久米田康治

提供: 久米田康治ワールド Wikiサイト
2021年3月5日 (金) 09:25時点における川口ゲン (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「<!-- &tag(漫画家,作者,久米田康治);<br /> --> ==久米田康治(くめた こうじ) CV※:神谷浩史/櫻井孝宏/村田太志== ※…」)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
ナビゲーションに移動 検索に移動

久米田康治(くめた こうじ) CV※:神谷浩史/櫻井孝宏/村田太志

さよなら絶望先生では神谷、かってに改蔵では櫻井、じょしらくでは村田。


~本名 ~生年月日 ~没?年月日 ~出身地 ~職業
CENTER:久米田 康治&Br;くめた こうじ 1967年9月5日 CENTER:2007年6月21日&Br;生前葬をおこなう 神奈川県横須賀市 漫画家


  1. ref(kumeta1.JPG)

↑デビュー時~改蔵初期の頃までの自画像。被っている帽子は「下ネタ帽」とのこと(かってに改蔵第6話より)
↓改蔵中期~現在の自画像(さよなら絶望先生106話より)

  1. ref(kumeta2.jpg)

人物・略歴

プロフィール

漫画家。本名同じ。
1967年9月5日生まれ。神奈川県横須賀市出身。血液型不明(本当に)。
言わずと知れた『かってに改蔵』や『さよなら絶望先生』の作者。

和光大学人文学部芸術学科卒。美術の教員免許あり。
高校時代はテニス部に所属していた。キックボクシングの経験もあるらしい。藤田和日郎曰く「殺人級」。
高校時代は美大を受験し不合格、大学時代は教員採用枠の減少のため教職を断念し、編集者を志して銀杏社を受けて不合格となった経歴を持つ。

行け!!南国アイスホッケー部』の連載末期以降、執筆は全てパソコンを使用している。

人物像

デビュー作『行け!!南国アイスホッケー部』連載当時には、作中にて「下ネタ帽」を被った漫画家として登場。さらに単行本に自身のヌード写真を掲載したり、週刊少年サンデー読者イベントでも尻を見せるなどの行動が確認されており、自身のシモネタギャグマンガのキャラクターを彷彿とさせるかなり明るく破天荒な人物であったことが窺える。しかし『かってに改蔵』連載中には自画像は無精ヒゲを生やした売れない漫画家に変わり、自虐的かつネガティブな発言が目立つようになるが、これは作風にあわせて作者像を演出している可能性がある(詳細は後述)。

自身が運営するプロダクション「クメタ・プロダクション」のアシスタントとの関係もおおむね良好なようである。過去には自ら慰安旅行を企画し、費用全額負担でアシスタントをセブ島やミコノス島へ連れて行ったりしている。また、過去のスタッフ入れ替えの際にはアシスタント全員を何らかの形でデビューさせるなど面倒見の良さもあるようだ。『さよなら絶望先生』がアニメ化されると、自分が多忙のため見学できなくてもアフレコ収録の度に声優陣に洋菓子を差し入れたりするなど、ネガティブなキャラクターとは裏腹に、気前の良さや面倒見の良さ、周囲の人物への気遣いを感じさせるエピソードが多い。

趣味に関しては、無類のサッカーファンであることが有名で、作中にサッカーネタが頻繁に登場する。また野球ネタ(『かってに改蔵新装版』によると中日ドラゴンズの大ファンらしいが、各球団の選手をネタにしており知識は豊富)も多く見られる。『行け!!南国アイスホッケー部』時代にはF1グランプリ関連のネタも多く見られた。
女優では、近年は蒼井優のファンのようであるが、過去には宮崎あおいやともさかりえに言及したものも多い。

名前を間違えられることが非常に多いようで、しばしば「くめ」と間違われるが正しくは「くめ」。まれに「久保田」と間違えられることもある。それを逆手にとって美容院など通常生活においてはあえて間違いを訂正せず「久保田」を名乗ることもあるという(さよなら絶望先生紙ブログより)。ついには3人目の「久里田」さんも登場してしまった。

