第三席『無情風呂/浅草参り/真田小ZOO』

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第二席『楽屋の富/三塔一両損/風邪娘』第四席『眼鏡小娘/よいよい台場/兎の目』

第三席『無情風呂/浅草参り/真田小ZOO』[編集]

『無情風呂』

『無精風呂』より。

『浅草参り』

『大山詣り』『野崎詣り』『富士詣り』など多数。

『真田小ZOO』

『真田小僧』より。

作品情報[編集]

Aパートは原作『七日目/無情風呂』(加えて部分的に『五日目/娘ほめ』)をアニメ化
Cパートは原作『十二日目/真田小ZOO』をアニメ化

放送日時[編集]

~放送局 ~第三席放送日時 ~URL・備考
MBS 2012/07/19(木) 26:25
TBS 2012/07/20(金) 26:40 ドラマ時間枠拡大により15分遅れ
CBC 2012/07/26(木) 27:05
BS-TBS 2012/07/28(土) 24:30
ANIMAX
(CS放送:ANIMAX HD)
(BS放送:BS ANIMAX)
2012/08/21(火) 22:00/27:00
2012/08/26(日) 25:00

スタッフ[編集]

~脚本 横手美智子
~絵コンテ 池端隆史
~演出 池端隆史
~総作画監督 大木良一
~作画監督 新垣一成
冨岡寛
~作画監督補 直谷たかし
矢向宏志
藤部生馬

OP[編集]

じょしらくOPを参照。

Aパート[編集]

原作通りのネタは、このページには記載していない場合があります。
特に羅列ネタや当時の時事ネタは、原作の方のページに詳しく記載されている場合があります。
下記リンクより併せてご参照ください。

原作『七日目/無情風呂』(加えて部分的に『五日目/娘ほめ』)をアニメ化

苦来が演じている落語[編集]

最後に「おあとがよろしいようで」とは言っていないが、前座の苦来が仲入り前やトリを務めることは無いので、元々必ず言わなければいけないようなものではないこともあって単に言わなかっただけと思われる。

苦来「ねえみんな、バレンタインのチョコ誰にあげる?」
木胡桃「バレンタイン?」
苦来「もうすぐだよね、あとだいたい・・・六ヶ月?」
魔梨威「もうすぐってレベルじゃないだろ!」
[編集]

原作の掲載時期と放送時期とのズレから、時期ズレの整合性をもたせたものに変更されている。

雑誌「Tanako 自分的 蝦*・大*山・仲女黒」[編集]

マガジンハウス発行の雑誌「Hanako」。
ターゲットとなる読者層は、東京近郊の大学を出て首都圏の企業に勤務する20歳代の女性であり、彼女らが憧れる街である恵比寿・代官山・中目黒エリアは頻繁に特集記事が組まれている。

雑誌の裏表紙広告「Destroyed music that pops uselessly」[編集]

丸京「私海老*
木胡桃海老*
手寅海老*
[編集]

原作とは違い「蔵」の部分に象の鳴き声の規制音を被せている。

木胡桃「Sっていうか、王子って言われたり」[編集]

Sは、大正・昭和初期の女学校での同性愛の隠語。「Sister」の略。
王子は、男性的な女生徒に付けられる敬称。宝塚の「王子役」からか。
Sは現代の百合に近い認識なので、男性的なマリーさんへの愛称としては、王子の方が相応しいと思われる。

魔梨威「誰が男の&ruby(こ){娘};だよ!&ruby(じょそこ){女装子};だよ!」[編集]

「男の娘」は男性ながら容姿や仕草が女性に見える人を指す言葉。
「女装子」は女装趣味の男性を指す造語。「男の娘」に合わせ最近では「女装娘」という表記もされる。
原作では、私服姿がなかったため「女装」しているかは不明だったが、アニメでは二席目・三席目でボーイッシュながらも女性むけの服装をしている。
…一席目・四席目の服装はともかく。

徳島県の図[編集]

原作で描かれていたすだちと阿波踊りに加えてうず潮が追加。
鳴門海峡のうず潮は原作三十二日目でネタとして登場している。

丸京「私に魔梨威さんを内股にするいい考えがある。」[編集]

