チャゲ&飛鳥

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チャゲ&飛鳥(ちゃげあんどあすか)[編集]

CHAGEとASKAとのシンガーソングライター2名による音楽デュオ。


~芸名 ~本名 ~生年月日 ~出身地 ~職業
CENTER:CHAGE(旧名:チャゲ) CENTER:柴田 秀之
しばた しゅうじ
1958年1月6日 CENTER:福岡県小倉市(現・福岡県北九州市) シンガーソングライター
CENTER:ASKA(旧名:飛鳥涼) CENTER:宮﨑 重明
みやざき しげあき
1958年2月24日 CENTER:福岡県筑紫郡大野町(現・福岡県大野城市) シンガーソングライター


1980年代~90年代にヒット曲を連発した日本を代表する歌手。チャゲ&飛鳥(1979年~1988年)、CHAGE&ASUKA(1989年~90年)、CHAGE&ASKA(1990年~2000年)、CHAGE and ASKA(2001年~ )と表記に変遷がある。通称はチャゲアス
代表曲は、『SAY YES』、『YAH YAH YAH』など。

略歴[編集]

デビューまで[編集]

高校時代からの友人だった柴田と宮崎が第一経済大学在学中に、別々に出場していたヤマハ主催の音楽コンテスト『第15回ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)』福岡大会にて柴田がグランプリを獲得。九州大会へと勝ち進む際にヤマハのディレクターの勧めにより柴田と宮崎によるデュオが組まれた。一時期7人編成のバンド「チャゲと飛鳥」として活動していたが、翌年の『第16回ポプコン』の直前に再び二人組のチャゲ&飛鳥となる。1978年、79年と二年連続でポプコン本選会に出場するが、グランプリ獲得はならなかった。

プロデビュー[編集]

1979年8月にワーナー・パイオニアよりシングル『ひとり咲き』にてデビュー。翌年3rdシングル『万里の河』がスマッシュヒット、1981年にはアルバム『熱風』がオリコンアルバムチャート1位を獲得するなど人気歌手となった。この頃の楽曲は、フォークギターを用いながらもメロディはどこか哀愁の漂う演歌っぽさを漂わせていたことから、「演歌フォーク」「フォーク演歌」などと呼ばれていた。以降、田園コロシアム、国立代々木競技場第一体育館、日本武道館など当時としては巨大な会場を用いたライブは熱狂的な人気を博した。その一方で楽曲のセールスが伸び悩む状況が続いていた。
1984年には、チャゲ&飛鳥としてののセールスが不振である一方で、飛鳥の陰に隠れがちなチャゲの歌唱力を生かそうというヤマハ社長の発案によって、石川優子とのデュエット曲『ふたりの愛ランド』が大ヒットしている。

レコード会社移籍[編集]

1986年、キャニオンレコードへ移籍。移籍後初のシングル『モーニングムーン』がスマッシュヒット。翌年にはベストアルバム『SUPER BEST』が3年間オリコンチャートにランクインするというロングセールスを記録する。1987年にはヤマハ主催の音楽フェスティバル「世界歌謡祭」に日本代表として出演し、ロッド・スチュワートやA-HAと同じ舞台で競演している。また、この時期には他の歌手への楽曲提供も盛んで、なかでもジャニーズ事務所のアイドルグループ・光GENJIに楽曲提供した『STAR LIGHT』、『ガラスの十代』、『パラダイス銀河』は1987年~88年に次々と大ヒットとなり、プロデューサーとしても高く評価された。
1989年にデビュー10周年としてシングル『WALK』『LOVE SONG』とアルバム『PRIDE』を発表、オリコンアルバムチャート1位を獲得した。その直後にチャゲ&飛鳥としての活動休止している。これは上述の世界歌謡祭にて刺激を受けた飛鳥が英国行きを強く希望したためで、休業期間中に飛鳥は渡英して楽曲制作したため、チャゲは独自にロックバンド「MULTI MAX」を結成して活動していた。

驚異的メガヒットを連発[編集]