久里田さんは洋服屋さんのカードに名前を書くとき四歳サバを読んでいます。
久里田さんは自分へのご褒美にショコラを買いに行きます。

雑誌『hon-nin vol-08』のインタビュー記事より。

漫画家デビュー以前のことや家族について語られることは少ない。過去に美大を受験したが不合格となったことがある(『さよなら絶望先生214話の自虐ネタ)。また家族とは疎遠のようで、実家が新築されたことを友人経由で知らされたり、その際のエアコン設置代を実家に無心されたりしているようだ(さよなら絶望先生紙ブログより)。妹がいるらしいことも明らかになっている(『かってに改蔵』第256話の羅列ネタに「両親の近況を妹から聞くオレ」とある)。

作風について

・キャラクターについて

自作品の登場人物名はそのほとんどがダジャレかパロディーだが、これについてはマトモな名前や現実にあり得ないような名前をつけるのが恥ずかしいからと語っている。

・多種多様なネタ

かってに改蔵』中期以降ではシモネタの頻度が減少し、『さよなら絶望先生』ではほとんどシモネタは見られなくなったが、それと呼応するかのようにアニメや漫画・映画などのマニアックなネタが増加している。また「笑い」を追求してきた作家やコメディアンが年齢とキャリアを重ねるにつれて起きる現象ではあるが、現代社会や国際政治に関する皮肉や社会風刺、政治ネタの割合が増えてきている。
しかし2013年10月から連載を開始した『せっかち伯爵と時間どろぼう』では、マニアックネタに混じって再びシモネタの比率が多めになってきた。
政治的スタンスについてはやや保守的な中道右派的な立ち位置のようだが、作品中では、「ギャグまんがが説教臭くなったらおしまいなのだ!!先人たちの反面教師が活かされていない!!」(『かってに改蔵第239話)、「やめてください社会派とか言うの!ギャグ漫画には悪口ですよそれ!」(『さよなら絶望先生136話)などの記述が確認されている。先生本人はインタビューで作品中の危険なネタについて問われた際に、ネタにするものは必ず2つ以上の逃げ道を作ってあるとのこと。作家いじりなどを編集部に問われても「否定はせずに、それは思った本人のせいだよというふうにしています。」と、相手の心が濁っているからそういう解釈になるというスタンスにしているという(洋泉社『オトナアニメ』Vol.14より)。また「その時々の報道内容をネタにしているため、思想が一定しない」旨の発言もしている。

・高いファッションセンス

作中のキャラクターの衣装や携帯電話など小物などのデザインセンスが非常に優れていると評価が高い。実際に公式ファンブック『かってに研究しやがれBOOK』では、雑誌「ファッションニュース」編集長の向千鶴からも高評価を得ている。編集部内で話題になった現実世界のファッションが翌々週の作品内に反映されることもあるという。その一方で、先生自身もかなり個性的な洋服をうっかり購入して後悔してしまうことが度々ネタになっている(『さよなら絶望先生紙ブログで自虐ネタにされるほか、前田くん寄稿の作品内でも取り上げられているほど)。

・単行本の加筆について

さよなら絶望先生』の単行本には加筆や修正あるいは単行本独自の企画が非常に多いが、これは単行本の発売時にはネタの鮮度が落ちる時事ネタ漫画ゆえのせめてもの読者サービスであるとのこと。また昨今の出版不況の中で、単行本に付加価値をつけることが重要であるとインタビューで答えている(『オトナアニメVol.6』久米田康治12000字インタビューより)。

かってに改蔵さよなら絶望先生 作品内における自画像

作品内には自虐ネタとして自分自身を表現している漫画家として登場する。無精ヒゲが特徴的。
アニメ『さよなら絶望先生』に登場する久米田康治役の声優は、本人がアフレコのオファーを受けなかった(断った?)ため、糸色望役の神谷浩史が声を担当している。またOVA『かってに改蔵』でも同様に主役が声を当て、勝改蔵役の櫻井孝宏が担当した。

略歴

漫画家デビューまで

大学在学中に作品をサンデーまんがカレッジに投稿。
1988年7月、『家庭内紛争』がストーリー漫画部門受賞候補ノミネート(あと一歩で賞)。
同年12年、『地上げにスマッシュ!』が努力賞を受賞。テニスを題材にした漫画であった。
1989年6月、『ゲットインパラダイス』が努力賞を受賞。この作品でアイスホッケーを題材にしており、後の『南国~』の原型的作品と伺える。
1990年12月、『行け!!南国アイスホッケー部』が第27回新人コミック大賞を受賞(入選)。翌年に同作の読み切り掲載でデビュー、週刊少年サンデーに所属して連載開始。