トランスフォーマーの総司令官コンボイの「私にいい考えがある」が元ネタ。(例⇒★>http※06:21頃)
岩浪美和が音響監督を担当するようになってからも、オプティマスプライム(コンボイの原語版名)がこの台詞を口にしている。(参考⇒★>http
このセリフを言うと死亡フラグを呼び寄せることが多い。

丸京「解説しよう」[編集]

アニメ『タイムボカンシリーズ』のナレーション風。

説明しよう

魔梨威を肩車する下の人[編集]

アニメでは魔梨威以外の四人全員の姿が見えるため、覆面落語家が下半身を担当しているのかもしれない。
原作では肩車のページで姿が見えない苦来が下半身担当の可能性が高かった。

魔梨威「セイ・ホー!セイ・ホー!」[編集]

「裁縫」とヒップホップ等での掛け声「SAY HO!」(セイ・ホー!)をかけたダジャレ。MCがこの掛け声を客に呼びかけ、客はこれに「ho!」と応えて場を盛り上げる。
この掛け声の元祖は1970年代のヒップホップ黎明期から活動し、現在もなおカリスマとして多くのリスペクトを集めているグランドマスター・フラッシュ&フューリアス・ファイヴといわれている。

魔梨威「幼稚園の年長さんの時、お遊戯会でせっかく妖精の役になれたのに、当日、熱出して出られなかった、いつもそうなんだよ、いつも運に見放される、私だってやりたかったよ妖精さん」[編集]

誰かの実体験だろうか?

苦来「これは女々しいというよりなんか絡み酒?」
丸京「昔の事をネチネチ言ってはいるけど、新橋あたりのおっさんぽくもあるね」
[編集]

新橋は(NHKとフジテレビを除く)東京のテレビ局最寄のオフィス街のためサラリーマンが多く、居酒屋などの庶民的な飲み屋街もあって夜には酔っ払ったサラリーマンも多い。そのため、“サラリーマンの本音”を聞き出せる場として昼夜問わずにテレビ番組等で庶民の声を求めたインタビューが行われる定番の場所となっている。

魔梨威「私は18世紀パリに住む、フランス衛兵隊長!」[編集]

台詞的に『ベルサイユのばら』のオスカルになりきっているのに、背景の絵は従者のアンドレ(顔にぼかしあり)になっている。
同作は宝塚歌劇団の演目としても有名だが、元々の男性であるアンドレ役は男装の麗人であるオスカル役以上に男らしさを強調した演技が見せ所となる。

苦来「男らしいといえばやっぱり飲む打つ買う?」[編集]

「飲む打つ買う」は原作五日目でネタになった言葉。
ちなみに屋号である三遊亭は「(酒を)飲む」「(博打を)打つ」「(女を)買う」の3つの遊びからなるとされている。

銭湯の湯船につかる木胡桃手寅丸京苦来[編集]

原作では、丸京だけが確認として行っていたが、アニメでは全員で行くように変更されている。

銭湯で滑って転ぶ魔梨威[編集]

原作では、内股でシャンプーしていた際に、足のバネ作用で銭湯の天井にめり込んでいる。

Bパート[編集]

アニメオリジナルパート。

浅草[#k34e74c6][編集]

江戸時代からの歓楽街であり、明治以降は映画・大衆演芸のメッカであった。
北部には有名な花街・吉原がある。
かつては浅草にも多くの寄席が存在していたが、映画の衰退によって浅草に訪れる人が少なくなっていった戦後期に廃業していき、現在は落語の定席としては浅草演芸ホール、色物専門の東洋館(旧浅草フランス座)を残すのみである。
ちなみに彼女達が居る雷門は、東武鉄道及び東京メトロの浅草駅が最寄りであり、浅草演芸ホールはつくばエクスプレスの浅草駅が至近である。両方とも同じ駅名ながら、歩いて10分は掛かるほど離れており注意が必要である。

