石原慎太郎

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石原慎太郎(いしはら しんたろう)[編集]

~生年月日 ~出身地 ~職業
1932年9月30日 兵庫県神戸市 作家、政治家


第14代~第17代東京都知事。一橋大学法学部卒業。
自身が参議院議員1期、衆議院議員8期を勤め、環境庁長官、運輸大臣と閣僚経験もあるほか、長男の石原伸晃、三男の石原宏高も衆議院議員を勤めるなど、いまや石原家は政治家一家となっている。
俳優の石原裕次郎は実弟。次男はタレントの石原良純小泉純一郎元首相は遠縁にあたる。

略歴[編集]

作家として[編集]

大学在学中の1956年に、処女作である『太陽の季節』が第34回芥川賞を受賞。この作品が映画化されるにあたって、実弟の石原裕次郎を銀幕デビューさせている。
一方で、この時代の石原が執筆した一連の小説群が倫理的にも性的にも奔放であったことなどから、これら小説群に影響を受けて無秩序な行動をとる若者や同映画作品と似たようなファッションをする若者のことを、ジャーナリストの大宅壮一は「太陽族」と呼称した。実際に、これら作品群に影響を受け犯罪行為を起こす若者が増加し、『完全なる遊戯』『処刑の部屋』に影響を受けた強姦暴行事件等が複数発生したことから、『太陽の季節』をはじめ、『処刑の部屋』、『狂った果実』などの映像化された石原作品は「太陽族映画」として未成年者の観覧を禁止するなどの制限が各地で実施され、社会問題ともなった。[1]またこの規制問題を契機として、映画業界以外の第三者を加えた現在の映倫管理委員会(いわゆる「映倫」)が組織されることとなった。

以降も、『スパルタ教育』、『「NO」と言える日本』、『老いてこそ人生』などの著作がベストセラーとなり、その売れ行きは石原が自身のことを「価値の&ruby(びんらんしゃ){紊乱者};」と自称したほどであった。

衆議院議員として[編集]

1968年に参議院議員選挙に全国区から出馬し初当選。当初は知名度を活かしたタレント議員ではないかと評価されていたが、1972年には衆議院に鞍替え出馬し当選、以後連続8回当選し、保守系の政治家として注目を集める。その後福田赳夫内閣では環境庁長官、竹下登内閣では運輸大臣をそれぞれ務めた。
運輸大臣時代には、成田空港の不便さを指摘し、建設途中で中止となった成田新幹線の路盤と駅などの設備の一部を活用してJR東日本と京成電鉄線を成田空港内まで乗り入れさせる案を「鶴の一声」により指示し、成田空港の利便性を向上させるなどの業績を挙げた。
1989年にはリクルート事件の影響で派閥の領袖が出馬できなかった自民党総裁選に立候補するも、竹下派の支援を受けた海部俊樹に敗れたため首相の座にはあと一歩及ばなかった。1995年に議員勤続25年を祝う永年勤続表彰の場で、突如辞職を表明して衆議院議員を辞職した。


なお、この間1975年の東京都知事選挙において、現職の美濃部亮吉知事に挑戦する形で出馬したものの、あえなく落選している。

東京都知事として[編集]

1999年の東京都知事選挙に出馬し、舛添要一、鳩山邦夫や明石康などの知名度がある有力候補がひしめく中で100万票を集めて当選、以降2010年現在まで3期を務める。
悪化した都財政の健全化を行うため、職員給与など人件費圧縮や福祉教育部門、学術研究予算の削減を行う一方で、ラッピングバスなど広告収入を増加させる政策も併用し都の財政は黒字化。都税の増収もあって債務は減少しつつある。またディーゼル車排ガス規制、警察官増員と摘発強化による犯罪減少、東京都立大学の改組、羽田空港再国際化などの業績を挙げた。
一方で、自らの発案になる大型プロジェクトへ積極的な投資をすることも特徴であるが、2016年東京オリンピック誘致の失敗、築地市場移転計画や臨海副都心事業、新銀行東京の財務悪化問題など多選の弊害も生まれ始めている。
その中でも特にオリンピック誘致の失敗に関しては、選考されなかった主な理由が(あくまで他の候補地と比べた場合であるが)住民の意識の低さであり、オリンピックの誘致自体が住民の意志ではなく石原本人が歴史に名前を残すための暴走ではないかといわれている。

2011年の東京都知事選には当初立候補しない方針だったが、その後翻意し2011年3月11日に4選を目指して出馬を表明[2]し、当選を果たした。
2012年10月25日に国政復帰を理由として都知事の辞任を表明し、同月31日に辞職した。都知事の在職4941日(約13年半)は歴代2位の長さとなる。

国政復帰[編集]

都知事辞職後の11月13日にかねてより関係の深かった政党「たちあがれ日本」に合流し、党名を「太陽の党」へと改称し平沼赳夫とともに共同代表となる。民主・自民に次ぐ第3極の結集を狙い、結党から4日後となる17日に橋下徹大阪市長の「日本維新の会」との合流を正式発表し、日本維新の会の代表[3]に就任。12月に行われた衆議院議員選挙にて比例代表東京ブロックから当選し、17年ぶりの国政復帰を果たした。

人物像[編集]

保守系・右派の政治家として知られ、歯に衣着せぬ発言が多くの保守層を中心に広く支持を得ている。 また、漫画等での18歳未満の性描写に対しては批判的なスタンスであり、そういったものが性犯罪のひとつの要因であるであるとして上述の条例を制定した。 さらに、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震による大津波等で甚大な被害が発生した際には、「被災された方には耳障り」とした上で津波を「我欲にまみれた日本に対する“天罰”」と発言(発言翌日に撤回し謝罪)し物議を醸した。