デビュー前のアシスタント経歴は特にない。しかし『南国~』の立ち上げの頃に、他の漫画家のアシスタント歴があったほうが良いであろうとの編集部からの薦めにより、満田拓也先生のアシスタントとして2日ほど務めたことがあるという。
これに関して本人は後に、

最初の『南国』の1話を描いている頃ぐらいに、2日くらい満田さんのところに行ったんですけど。
何か別に何もしなかったですね。
使えないっていうか、できることもないんでただそこに居るだけだったという。
2日でクビ……クビなんですかね?

と述懐している。

南国時代

行け!!南国アイスホッケー部』は週刊少年サンデーに1991年から1996年まで連載された(全249話)。コミックス全23巻の累計発行部数は800万部で、2010年現在においても久米田先生最大のヒット作である。作品詳細は『行け!!南国アイスホッケー部』の項目を参照。

開始当初はスポーツコメディ漫画を書いていた(初期はあだち充作品のような漫画を目指していたらしい)が、途中からスポーツ要素が全くなくなり、単なるシモネタギャグ漫画となっていった。

シモネタばかりが主要素に見られがちだが、連載中期以降はシモネタ以上に純粋なダジャレをこれでもかと浴びせ倒すように連発する展開が非常に多かった。そのほか、時折主人公の蘭堂月斗とメイン・ヒロインの岡本そあらによるラブコメ風の展開になることがあったが、このラブコメが掲載された週のほうがギャグの時よりも評判がよかったことが、後にラブコメ作品『育ってダーリン!!』執筆のきっかけとなったようだ。

シモネタ脱却を図るもあえなく挫折

『南国』終了以後、わずか3週間後から次作『太陽の戦士ポカポカ』の連載が開始された。初期構想では「少年誌の基本に立ち返って、みんなに楽しんでもらえるものを描こう」と、より低年齢層の読者に向けてのヒットを狙っていたようだ。この方針に従い、話題をことごとくシモネタに無理矢理結びつけていた前作の路線とは一線を画し、冒険コメディ路線へとガラリと作風を変えた作品となっている。
しかし作品の人気は低迷。テコ入れとして、悪役「ブラックドリル」が登場し、彼らが世界征服戦略として日常の「よくあること」をテーマにした1話完結形式の「あるあるネタ」を掘り下げる学園ギャグ漫画へのテコ入れが行われた。しかしこのテコ入れもあえなく失敗、全49回で連載が打ち切りとなった。なお、テコいれ後の「ブラックなネタ」はこの作品では模索段階にあるが、1話完結形式でテーマを元にしたコラム調形式としての作風は、次回作『かってに改蔵』で結実することとなる。

この時期にはそのほかにも『ルートパラダイス』や『育ってダーリン!!』などの作品を執筆してシモネタ作家イメージの払拭をはかるが、一時期スランプとなったようだ。なお、この時期の作品に対しては後に挫折的認識に基づいた総括を述べており、以降の『かってに改蔵』から現在に至る、ネガティブかつ自虐的な作風が醸成される要素となったようである。

1992年には、黒沢哲也(作中では「黒沢原作」名義)原案の読み切り作『アシという名のもとに~まんが家アシスタント残酷物語~』を描いている。

言いたいことはわかる。何も言うな。あの頃は普通の人にも好かれたかったのだ。
正直言おう。ともさかりえで主演になってくれればいいと思ってた。
でも、それは間違いだった。
人には分というものがあり、自分の範疇にないことをするもんではないんだ。
それはもう、世の中には多才な人もいるでしょう。
ミュージシャンと作家の間をいったりきたり、漫画家とタレントをいったりきたり、
そんな多才な人もいるでしょうが、私はそうではない。
同じ漫画のジャンルの中でもいったりきたりできない、
心も狭ければ能力も狭い人間ですよ。
笑いたければ、笑うがいい、自分の範疇からはみ出したはみ出し者を!
私は愛やら恋やらを描かせたら不得手な人間、スポーツ漫画も描けなかったですし、
風俗漫画も、冒険漫画も中途半端で… ていうか、オレの範疇って何?
また、死ぬ理由ができた。

