麻生太郎

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麻生太郎(あそう たろう) CV:上田燿司/[[有本欽隆<ref]]では上田燿司、じょしらくでは有本欽隆(役名は「ローゼン閣下」)が担当。</ref>[編集]

~生年月日 ~出身地 ~職業
1940年9月20日 福岡県飯塚市 政治家


第92代内閣総理大臣。自民党所属の衆議院議員(当選11回)。
学習院大学政経学部政治学科卒業。
吉田茂を母方の祖父に持つ。
2009年の衆議院議員選挙にて、自民党総裁として歴史的敗北を喫した。


略歴[編集]

政界入りまで[編集]

父は麻生財閥の総帥・麻生太賀吉、母は吉田茂元首相の三女・和子。高祖父に大久保利通、曽祖父に牧野伸顕、祖父に吉田茂元首相、義父は鈴木善幸元首相という血統だけなら超一流。


学習院大学卒業後、スタンフォード大学大学院、ロンドン大学に留学しているが、肝心の学位は取得できないまま帰国。家業である麻生産業に入社、後に同社の中核会社となる麻生セメント代表取締役社長に就任。
社長業の傍らで1976年のモントリオールオリンピックにクレー射撃の日本代表選手として出場(成績は41位)。
1979年10月、第35回衆議院議員総選挙に旧福岡2区から出馬し、初当選。政界入りする。

首相就任まで4回の挑戦[編集]

1996年に第2次橋本内閣の経済企画庁長官に就任し、初入閣。
2001年4月、自民党総裁選に出馬し、小泉純一郎、橋本龍太郎と戦い31票で3位となったことで注目され、小泉政権下で重用されるようになる。第一次小泉内閣では入閣せず自民党政務調査会長、その後第2次小泉改造内閣で総務大臣、第3次小泉改造内閣で外務大臣を務める。
小泉首相の任期満了後の次期総理大臣候補 の一人として二度目の総裁選に出馬。
2006年9月26日に発足した安倍晋三内閣で再度外相に就任。内閣改造後は自民党幹事長に就任。


三度目の挑戦となった2007年9月の自民党総裁選では福田康夫に敗れ、以来袂を分かつ形で閣僚及び党役職には就かなかったが、2008年8月に行われた第一次内閣改造にて福田首相の説得で再度幹事長に就任。同年9月、福田首相の辞任により、総裁選に再度立候補。小池百合子らを抑え4度目の挑戦にして自民党総裁に就任、同24日には第92代内閣総理大臣に指名され麻生内閣が発足している。

麻生政権[編集]

麻生内閣の発足後、アメリカのサブプライムローン問題を発端とする世界的経済危機が表面化。選挙の顔として期待されていた麻生政権は、一転経済危機への対応を迫られることとなった。世界同時不況の中もっとも財務状態がよかった日本は急激な円高に見舞われ、需要は前年比5割を割り込み輸出企業にとって厳しい情勢であった。麻生内閣では、休業補助、緊急融資や株式の買取など、企業経営が危機的な状況に陥ることを防ぐための緊急経済対策が実施された。


その一方で、首相就任後に中山国土交通省の「日教組ぶっ潰す」発言や中川財務大臣の酩酊問題など閣僚のトラブルに見舞われたことに加え、マスコミを中心に「高級ホテルのバー通い」「カップラーメンの値段」「漢字の読み間違い」などを次々と攻撃されたことなどから、支持率は下降線を辿っていった。


解散総選挙がいつ行われるかが焦点となったが、国会の会期を2009年7月28日まで延長したことから衆議院の任期満了をもって衆議院議員選挙が行われる可能性(順当にいけば9月10日に任期満了、10~11月頃に総選挙)が高まった。しかし7月12日に投開票が行われた東京都議選で与党が敗北したことを受け、7月21日に衆議院を解散した。
この際に自民党内からの「麻生おろし」(両院議員総会開催による首相辞任要求)などによって党内の結束が乱れたまま解散総選挙に突入することとなってしまう。 政権交代を求める激しい逆風の中、第45回衆議院議員選挙で麻生首相率いる自民党は歴史的敗北を喫し政権与党の座から転落、麻生首相は自民党総裁の辞任を表明した。そして2009年9月16日に内閣を総辞職し、自民党総裁も辞任した。

自民党の与党復帰[編集]

2012年12月の衆議院議員総選挙で自民党が大勝を収め政権与党へ復帰し、第二次安倍内閣が成立すると、副総理・財務大臣・金融担当大臣[1]として入閣した。

人物像[編集]

保守系ながら軽妙かつ毒舌な発言は時折前のめりな着地点になるため、豪快で演説上手の評価を得る一方で配慮不足との批判もある。本人いわく、「生まれはいいが口は悪い」とのこと。


漫画好きで知られており、週刊漫画雑誌のほとんどを読み流していると豪語しているためか、オタク層からの支持も高いが、本人の言では「漫画を通して時代が分かる」とのこと。なお、元々読書家で、漫画だけを読んでいるわけではないという。
近年では、2006年に講談社が創刊したオタク専門情報誌『メカビ』のインタビューにも堂々と応えており、くだけた一面も見せた。
また、大臣時代に空港のラウンジにてPEACH-PITの漫画『ローゼンメイデン』を読んでいたという目撃談が2ちゃんねるなどで話題となった。
外部リンク:麻生太郎、コミックを語る


2005年に小泉政権で外務大臣に就任した際には、記者会見で「ライバルはどなただとお考えですか?」と問われて「マスコミかな?」と答えていた(⇒★>http)が、マスコミの攻撃にやられた格好となった。

久米田康治との関連[編集]

さよなら絶望先生 作品中にて[編集]

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さよなら絶望先生』作中では、お気に入りと噂の『ローゼンメイデン』を読む姿で59話に登場、以降義務として描かれている。ただし、読んでいるものはその時により異なる。また、舞台となっている学校の図書館には「麻生文庫」と書かれたコーナーが描かれている。


アニメ版さよなら絶望先生作品中にて[編集]

アニメ版では上田燿司が声を担当した。

じょしらく作品内にて[編集]

  1. 内閣府特命担当大臣の金融担当。各内閣の裁量により様々なポストが設置される内閣府特命担当大臣において、法律により設置が義務付けられた常設ポストの一つとなっている。