ドリームキャスト
ドリームキャスト(DreamCast)[編集]
セガから1998年11月27日に発売された家庭用ゲーム機。
セガの第4世代のゲーム機。
56Kモデムを標準搭載し、ネットワーク対戦機能が標準装備された初のゲーム機である。
概要[編集]
発表から発売[編集]
1998年5月21日に「セガは倒れたままなのか」というキャッチコピーの新聞全面広告を掲載、同日に次世代ゲーム機「ドリームキャスト(DreamCast)」の正式名称とその概要を発表。翌日「11月X日逆襲へ」というコピーの新聞全面広告を掲載した。
1998年6月にドリームキャストのティザーCMを放映開始。CMキャラクターは当時のセガ専務だった湯川英一が起用された。のちにジャニーズJr.の滝沢秀明も加わる。この宣伝戦略は宣伝戦略プロデューサーの秋元康によるもの。[1]
1998年9月に発売日を1週間延期することをし、1998年11月27日に発売。
同時発売タイトルは「バーチャファイター3tb」「ペンペントライアイスロン」「July」「ゴジラ・ジェネレーションズ」の4本。
オリジナルソフトの投入[編集]
セガの人気タイトルとして、「ソニック」シリーズ、「バーチャ」シリーズ、「セガラリー2」「電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム」などを順次投入。
また、アーケード向けに同一アーキテクチャを採用した基板「NAOMI」を導入し、「ハウス・オブ・ザ・デッド2」「ゾンビリベンジ」「クレイジータクシー」「サンバDEアミーゴ」などが稼働、これらのソフトはそれより間を置かずしてドリームキャスト版が発売された。
この基板はサードパーティへ開放しており、「パワーストーン」「カプコン VS. SNK」「ギルティギアX」「ぷよぷよDA!」「デスクリムゾンOX」などのタイトルがアーケードとドリームキャスト版でサードパーティから発売された。
また、オンライン機能を使ったゲームとして「あつまれ!ぐるぐる温泉」「ファンタシースターオンライン」などのネットゲームも登場している。
後発機である故の性能を活かし、プレイステーションでは移植が困難だったカプコン・CPシステム3作品「ジョジョの奇妙な冒険」[2]「ストリートファイターIII」や、「バイオハザード コード:ベロニカ」「魔剣X」「シェンムー 1章 横須賀」「Dの食卓2」といったプレイステーションでは実現できなかった映像を実現したものも登場した。
当時流行していたリズムアクションゲームとして「スペースチャンネル5」や「ぷよぷよDA!」、アーケードからの移植となる「ポップンミュージック」も発売されている。
1999年には音声認識で人面魚を育成する「シーマン」がリリースされ、話題を呼んだ。このソフトがドリームキャストでの最大ヒットタイトルとなっている。
生産終了へ[編集]
1999年末には欧米への出荷が開始されたが、アメリカのゲームメーカー大手、エレクトロニック・アーツが参入しなかったことや「エアフォースデルタ」のセールスが芳しくないことからコナミがドリームキャスト向けソフト開発を縮小した[3]ことからドリームキャストを取り巻く環境は悪化していった。2000年3月4日にはプレイステーションの後継機「プレイステーション2」が発売。NAOMI基板で開発されていた格闘ゲーム「DEAD OR ALIVE 2」がドリームキャストより先にプレイステーション2で発売されるなど、ドリームキャストを軽視するメーカーも増えつつあった。
セガは2000年7月にアーケード、コンシューマの開発スタジオを分社することで両者の垣根を取り払い、開発スタジオ同士の競争を激しくしていった。その結果、「ファンタシースターオンライン」「エターナルアルカディア」などの傑作タイトルが発売された。また、「エターナルアルカディア」では体験版を配布、それをネットワークで課金することで製品版にアップグレードできる“@Barai”版もリリースされた。
しかし、2000年年末にプレイステーション2が欧米でも発売され人気を集めることで、相対的にドリームキャストの人気が凋落していった。
そして、2001年1月31日、セガはドリームキャストの生産終了[4]とセガの家庭用ハードウェア事業の撤退を発表した。
その後も「サクラ大戦3/4」「シェンムーII」などがセガから発売され、「ぷよぷよフィーバー」の発売を以ってセガのドリームキャストソフト発売は終了。サードパーティタイトルはギャルゲーとNAOMI基板からの移植シューティングを中心に2007年3月まで新作が発売された。
久米田康治との関連[編集]
かってに改蔵 作品内にて[編集]
連載初期において高頻度で取り上げられている。