育ってダーリン!!』新装復刊に寄せたコメントより。

かってに改蔵』連載期

1998年からの『かってに改蔵』では、連載当初にはシモネタがみられたが、作品中期よりブラックユーモアとマニアックなネタを中心としたマンガを世に送り出し、マニアの間で支持を獲得、シモネタ脱却に成功[1]しスランプから脱出した。
かくして作風の特異化を進めると共に人気は増していったが、2004年、アニメ化の噂や公式ファンブックの発売など、連載が軌道に乗っていた矢先に突然の打ち切りとなる。理由は不明だが、「サンデーの読者層低年齢化路線に合わなかったため」という説が有力。詳細はかってに改蔵#突然の打ち切りを参照。

ちなみに、本人の最も古い打ち切り経験は、小学生時代に学級新聞で友人を題材にした漫画を描いた時の担任教師からの圧力であったという。

まさかの[[『週刊少年マガジン移籍<br /]]』連載期

その後しばらくの間をおいてヤングガンガンで『いいがかり姉さん』、 週刊ヤングサンデーで『特に負けても構わない戦いがそこにはある〜サレジオ落穂によろしく(仮題)〜』を発表。

2005年4月から週刊少年マガジンに移籍して『さよなら絶望先生』を連載。
この移籍にあたり週刊少年マガジン編集部では、[[週刊少年サンデー連載作品において他の漫画家<ref]]、藤田和日郎青山剛昌、村枝賢一、椎名高志北崎拓、猪熊しのぶ、万乗大智といった同業の面々がターゲットとなっていた。</ref>やその作品をネタに用いる、いわゆる「作家いじり」の傾向について問題視された。
とりわけサンデー作家でありながらマガジン作家の赤松健先生をいじり倒した一件[2]から、両者の仲が険悪ではないかと編集部も懸念していたようで、実際には2004年時点から赤松先生サイドには編集側からネタの扱いについて打診があったようだ。なお赤松先生は移籍について快諾している。

この間に、クメプロアシスタントであった畑健二郎が独立し、週刊少年サンデーにて『ハヤテのごとく!』連載を開始。2010年現在は同誌の看板作品となった。
ハヤテのごとく!』作中にも久米田康治をモデルとした漫画家が登場しており、その際この人物は「師匠」と呼ばれている。2006年に『ハヤテのごとく!』連載100回記念企画として週刊少年サンデーで行われたの人気投票では、久米田康治が見事(?)14位(職業欄にニートと書いた人限定だと1位)を獲得。やはり自虐的なコメントを残した。

2007年『ハヤテのごとく!』のTVアニメ放映からやや遅れて、念願にして待望の『さよなら絶望先生アニメ化が公表された。(詳しくは「アニメになるまで さよなら絶望先生編」の項目を参照)

そして同年5月、同作が講談社漫画賞(少年部門)を受賞。
その際行われた二次会が独特のもので、これに対しサンデー・マガジン双方の漫画家がその出来事をブログなどに書いている。
講談社漫画賞受賞コメント(モーニング掲載記事より)

2009年9月より別冊少年マガジンにて『じょしらく』の連載を開始する。
さよなら絶望先生』との並行作業となり負担が増したようだが、 久米田先生によると4人前のカレーを5人前にして出しているとのこと。

2010年4月より画業20周年記念として小学館から『かってに改蔵』の新装版が発売される。
さらに同作は(テレビでは部分的にしか放送されなかったが)念願のアニメ化も果たした。本人にも信じ難い出来事らしい。

2012年6月に『さよなら絶望先生』、2013年9月に『じょしらく』(原作担当)の連載を相次いで終えた。

せっかち伯爵と時間どろぼう』連載期

2013年11月から『せっかち伯爵と時間どろぼう』の連載を開始。
『せっかち伯爵と時間どろぼう』はコメディ作品であるが、シモネタを封印してきた前作『さよなら絶望先生』とは打って変わって、『行け!!南国アイスホッケー部』時代を彷彿とさせるようなシモネタを含むギャグテイストとなっている。