追記:8月以降には人力車運行、のぼりジャック(六区ブロードウェイ商店街)、浅草花やしきとのコラボ、第2回『女子落語協会一門の生女子トーーーク!』(花やしき座)、【ガールズ落語ラジオ】じょしらじ公開録音(東洋館)など、浅草とじょしらくのコラボが多数企画されている。

雷門[編集]

正式名称は「風雷神門」。
左右に風神と雷神を配置し中央に大提灯を下げた浅草寺の山門で、東京を代表するランドマーク。

なお、本作アニメ放送を記念したコラボ企画として、雷門前では2012年8月8日から9月7日までの間、浅草人力車の小杉屋による「じょしらく人力車」運行と乗車記念団扇プレゼントを実施した。
スターチャイルドHPからの告知⇒☆>http

苦来「今の雷門と大提灯は1960年、松下幸之助が寄進した」[編集]

浅草寺の雷門は江戸時代から存在していたが焼失と再建を繰り返していた。しかし、江戸時代末期の1865年に起きた田原町大火によって焼失してからは再建されず、仮設の門が戦勝記念や博覧会等のイベントに合わせて建てられるだけだった。
松下電器産業(現・パナソニック)の創業者・松下幸之助が病気を患った際に浅草寺へ参拝し、平癒した際に私財を寄進して95年ぶりに雷門が再建された。この際に寄贈された大提灯の下加輪には正面に「松下電器」、裏側に「松下電器産業株式会社 松下幸之助」の文字が刻印されている。

苦来「バリ島のケチャは、ドイツ人が発展させた」[編集]

バリ島に移住したドイツ人画家ヴァルター・シュピースのこと。
バリ島の芸術を欧米へ紹介し、バリ島伝統の宗教・呪術的舞踏「サンヒャン・ドダリ」を観光用の舞踏劇「ケチャ」へと発展させた功績などから、現代バリ芸術の父と称される。

苦来「カンパリソーダの赤は、虫からとっていた」[編集]

カンパリソーダはイタリアのリキュール「カンパリ」をソーダで割ったカクテル。
カンパリは、エンジムシから取れるコチニール(カルミン酸色素)を使用していた。(さよなら絶望放送第72回も参照)
なお、2007年に赤色2号などの着色料に切り替えたたため、現在はエンジムシ由来のコチニールは使用していない。

木胡桃「でも世界から見たら凱旋門じゃないのかな?」[編集]

背景絵に描かれているのはパリのシャルル・ド・ゴール広場にあるエトワール凱旋門。
凱旋門は古代ローマ帝国が戦勝を記念して建設していたもので、近世にはナポレオン・ボナパルトが古代ローマに倣い、1805年にロシア・オーストリア連合軍を破ったアウステルリッツ会戦の戦勝を祝ってエトワール凱旋門を建設させた。ただし、門自体の巨大さもあって完成まで30年を要し、着工が始まった1806年以降も対仏同盟諸国との戦争が続いたため建設事業に集中しきれぬまま1815年にナポレオンは失脚、のち1821年に死去。死後15年が経った1836年[1]に完成した。
なお、パリには同じくアウステルリッツ会戦の戦勝記念としてエトワール凱旋門と同時に着工したカルーゼル凱旋門[2]があり、こちらは1808年に完成しているが、大きさが倍以上違うためエトワール凱旋門が「凱旋門」の代名詞となっている。

丸京「ベルリンのブランデンブルク門もあるな」[編集]

ベルリンに建設された城門の一つで、かつて城塞都市だったベルリンに現存する唯一の城壁・城門でもある。
建設を命じたのはプロイセン王でブランデンブルク選帝侯のフリードリヒ・ヴィルヘルム2世で、1788年に建設が始まり、1791年に完成した。ベルリンからブランデンブルクに通じる道に古代ギリシャ風の門が建てられ、プロイセン王(後にドイツ皇帝)が巡幸する際に必ず通る正門的な位置付けにあった。

門の上にはヴィクトリア像[3]が置かれていたが、ナポレオンのベルリン征服により像がパリへ奪われ、プロイセン含む連合軍のパリ征服で像を取り戻してブランデンブルク門に再び戻ったという経緯があり、ブランデンブルク門はナポレオン戦争の勝利を記念する凱旋門という意味合いも持つようになった。

