのために連載回数を調整することも殆どないことから、作品終盤の数話分が単行本に収録されない「幻のエピソード」と化してしまうことが多く、特にボンボンの場合上述のように人気作品ほどよく打ち切られるためその傾向は非常に強い。
こうしたことから過去の作品の復刊の要望は尽きず、休刊前に岩本佳浩の『ロックマンX』が復刊ドットコムによりブッキングから復刊されたことを皮切りに、休刊から数年後も90年代前半の黄金期を支えた作品が復刊され続けており、中には打ち切りにより描かれることのなかったエピソードを追加した作品も存在する。

ネット界からの復刊[編集]

休刊から8年を経た2015年7月31日に子供向けインターネット番組『ボンボンTV』として復活した。同日から動画配信サイト・YouTubeにて配信開始。 制作にはHIKAKINをはじめ多くのYouTuberが所属する芸能プロダクションの&ruby(ウーム){UUUM};が協力。流行を紹介する「ボンボンニュース」や、YouTuberによるコンテンツ「YouTuber補完計画」、名作アニメの再放送、新作フラッシュアニメなどが制作されており、毎日10本前後の番組を配信予定。

2015年10月15日には、児童向けYouTubeチャンネル『キッズボンボン』を開局している。内容は、同社の幼年誌「テレビマガジン」「おともだち」「たのしい幼稚園」の情報と、NHK Eテレで放送されていたアニメ『くつだる』や昔話のアニメ配信など。

2017年7月より、pixivコミックで復活。「サイボーグクロちゃん」「SDガンダム」関連漫画など過去の漫画を再掲載のほか、上記「ボンボンTV」絡みの漫画、「くつだる」「こねこのチー」を掲載中。

久米田康治との関連[編集]

多くの初期クメプロスタッフがこの雑誌でデビューした。
かってに改蔵』第2巻(新装版では第1巻)に掲載された南スポ1999年第1号でもアシスタントH君もこのように証言していた。

え?前のアシさんですか?なんかクメタ氏が干されてる8ヶ月の間に
全員デビューなさったみたいで、コミックボンボンとかで
描いてるみたいですよ。

初期スタッフについての詳細は当該項目参照。

かってに改蔵作品内にて[編集]

この作品が連載されていた時期は、ボンボンにとって暗黒期と言われていたからか、度々コロコロコミックに大差をつけられていることがネタにされていた。
第78話では、地丹の上に崩れ落ちた大量のコロコロコミックの山の中に一冊だけボンボンが紛れ込んでいる。

さよなら絶望先生作品内にて[編集]

110話で、ボンボンとライバルのぐだぐだな引き継ぎ(?)がネタにされていた。
また、何故か背景ネタで連載漫画『OH!MYコンブ』がよくネタにされていた。


アニメ版さよなら絶望先生作品内にて[編集]

ちょうどアニメ第一期が放送されていた時期に講談社から正式にボンボンが12月号を最後に休刊となることが発表された。そのためか黒板やが座らされていた席の机などでネタにされていた。

  1. 実はボンボンで打ち切られてからコロコロに載るまでの間、漫画連載はないがVジャンプで特集を組んでいた時期があり、特に『ロックマンDASH』シリーズのユーザー参加型企画はVジャンプで募集していた。
  2. エミリー・ロッダの児童小説。ボンボンで連載された漫画は週刊少年ジャンプで『真島クンすっとばす!!』などを連載したにわのまことが執筆。
  3. ただし『デルトラクエスト』はコミックスにて残りのエピソードを描き下ろしで収録している。
  4. ちなみに、同じく休刊した雑誌『月刊マガジンZ』から『ウルトラマンSTORY 0』が移籍連載したが、休刊に伴いウェブコミック配信サイト『MiChao!』に移籍。その後、『MiChao!』の更新終了に伴いテレビマガジン公式ホームページにて連載が続行されたという経緯を辿っている。