経歴・番外(ラジオ出演)

2003年5月31日(かってに改蔵第21巻が発売されるちょっと前のころ) 当時同じサンデー系列だった先輩漫画家の島本和彦がパーソナリティを務めるラジオ番組(北海道ローカル)で『[[途中で話に出てくる「藤田先生」とはかってに改蔵』が取り上げられ、久米田康治本人が番組後半に電話で出演した。陰気オーラで番組アシスタントの室田智美アナをイラつかせる。<br /]]のこと。

本人出演部分(1:30~)

そしてこの出来事について後日、単行本第23巻のあとがきで振り返っている。

  1. ref(gojitsu.jpg)

更に2008年8月15日にサイン会のために訪れた台湾で8月16日深夜に放送されたFM局「飛碟電台」の『青春點點點』にゲスト出演し、「イケメン」と褒められたり金城武が好き?、「マンゴーが食べたい」、「家賃は幾らですか?」、高層マンションに住んでる赤松健の近所に住んでるが話したことはないなどの発言をしている。(⇒ニコニコ動画
また9月18日深夜にも、再び台湾FM警察廣播電台(警廣)の《星夜麒航》漫畫奇緣コーナーにインタビュー出演した(収録自体は8月15~16日に行ったと思われる。⇒ニコニコ動画⇒Youtube1⇒2⇒3
ちなみに、これら動画サイトにて音源が晒されたことについて知っているらしく「日本では晒されないだろうと思って出たのに」と発言している。

一方で、肝心のWebラジオ『さよなら絶望放送』への出演は頑なに拒否した。
発端はMAEDAX Gゲスト出演。この際に自身も出演しようかと考えたが、声優のMAEDAXに「ゲストは声優さんに限る」と言われたことから、「もう絶対出ない」と態度を決める。そして「神谷浩史ショーになったら、来世で考える」と表明した。(第十六集紙ブログより)
そのため「ザ・神谷浩史ショー」へのゲスト出演がMAEDAX経由で打診されたが、あくまで「来世で考えると書いたじゃないか」とスルー。(第79回OPトークより)
結局ゲスト出演は叶わなかったものの、第200回第01回放送開始前に肉声を録音した(という体で)お祝いメッセージを寄せる。さらに最終回となった第203回でもメッセージを寄せ、収録後に行われた打ち上げにも参加した。

2020年、「かくしごと」がアニメ化直前になると、なぜか絶望先生の時と異なり、メディア露出が多くなる。
3月19日、放映開始直前に神谷浩史との対談動画がYoutubeで3回にわたって配信された。この動画は、その最後で収録場所が小学館であることを明かすという、見事なオチを見せつけた。
4月14日、BS日テレの番組「あの子は漫画を読まない」で「かくしごと」特集が組まれ、ゲストとして登場。初のテレビ出演を果たした。

作品リスト(投稿作を除く)

~作品名 ~掲載雑誌 ~掲載号
行け!!南国アイスホッケー部 週刊少年サンデー 1991年15号〜1996年34号
アシという名のもとに~まんが家アシスタント残酷物語~ 週刊少年サンデー 1992年9月増刊号
ルートパラダイス 週刊ヤングサンデー 1993年15号〜1994年14号
[[[[週刊少年サンデー 育ってダーリン!!]] 少年サンデー超(スーパー)<br /]] 1994年12月増刊号〜1996年6月増刊号
2002年19号〜20号
幽良物件仲介します 週刊ヤングサンデー 1996年7号
太陽の戦士ポカポカ 週刊少年サンデー 1996年39号〜1997年39号
かってに改蔵 週刊少年サンデー 1998年21、22号〜2004年34号
いいがかり姉さん ヤングガンガン 2005年9号
特に負けても構わない戦いがそこにはある〜サレジオ落穂によろしく(仮題)〜 週刊ヤングサンデー 2005年27号
さよなら絶望先生 週刊少年マガジン 2005年21、22号〜2012年28号
「ガラスの仮面」トリビュート・ショート
トリビュート失格~呼ばれてすいません~
別冊花とゆめ 2008年12月号(10/25発売)
[[[[三十六日目/芝居プロ じょしらく]](原作・原案+<ref]]のみ。特別編/ヨッシャ怪談では「+」が外れている。[[) [[別冊少年マガジン 三十七日目/イ田祭]]からまた原作に戻っている。</ref]] 2009年9月創刊号〜2013年10月号
下請探偵 鋸織粕日郎シリーズ 『密室の留学生』 週刊少年マガジン 2013年4・5合併号
東風(不)見聞録 週刊少年サンデー 2013年35号
せっかち伯爵と時間どろぼう 週刊少年マガジン 2013年49号~2015年6号
オフサイドトラップ 週刊ヤングマガジン 2015年6号
スタジオパルプ 楽園 Le Paradis 17号(2015年)~連載中
かくしごと 月刊少年マガジン 2016年1号〜連載中