また、ベルリンが東西に分裂していた時代は、門のすぐ前をベルリンの壁が横切る形となり、1989年の壁崩壊まで門下の通行が不可能な無人地帯と化していた。

ドイツ人「プロージット」[編集]

乾杯する際に用いられるドイツ語の掛け声の一つ。
お祝い事に際して「おめでとう!」「祝います!」という意味で、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートでの「プロージット、ノイヤール!」という掛け声が有名。
ドイツ語では他に乾杯の掛け声として「プロースト」「トリンケン」「ツム・ヴォール」などがある。

田中芳樹の小説及びアニメ『銀河英雄伝説』では、銀河帝国軍の出陣の際の習慣として「プロージット!」と唱和してワインを飲み干しグラスを床に叩きつける行為が行われる。このためドイツの乾杯として「プロージット」の掛け声が思い浮かべやすいのかもしれない。

木胡桃「それはきっとアレよ、運動会の入場門、退場門みたいな」
入場門「第55回 第三小学校運動会」
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学校行事としての日本の運動会(もしくは体育祭)のスタイルは独特のものといわれる。
日本の運動会の起源といわれる海軍兵学校の運動会(競闘遊戯会)は英国人の指導により1874年に実施され、1883年からは東京大学でも定例行事として行われ、文部省も集団訓練の重要性を見出して各学校に開催を広めるようになった。
後に運動会が自由民権運動の宣伝活動としてのデモ行進の場として利用されたり、富国強兵政策の影響もあって一般の中等以上の学校でも軍事教練が行われるようになったり、第二次大戦中にはより軍事色の強い運動会になったこともあり、現在も組織的規律を反映させた入退場行進を行うのはそうした歴史の名残ともいえる。

運動会のBGM[編集]

ドイツ軍の行進曲「旧友」。(動画⇒★>http
運動会で用いられるBGMの定番曲の一つとなっている。

看板「10番」[編集]

雷門前での手寅の立ち位置からおそらく「110番」。
雷門向かって右手側に交番がある。

五人が写っている写真[編集]

魔梨威は目を閉じており、苦来は暗い表情をしている。

看板「恒例 楊枝浄水加持及味供養會執行 雷山」[編集]

6月18日に浅草寺で行われる年中行事の「&ruby(ようじじょうすいかじえ){楊枝浄水加持会};」と「&ruby(ひゃくみくようえ){百味供養会};」。(浅草寺公式サイト⇒★>http

五人が浴びている煙[編集]

焚かれている香の煙を浴びる行為は、当該シーンの手寅魔梨威の会話参照。

苦来マリーさんはバツが悪そうにこっちを見ている」[編集]

ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズ(V以降)で、モンスターが仲間になる際に表示されるメッセージより。

◯◯は なかまに なりたそうに こちらをみている!

「&ruby(しんばし){志ん橋};」の大提灯[編集]

新橋組合という新橋に住む信徒によって奉納されている。
ちなみに古今亭志ん朝門下に、同じ字を持つ古今亭&ruby(しんきょう){志ん橋};が居るがこの提灯とは関係が無い。

丸京「そういえば『せんそうじ』?『あさくさでら』?どっちが正解?」
苦来「『せんそうじ』」
木胡桃「駅は『あさくさ』なのにややこしくない?」
[編集]

土地の名前としては「あさくさ」だが、苦来後述しているようにお寺を音読みする慣例から「せんそうじ」と読んでいる。(浅草寺公式サイト⇒★>http

手寅「『かみなりもん』だしね、『らいもん』じゃなくて」
魔梨威「音読みか訓読みかどっちかに統一しろよな」
[編集]

いわゆる&ruby(ゆとう){湯桶};読み。
日本語の熟語は音読みか訓読みのどちらかに揃えて読むことが基本となっているが、慣用的な読みとして音訓混在の読み方をする熟語も少なくない。訓読み+音読みのものを「湯桶読み」、音読み+訓読みのものを「重箱読み」という。