政策[編集]

漫画規制問題[編集]

2010年の都議会定例会議以降、石原都知事は成人向け漫画の愛好者を激しく非難し、18歳未満を対象にした児童ポルノの規制強化という名目で青少年健全育成条例の改正を協議し始めた。
法案では、漫画・アニメーションなどにおける青少年の性的描写が青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害するため、これを規制するという趣旨であった。またこの改正案では、周囲の描写から18歳未満として表現されている漫画・アニメ・ゲームのキャラクターを「非実在青少年」として表現規制する項目や、画像や図版を持っている行為を規制する「単純所持」規定が盛り込まれていた。この法案については、児童ポルノを隠れ蓑にして表現が規制されることを懸念して、2010年3月15日に『ハレンチ学園』などでおなじみの永井豪先生らが東京都庁内で記者会見を行い、改正反対を訴える漫画家約60人のリスト(参考⇒★>http)を発表して改正の撤回を訴えた。また、日本ペンクラブも「いかに健全な表現であろうと恣意的に不健全と判断される恐れがある」と批判している。
しかし、「非実在青少年」を規制することが、際限のない拡大解釈につながるとして、6月16日に賛成少数で否決された。


その後、11月22日に東京都から同法案の改正案が提出された。ここでは規制の範囲が漫画・アニメ・その他の画像で実写を除くもののみとするものであったため、改正案は2010年12月15日に「作品に表現した芸術性、社会性などの趣旨をくみ取り、慎重に運用すること」という付帯決議付きで与野党の賛成多数で可決された。


法案の成立を受け、角川書店社長・井上伸一郎は、漫画家やアニメ関係者に対しての、都の姿勢に納得がいかないところがあるとして、2011年3月開催の「東京国際アニメフェア」(東京都主催)への出展を取り止め、12月10日には角川を含む「コミック10社会」がこの動きに追随しアニメフェアのボイコットを決めた。さらに東京アニメフェアに対抗する措置として、2011年3月26-27日に千葉・幕張メッセにて対抗イベント「アニメコンテンツエキスポ」の同日開催を決定する(⇒★>http[4]など、出版業界は対立姿勢を深めている[5]
また、上述のように自らの実写映像作品が性的に問題のある作品でありながら、漫画・アニメなどの実写を除くものを規制対象としたことも「個人的な感情で公平性に大きく欠けるのではないか」という非難も出ている。
なお、東京国際アニメフェアとアニメコンテンツエキスポは共に東日本大震災の影響により中止になった。中止になったことについて石原都知事は、5月17日に出演したニコニコ生放送にて「描くなとは言っていない。子供の手の届く所に置くなと言ってるだけ。それなのに大手出版社まで被害妄想で文句を言ってきた。アニメエキスポも震災でパーになった。ざまあみろってんだ。」と発言している。

久米田康治との関連[編集]

久米田康治との関係[編集]

さよなら絶望先生 作品内では似顔絵や著作を背景に登場させるなど、比較的好意的に取り扱っていた。
しかしながら、2010年に上述の漫画規制問題が表面化すると批判に転じた(後述)。

さよなら絶望先生 作品内にて[編集]

初出は44話で、背景に石原とおぼしきイラストが登場している。
以降も作品背景に石原の著書が取り上げられることが多く、47話55話には、『日本よ』が、また166話,168話には『日本よ、再び』が登場した。政策面では、59話61話では、ディーゼル車規制が取り上げられていたほか、181話では東京オリンピック誘致失敗が、195話では都営地下鉄大江戸線の命名問題が、それぞれネタにされた。
そのほか、161話には直接関係がないものの、石原軍団が登場している。


2010年末に、上述の東京都青少年健全育成条例の成立を受け、247話では石原と思しき人物が登場、著書『太陽の季節』の一番のキモであるシーンを再現させて登場した。


第二十四集の前巻のあらすじでは、ロリンピック誘致失敗の原因を作った黒幕として登場している。

Webラジオ「さよなら絶望放送」にて[編集]

第171回の「お別れの一言」で、東京都青少年健全育成条例改正の際の記者会見での発言がネタにされている。
第182回のOPドラマで、東北地方太平洋沖地震の際の「天罰」発言がネタにされている。

じょしらく 作品内にて[編集]

アニメ「じょしらく」 作品内にて[編集]

水島努監督にとってネタにしやすいのか、アニメ版では原作より多くネタに挙がっている。

  1. 『完全なる遊戯』にいたっては、原作の内容があまりにも酷過ぎることから、映画版の内容は全くの別物として制作されたほどであり、2002年に放映されたTVドラマ『太陽の季節』も、タイトルだけを借りたオリジナルとして制作された。
  2. 都議会での出馬表明後に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生し、記者会見はキャンセルされた。
  3. 2013年1月に橋下徹代表代行が同格のポストへ昇格し、共同代表となる。
  4. 実行委員会のメンバーには、コミック10社会のメンバーの角川書店(自社作品のアニメーション制作・ビデオグラム発売も行う)やキングレコードスターチャイルド)、アニプレックス、ジェネオン・ユニバーサル、メディアファクトリーなど大手アニメメーカーに加え、アニメイトグループ(アニメイト/フロンティアワークス)も名を連ねている。
  5. 成人向け漫画における法廷闘争では2002年に起きた松文館裁判>httpにおいて2007年に著者と出版社の有罪が確定しており、この事件以降業界の危機感はより強まっている背景もある。ちなみに、台湾でも1966年に施行された「漫画審査制度」で表現が大きく規制された結果業界は壊滅し、1987年に廃止された時には既に回復困難なほどの衰退に至ったことが皮肉にも日本産の作品が大きく歓迎される状況にあった実例もある。