その他の著作リスト(寄稿、インタビュー等)

  • 1998年**月**日『コミッカーズ』8月号に寄稿。
  • 2000年**月**日 コンプティーク12月号増刊『かのうぉ』にカラーイラストを寄稿。
  • 2003年08月26日『STREET FIGHTER15周年最強読本』にイラストを寄稿。
  • 2003年12月06日『かってに改蔵 公式ファンブック かってに研究しやがれBOOK』にインタビュー、書き下ろし絵本等掲載。
  • 2004年03月27日 ゴツボ×リュウジ作『ササメキ』0巻の帯を執筆。
  • 2004年09月29日 竹本泉作『トゥインクルスターのんのんじーEX』に寄稿。
  • 2004年11月25日『週刊ヤングサンデー』2004年52号にPSP発売に際してのイラストを寄稿。
  • 2005年02月28日 安彦良和作『王道の狗』4巻の帯コメントとイラストを執筆[3]
  • 2005年06月23日 木尾士目作『げんしけん』6巻特装版同人誌に寄稿(夢ひろし名義)。
  • 2006年02月28日『ぱふ』4月号のまんが家大アンケートに参加。
  • 2006年05月06日『創』6月号に荒川弘との対談及びイラストを寄稿。
  • 2006年07月29日『ぱふ』9月号にインタビュー掲載。
  • 2006年11月21日『僕たちの好きなガンダム―永遠に残したい名場面100』にカラーイラストを寄稿。
  • 2007年03月15日『季刊エス』18号にインタビュー掲載。
  • 2007年04月25日『くじびきアンバランスDVD-BOX III』アンソロジーピンナップ・イラストを寄稿。
  • 2007年08月30日『ぱふ』10月号にインタビュー掲載。
  • 2007年09月15日『季刊エス』20号にインタビュー掲載。
  • 2007年09月21日『アニカン』に神谷浩史との対談掲載。
  • 2007年10月06日『オトナアニメ』6号にインタビュー掲載。
  • 2007年10月23日 田中ほさな作『乱飛乱外』4巻の帯を執筆。
  • 2007年12月04日『このマンガがすごい2008』のアンケートに回答。
  • 2007年12月15日『うる星やつら 新装版』27巻にラムちゃんのイラストと文章を寄稿。
  • 2008年01月01日『さよなら絶望先生序~絶望少女撰集~』、ブックレットにインタビュー掲載。
  • 2008年01月09日『マンガ・エロティクスF』のピンナップを執筆。
  • 2008年01月10日『アニメージュ』2月号にインタビュー掲載。
  • 2008年02月10日『アニメージュ』3月号に単行本十集で使用されたアヌメージョのカラー版を掲載。
  • 2008年03月10日『アニメージュ』4月号で小黒祐一郎と対談。
  • 2008年03月19日『季刊エス』22号で新房昭之龍輪直征宮本幸裕と対談。
  • 2008年03月26日『俗・絶望劇伴撰集』に収録のトロイメライを作詞。
  • 2008年04月**日 演劇『49日後・・・』パンフレットに生前葬のイラスト、感想を寄稿。
  • 2008年07月18日『となりの801ちゃん3限定版』プレミアム小冊子に4コママンガ+コメントを寄稿。帯のあおり「『絶望した-。久米田康治に絶望した-。』by小島アジコ」。作者と久米田の関係については111話を参照。
  • 2008年08月08日『このマンガがすごい! SIDE-B』にロングインタビュー掲載。
  • 2008年09月08日『hon-nin』vol-08にコラム掲載。
  • 2008年09月18日『ひだまりスケッチ×365』第12話エンドカード担当。
  • 2008年10月25日『別冊花とゆめ』12月号の『「ガラスの仮面」トリビュート・ショート』に「トリビュート失格~呼ばれてすいません~」(3ページ)を寄稿。
  • 2008年10月**日『ef - a tale of melodies.』第06話エンドカード担当。
  • 2008年12月26日『月刊少年シリウス』2月号にカラーグラビアイラスト掲載。同イラストのTシャツを同紙上で販売。
  • 2009年02月17日OAD【獄・】さよなら絶望先生・下収録「一本昔ばなし」の脚本を執筆。
  • 2009年03月**日『まりあ†ほりっく』第09章エンドカード担当。
  • 2009年05月**日『夏のあらし!』第09話エンドカード担当。
  • 2009年06月26日 安彦良和作『愛蔵版 機動戦士ガンダム THE ORIGIN V -シャア・セイラ編-』への特別寄稿
  • 2009年06月30日『アニメ化物語オフィシャルガイドブック』にイラスト寄稿。
  • 2009年07月17日 藤田和日郎著『画業20周年記念全集 藤田和日郎魂』に寄稿。
  • 2009年09月15日『季刊エス』28号に新房昭之との対談、単独インタビュー掲載。
  • 2009年11月10日『オトナアニメ』vol.14にインタビュー掲載。
  • 2009年12月17日『TV ANIMATION懺・さよなら絶望先生絶望読本』で新房昭之と対談。
  • 2010年10月01日『季刊エス』32号に画業20周年記念インタビュー(かってに改蔵第1話ネーム・最終話原稿ほか)掲載。
  • 2010年11月10日『戦国大戦-1560 尾張の風雲児-』にイラスト寄稿。
  • 2011年03月17日『エースの系譜』の表紙を担当。
  • 2011年03月24日『別冊オトナアニメ コミック×アニメの最前線!!』にインタビュー掲載。
  • 2011年04月28日『毎月あだち充』vol.1の小説「タッチ~もうひとつのラストシーン~」の挿絵を担当。[4]
  • 2011年05月03日『さよなら絶望先生全書』にインタビュー掲載。
  • 2011年06月15日『季刊エス』35号にインタビュー掲載。
  • 2011年08月04日『週刊ファミ通』にニンテンドー3DS用ソフト『謎惑館』の紹介漫画を寄稿。
  • 2011年08月18日『かってに改蔵 公式ファンブック かってに研究しやがれBOOK完全版セット』にインタビュー掲載。
  • 2012年08月05日『成程』(著:平方イコルスン 発行:白泉社)単行本第1巻にイラスト寄稿。