苦来「お寺はだいたい音読みなんだって」[編集]

お寺は音読み、神社は訓読みというのが多い。
ただし例外もあり、京都の&ruby(きよみずでら){清水寺};、奈良や鎌倉などにある&ruby(はせでら){長谷寺};、滋賀にある&ruby(いしやまでら){石山寺};が訓読みするお寺として知られる。

木胡桃「『あきはばら』と『あきばはら』もややこしいよね」
手寅「昔の呼び名が『あきばはら』だったんだよね」
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1870年(明治3年[4])に現在のJR秋葉原駅構内の地に勧請された「鎮火社」を、江戸時代に&ruby(ひぶせ){火防};の神として広く信仰を集めていた神仏混淆の&ruby(あきはだいごんげん){秋葉大権現};が勧請されたものと誤解した人々が下町訛りで「&ruby(あきばさま){秋葉様};」「&ruby(あきば){秋葉};さん」と呼び、火災時には緩衝地帯となるよう空き地とされていた社域を「&ruby(あきばのはら){秋葉の原};」「&ruby(あきばっぱら){秋葉っ原};」と呼んだのが由来。
明治時代の中期には「&ruby(あきばがはら){秋葉が原};」の地名も定着していたが、鉄道駅の開設以降[5]、現在の「あきはばら」の名が定着した。一説には「あきはばら」の読みは秋葉原駅の駅名をつける際、秋葉原の読み方を知らない鉄道官僚が勘違いして付けたとも、読み方を知りながら下町訛りを是正するために変更したともいわれる。

秋葉原駅の外観は電気街口・旧ラジオ会館側のもの。ただし、JRの表記はない。

苦来「吉祥寺もちょっと複雑。寺をとれば『きっしょう』なのに、寺がついたとたん『きちじょうじ』」[編集]

「吉祥」は仏教用語であり、別表記の「吉上」を含めて本来は呉音で「きちじょう」と読まれる。[6]
ただし、奈良時代以降は漢音が奨励されたこともあって「きつしょう(きっしょう)」の発音も定着し、現在では双方の読みが混在している。


背景はJR東日本中央線快速の吉祥寺駅上りホームの行き先表示板。


「吉祥寺」の名の由来は本郷元町(現在の文京区本郷)にあったお寺の吉祥寺(山号は諏訪山)から。1657年(明暦3年)に起きた明暦の大火(振袖火事)により本郷・小石川一帯が焼失したため、諏訪山吉祥寺の門前町の住民が武蔵野台地の五日市街道沿い(現在の武蔵野市)に移住して開墾し、かつて住んでいた場所から「吉祥寺」と名付けられた。
ちなみに、諏訪山吉祥寺も明暦の大火で焼失したため、現在の所在地である本駒込に移転している。

苦来「国分寺も寺がなければ『こくぶ』なのに、寺がついたら『こくぶんじ』」[編集]

背景はJR東日本中央線快速の国分寺駅下りホームの行き先表示板。


「国分寺」は聖武天皇が各国に建立を命じた寺のこと。741年(天平13年)に国分寺建立の詔が出され、各国には国分寺と国分尼寺が一つずつ、国府区域内か周辺に置かれた。律令体制が弛緩し、官による財政支持がなくなると、国分寺・国分尼寺の多くは廃れたが後世に法華宗などによって再興されて現存する寺院も多い。また国分寺の所在地だった場所には、現在でも「国分寺」「国分」「法花寺」「法華寺」[7]などの地名として残っている。
東京の国分寺も、律令時代に武蔵国に置かれた国分寺の所在地だったことが由来。なお、武蔵国の国分寺は国府[8]より北に約2kmの位置に置かれていた。


但し、「国分」だけでも「こくぶん」と読むこともある(例:千葉県市川市国分、宮城県仙台市青葉区国分町)。

苦来「大凶」
木胡桃「そんなのあるんだ!」
[編集]

