竹田哲也

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竹田哲也(たけだ てつや)[編集]

~生年月日 ~出身地 ~職業
1975年5月7日 香川県高松市 漫画編集者


講談社社員。2008年まで週刊少年マガジン編集部にて「さよなら絶望先生」の担当編集者であった。
「武田鉄矢」と百万回言われてるだろうと思われる人物。


稀に作中、名刺が出てくる。
初登場は54話だが、48話臼井影郎の財布の中に竹田の名刺の一部が見える。


2008年6月の人事異動で週マガ編集部から、「なかよし」の編集部に移った模様。
これに際し久米田先生も単行本十四集の巻末で竹田氏へ「なかよし」向けの送別企画を送っており、編集者として良好な信頼関係を築いていたことが推察される。
番外編『楽天大賞』の企画「お年始ボヤキ初め!」に久し振りに登場、OADをもらえなかったことに絶望していた。

もうしま』の作中で彼女にカルティエの腕時計をあげた事を暴露されていた。
ただし本人は「母へのプレゼントである」とそれを否定。また、久米田康治にはエドワード・ゴーリーの本を贈っており、同作の猟奇要素増幅にさりげなく貢献している。
「思春期にナディアを見た人はトーンを貼った娘に異常に萌える」説のきっかけにもなった。
また、アニメ版のマリアの肌の色もナディアを意識したものであるとされている。

2012年3月17日にNHKで放送された『海外ネットワーク』にて、講談社が中国で漫画雑誌を創刊する話題が取り上げられ、竹田氏も編集者として参加している近況が紹介された。

【異色対談】荒川弘×久米田康治[編集]

「創」(2006年6月号)の「【異色対談】荒川弘×久米田康治」では立会いをしていた。

久米田「優秀なのは、発売日の前の前の週の金曜日まででしたっけ。
    それが間に合わないと週明け。」
竹田「そう。平均して次の火曜日くらいにもらってますね。」
久米田「本当、いつもスイマセン。」
荒川「伏せ字にするしないの区別とかは。」
久米田「それは基本的に僕の仕事じゃないんで。」
荒川「あ、そうなんですか?」
竹田「はい。」
荒川「編集さんのお仕事だったんだー。」
竹田「一応、伏せ字の基準はあります。」
久米田「明らかな悪口は伏せ字ですね。あとが怖いんで。」
竹田「久米田さんは、講談社に来るのは本当に久しぶりですよね。
   前に来たの、連載前でしたから。」
久米田「……来てもいいなら、来ますよ。」
竹田「いいって言ってるでしょうが!(笑)。」
━━久米田さんの場合、紙の原稿ではなく、データをCDに焼いてる
んですよね。
久米田「そうです。」
竹田「CD-ROMをもらいに行って、それでネームの部分だけ
   テキストに打ち変えて、データで入稿です。」
━━「絶望先生」3巻、ランキングすごい上がってるみたいですよ。
竹田「わ、そうなんですか。」
久米田「嘘です。風説の流布ですよ。」
荒川「人を信じましょうよ!(笑)。」

この対談を担当した「創」の編集者によれば、

「久米田さんの担当さんがわたしの高校の2コ先輩であることが発覚。
 世間は狭い。ビバ香川県。」

と書かれていることから、香川県出身であるようだ。
また同編集者は久米田康治の10歳下、との記述もある。

上記以外にも担当当時の各誌インタビュー記事には「担当編集者」の名で登場し、 久米田先生のフォローに当たる竹田氏の姿が多々見られた。