中川翔子

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中川翔子(なかがわ しょうこ)[編集]

~本名 ~生年月日 ~出身地 ~職業
CENTER:中川 しようこ&Br;なかがわ しょうこ 1985年5月5日 東京都 アイドルタレント・歌手

略歴・人物像[編集]

父は歌手で俳優の中川勝彦(故人)。9歳の時に父親の中川勝彦が白血病により死去。以後は母子家庭となり母親によって育てられる。
本名は中川しようこ。出生届に「薔子(しょうこ)」として区役所に提出しようとしたところ「薔」の字が常用漢字及び人名用漢字でなかったため受理されず憤慨、届け出た伯母が怒りのあまりその場でひらがなで「しようこ」と書き殴って提出したためという。(著書『しょこ☆まにゅ』より)。


父の趣味の影響で、アニメや漫画、特撮、ゲーム、カンフー映画などの方面にとても詳しいことで知られる。
漫画家では楳図かずおの大ファン。これは父が怪奇漫画ファンで、幼い娘に楳図漫画や水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』を読ませた影響とのこと。この縁でか声優デビューは2008年に放送された深夜アニメ『墓場鬼太郎』だった。
デビュー前まで漫画家志望だったためイラストも得意で、画風も楳図調。ダウンタウンが出演したフジテレビの深夜番組『考えるヒトコマ』では持ち前の画力でレギュラーとなり、ほか出演したテレビ番組でも共演タレントの似顔絵を描くことも多いが、つい楳図画風に描いてしまうため、ときに相手が引いてしまうご愛嬌も。
2002年にミス少年マガジンに選ばれて以来、週刊少年マガジンのカラーグラビアには多々出演している。


また、自身の公式ブログ『しょこたん☆ぶろぐ』はネット界でもトップクラスのアクセス数を誇る。
自称2ちゃんねらーのアイドル、ヲタのアイドルとしており、マスコミの報道でもその様な扱いだが実際は間違い。(2chのVIP板に集う一部のvipperのアイドルである)


久米田康治との関連[編集]

久米田康治との関係[編集]

久米田先生も『しょこたん☆ぶろぐ』を読んでいるようである。

『さよなら絶望先生』作中にて[編集]

上述の漫画家志望だったことに関して154話で「ショコタンだってあんなに可愛くなかったら、今頃間違いなくJ誌の看板作家で 次巻で5000万部突破ですよ!」と取り上げている。