マイケル・ジャクソン

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マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)[編集]

~本名 ~生年月日 ~没年月日 ~出身地 ~職業
Michael Joseph Jackson 1958年8月29日 2009年6月25日 アメリカ・インディアナ州 歌手

概要[編集]

天才少年歌手[編集]

フルネームはMichael Joseph Jackson。~(マイケル・ジョセフ・ジャクソン) 幼稚園時代から音楽に接しており、4人の兄弟たちと結成した「ジャクソン・ファイブ」のボーカルとして1969年にデビュー。レベルの高いボーカルとダンスは次第に人気を博し、70年代に大きくブレイクする。
ジャクソン・ファイブはソウルミュージックの中では非常にポップな音楽であり、白人層にも受けがよいものであった。その人気の一方で黒人層からの批判も少なからずあった。

スーパースター[編集]

70年代後半からはソロ活動も行いその人気を着実に高め、80年代からは『ビリー・ジーン』『今夜はビート・イット』『スリラー』『バッド』など世界的大ヒットを連発。特にアルバム『スリラー』は全世界で1億400万枚を売り上げ、音楽アルバム販売数の世界記録を未だに保持し、ギネスレコードとなっている。まさに『歌って踊れるスーパースター』であった。
1983年発売の『ビリー・ジーン』は、それまで「黒人の映像は放映すべきではない」という方針をとっていたMTVの慣行を変えさせプロモーションビデオが放映され続けた。アメリカにおいては、1980年代においてもなお黒人(アフリカンス)への差別は潜在的に残ってあり、黒人のヒーローといえば、犯罪歴があり公私のトラブルも多いジェームズ・ブラウンや反権力のマーチン・ルーサーキングJr.牧師であった。マイケルはそういった負の背景を持たない正真正銘のアフリカンスのスーパースターであり、文化的な面から世界を大きく変えた人物であった。


暗転[編集]

だがその人気ゆえに様々なゴシップやトラブルも数多く、何かと奇行が目立つセレブとしても知られるようになる。
2002年には宿泊していたベルリン市内のホテルで、窓から生後数ヶ月になる自身の息子を外側のファンに見せた行為が虐待にあたるとして世界的な非難を浴びた。
2003年には少年に対する性的虐待疑惑で逮捕されてしまう。のちに「マイケル・ジャクソン裁判』と呼ばれる裁判は、約2年の期間ののち、2005年に、児童誘拐・監禁・恐喝・猥褻行為等10の容疑について無罪判決が言い渡された。
こののちマイケルを訴えた少年の母親が詐欺罪で有罪判決を受けている。


2009年6月25日死去。薬によるアナフィラキシーにより自宅で突然死。享年50。
後に死因はマイケルの担当医師が投薬量を間違えて摂取させたことによる医療ミスであったことが発覚し、この担当医はマイケルの死の二年半後に有罪判決を受けた。

事故、ケガ等[♯hd6c1d74][編集]

久米田康治との関連[編集]

久米田康治作品では顔の整形ネタや(特に鼻の一部が取れたこと)、少年への性的虐待疑惑(後に無罪判決)などで登場する。

さよなら絶望先生作品内にて[編集]

70話では、整形しすぎて原型をとどめていない顔として似顔絵入りで登場した。