三木道三

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三木道三(みき どうざん)[編集]

~本名 ~生年月日 ~出身地 ~職業
CENTER:三木 真一
みき しんいち
1970年2月12日 奈良県生駒市 レゲエDJ

略歴・人物像[編集]

本名は三木真一。1970年2月12日、奈良県生駒市生まれ。京都産業大学外国語学部英米語学科卒。
大学卒業後の1993年頃から、地元のクラブを中心にDJとしての活動を開始。その後音楽にレゲエテイストを取り入れるために、単身ジャマイカに渡って音楽修行を積んだといわれている。帰国後の1995年にシングルCD『JAPAN一番』(JAPjam Internationalレーベル)にてレコードデビュー。以降も、同時期にダンスホールレゲエ系音楽で注目され始めていたAckee&Saltfishとコラボレーションしたセカンドシングル『COM INA DIS』[1]や、日本のヒップホップMCたちも大勢参加した楽曲『MIKI-FM1997ヘルス』などが注目され、日本のレゲエシーンで注目されるのみならず、クラブシーン全体でもその名を知られるようになっていった。


2001年、3rdアルバム『Lifetime Respect』が大ヒット。日本のレゲエ史上初のオリコン1位を獲得、累計売上は約90万枚[2]となった。プロモーションビデオの強面な男が甘い声で「♪一生一緒にいてくれや」というキャッチーなフレーズをヒップホップのリズムに乗せて歌ったインパクトによって、世代を超えて日本社会にも幅広く知られることとなり、日本にレゲエシーンを知らしめることに成功した。2002年には全国47都道府県ツアーを敢行したが、ツアー終了後に無期限の休養期間入を表明、翌年の2003年にMOOMINの楽曲「栽培したい〜世界中で〜」の作詞提供をして以降、全く音沙汰がない状態となった。このため、世間ではいわゆる一発屋として認知されてしまったが、三木の活動自体は継続している。

2008年にINFINITY16とのコラボレーション曲「侍ノ詩」をリリースし、以降はアーティストに作詞提供をする仕事をしている。
2014年DOZAKN11と改名して活動を再開した。


なお、芸名の「道三」は、国盗り物語で有名な戦国時代の大名・斎藤道三に由来するという。

久米田康治との関連[編集]

三木の風采と楽曲とのギャップは久米田先生的にもツボだったらしく、「かってに改蔵」「さよなら絶望先生」の両作品でしばしば取り上げられた。

かってに改蔵 作品内において[編集]

かってに改蔵」において、連載されていた時期が三木のアーティストとしての活動期間と同じ時期であったため、中期~後期ごろに作中でネタにされていた。

さよなら絶望先生 作品内において[編集]

逆に「さよなら絶望先生」では、連載開始時期が三木が音楽活動を無期限休止した後だったため、初期頃にネタにされた程度で、それ以降はネタとして使われていない。

12話では、3rdアルバム『Lifetime Respect』が「一生一緒にいてくれや」の歌詞とともに登場。56話でも取り上げられている。また、30話57話では、往年の人気プロレスラー力道山と絡めたネタで登場した。



なお、44話において、”今はまだ理解されないけど将来きっと認められるはず”の羅列ネタに、”三木道三セカンドシングル”が取り上げられている。しかしながら上述の通り2ndシングル『COM INA DIS』(1996年)はレゲエ業界では既に高く評価されているため、将来認められるという羅列ネタの趣旨には合致しない。この羅列ネタは、久米田先生が2001年に大ヒットした『Lifetime Respect』(通算では21stシングル扱い)をデビュー作と誤解したために生じたネタであると思われる。

  1. 三木名義でセカンドシングルとして発表されているほか、Ackee&Saltfishの1stアルバム「Nah tek Back」の1曲目にも収録されている。このアルバムのジャケット裏にはACKEE、SALTFISHとともに若かりし頃の三木道三の写真も掲載されている。
  2. 出荷枚数ではミリオンセラーであった。