1990年にグループ表記を従来のチャゲ&飛鳥からCHAGE&ASKAに変更[1]。翌1991年にシングル『太陽と埃の中で』がロングセールスを記録。続いて発表した『SAY YES』がフジテレビ系ドラマ「101回目のプロポーズ」主題歌として採用され、ドラマの人気爆発とともに大ヒット、デビュー12年目で初のシングルチャート1位を獲得したのみならず累計売上282万枚となる大記録を樹立した。同年10月に発表したアルバム『TREE』もミリオンセラーとなり、当時史上最高のセールスを記録した。翌1992年もベストアルバム『SUPER BEST II』が270万枚を超える驚異的売り上げを記録しオリコン年間アルバムチャート1位を獲得している。1993年には、シングル『YAH YAH YAH』がフジテレビ系ドラマ『振り返れば奴がいる』の主題歌にも採用され、またしても200万枚を超える大ヒットを記録し、オリコン年間シングルチャート1位となったほか、日本ゴールドディスク大賞を2年連続で受賞するなど、その勢いは誰にも止められない状態であった。この時期、コンサートのチケットは瞬く間に完売しプレミアミチケット化していたという。
この時代はバブル絶好調で、空前のカラオケブームでもあり、CHAGE&ASKAの楽曲は大人気となり、さながらチャゲアス旋風ともいえる状況であった。また飛鳥涼の衣装や髪形を真似る若年男性もいた。当時週刊少年ジャンプで連載されていた『CITY HUNTER』の主人公・冴羽獠は、飛鳥がモデルであったとされている。


アジアへ・世界へ[編集]

1993年5月に、モナコにて開催された”The World Music Awards”に日本代表として初出場。この時期にCHAGE&ASKAの人気は海外、とりわけアジアで大人気となっており、翌年には”The World Music Awards”にアジア代表として出演したほか、初のアジアツアー『ASIAN TOUR 1994』では日本のツアーの延長として香港・シンガポール・台湾でも日本と同規模のコンサートを開催、合計6万人を動員する大成功を収め、現地のメディアにも大きく取り上げられた。1994年12月にはハリウッド映画『Street Fighter』のエンディングテーマに全英語詞の楽曲『Something There』が起用された。
1995年には、スタジオジブリ宮崎駿監督が、シングル『On Your Mark』のプロモーションムービーとして、CHAGE&ASKAをモデルとしたキャラクターが登場するショートアニメーション『ジブリ実験劇場 On Your Mark』を作成、コンサートツアー『CONCERT TOUR '95~'96 SUPER BEST 3 MISSION IMPOSSIBLE』の会場ならびに劇場でも公開された。また、ハリウッド映画『Judge Dredd』のエンディングテーマにASKAが楽曲「TIME」を提供した。1996年にはアジア出身者としては初めて『MTV Unplugged』へ出演、これをきっかけとしてチャカ・カーン、ボーイ・ジョージ、マイケル・ハッチェンスら海外の実力派アーティストによるトリビュート・アルバム『one voice THE SONGS OF CHAGE&ASKA』が制作されるなど、CHAGE&ASKAは世界的アーティストとしてビルボード誌にも取り上げられた。
1999年のデビュー20周年には、MTV番組収録のためのアコースティックライブを開催、9月からコンサートツアー『CONCERT TOUR 電光石火』『ASIAN TOUR NO DOUBT』として北京・上海公演も成功させた。12月には初のコンプリートベスト・アルバム『CHAGE&ASKA VERY BEST ROLL OVER 20TH』をリリースしている。ミレニアムイヤーとして全国各地で大晦日ライヴが行われた1999年の大晦日には、CHAGE&ASKAも故郷・福岡にて初のカウントダウン・ライブ『千年夜一夜ライブ 〜福岡ドーム 僕らがホーム〜』を開催、ライブはディレクTVを通じて全世界に衛星生中継された。


ASKAが覚醒剤使用で逮捕[編集]

活動休止の発表から5年後の2013年1月、公式サイトにてCHAGE and ASKAの活動再開が一度は発表され、当初は同年8月に復活スペシャルライブが開催される予定が計画されていた。しかし同年6月になって公式サイトにてASKAの体調不良による静養が発表されたためスペシャルライブは延期、その後復活ライブを完全中止が発表された。
この体調不良発表に追い討ちをかけるように、週刊文春からASKAが薬物中毒状態にあるとの記事が掲載された。これを受けてASKA側は一度は否定するコメントを発表ていた。
2014年5月17日にASKAは、警視庁組織犯罪対策第五課によって覚せい剤取締法違反(所持)の容疑で逮捕された。逮捕された時点ではASKA本人は容疑を否認していたが、尿検査で陽性反応が出たほか自宅から覚醒剤のほかにMDMA錠剤が発見され、覚せい剤使用容疑で再逮捕された。

久米田康治との関連[編集]

さよなら絶望先生』作品中にて[編集]

175話に「ワインアスカ」「常夏の店 チャゲ」の背景ネタが登場している。215話では乙女化した糸色望が「門限が8時で チャゲアスのコンサート行けないの」と主張していた。

せっかち伯爵と時間どろぼう』作品中にて[編集]

25話に、ASKAが薬物使用で逮捕されたことを、『新世紀エヴァンゲリオン』の惣流・アスカ・ラングレーと絡めてネタにされた。

  1. これは飛鳥が英国渡航時にASUKAと書いたら「アシュカ」と呼ばれてしまったためである