他、掲載雑誌上での企画等、多数。

  • 2014年01月06日『りぽぐら!』の挿絵を担当。
  • 2014年08月14日ペンタブレットメーカー『ワコム』のホームページにインタビュー掲載。
  • 2015年04月26日『アルスラーン戦記』第04話エンドカード担当。
  • 2018年1月29日佐倉綾音写真集「さくらのおと」にイラスト寄稿。

関連ページ

(閲覧には文字エンコードの変換が必要)
WEBサンデー>httpまんが家バックステージ>httpでも、こまめに連載するのでネット上で一時期話題になった。そのまめさは、弟子の畑健二郎に継承[5]された。
久米田康治のページは、2005年の『さよなら絶望先生』の連載開始後にも更新されたことで話題となったが、2006年4月に削除された。その後『かってに改蔵新装版の刊行開始に合わせて2010年に復活した。

おまけ

  1. しかし中期以降もスパイス程度の下ネタは有り。
  2. 実際に赤松先生が自身のサイトで「久米田の野郎」と反応したことからファンの間で騒動となり、この際には赤松先生が弁解することで騒動は収まっている。
  3. この当時『さよなら絶望先生』の連載開始前であったが、イラストには糸色望が描かれている。
  4. 以降の続刊も担当。
  5. 2004年のハヤテ連載開始から2012年の一時休載まで毎週更新を続けていた。連載再開後に更新も再開したが、10月17日付けのVol.403をもって当面の間更新を停止する旨を発表している。