大凶の出るおみくじも場所によってはあるが、浅草寺のおみくじは大吉、吉、半吉、小吉、末小吉、末吉、凶の7種で大凶はない。

じょしらくに出演している人ではないが、某声優さんが2年連続で新年に「凶」絡みのおみくじを引きTwitter上で嘆いていたと言う珍事も実際に起きている(どこのおみくじかは不明)。この時2年目に引いたくじの方が「大凶」だった。

大草鞋「奉納 山形県村山市奉賛会」[編集]

宝蔵門(仁王門)の大草鞋は、山形県村山市の有志により約10年ごとに奉納されており、現在は7代目。(浅草寺公式サイト⇒★>http

手寅「浅草寺のおみくじは、凶が多いことで有名らしいから」[編集]

浅草寺のおみくじは室町時代に広まった「&ruby(がんざんだいしひゃくせん){元三大師百籤};」を元にした「浅草寺観音籤」。吉七凶三(吉系が7割、凶が3割)という古来の配分を変えていないため、凶のおみくじを減らしている他の寺社と比べて凶が出易いといわれる。

魔梨威「人を嫌な気持ちにさせて間違ってないか!?」
手寅「そうじゃなくて、間違いを起こす前に注意してくれればいいなってことじゃないの?」
[編集]

浅草寺のホームページより。(⇒★>http

凶が出た人もおそれることなく、
辛抱強さをもって誠実に過ごすことで、吉に転じます。
凶の出た人は観音さまのご加護を願い、
境内の指定場所にこの観音百籤を結んで、ご縁つなぎをしてください。

丸京「そうなんだよ!こいつは昔っからそういうヤツだよ!やたら運が強いんだ!」[編集]

原作十二日目及び今話Cパートより。

魔梨威木胡桃手寅丸京苦来「かんぱーい!」[編集]

木胡桃だけオレンジジュースで、残りの四人ははビール(もしくは下記の通りの名前からホッピー)。
原作二十一日目通り、木胡桃は未成年な模様。
ただし落語家社会において飲酒ができるのは二つ目の魔梨威丸京だけで、前座である木胡桃手寅苦来の飲酒は、たとえプライベートであっても本来は許されない。

看板「ホッピー お酒 ビール デンキブラン」[編集]

ホッピー

ビール風の清涼飲料水(アルコール1%未満)。焼酎割りで飲まれることが多い。
主に首都圏(特に東京の下町)で流通しており、浅草には通称「ホッピー通り」と呼ばれる飲み屋街がある。

デンキブラン

浅草にある神谷バー発祥のカクテル。
神谷バーではアルコール度数30度のものを「デンキブラン」、40度のものを「電氣ブラン<オールド>」としている。(⇒★>http
さよなら絶望先生171話でネタにされている。
また、神谷バーはさよなら絶望放送第154回でも登場している。

看板「居酒屋 安」[編集]

安居酒屋とヤス先生をかけているのだろうか。

看板「こんちゃん」[編集]

店員「へい、もつ煮ともろきゅうお待ち」[編集]

浅草寺の西には「ホッピー通り」もしくは「牛すじ通り」と呼ばれる飲み屋街があるなど、浅草でお酒を飲む際には牛すじともつの煮込みが定番の一つ。
ただし、五人が飲食している店からアサヒスーパードライホールが見える(雷門から東に向かい吾妻橋を渡った先にアサヒビール本社がある)ため、ホッピー通りとは逆方向に向かったと思われる。

魔梨威「御本尊様!どうか私に運をお授け下さい!」
手寅「そんな運を授けるなんて、あっ?」
金色のモニュメント
手寅「あ、でもくっついた、みたいな?」
[編集]

上部のモニュメントから「うんこビル」と通称されてしまう、アサヒビール本社に隣接するスーパードライホール。
さよなら絶望先生189話の解説も参照。

Cパート[編集]

原作通りのネタは、このページには記載していない場合があります。
特に羅列ネタや当時の時事ネタは、原作の方のページに詳しく記載されている場合があります。
下記リンクより併せてご参照ください。

Cパートは原作『十二日目/真田小ZOO』をアニメ化

魔梨威「あべし!」[編集]

原作・武論尊、作画・原哲夫の漫画及びアニメ『北斗の拳』に登場する断末魔の一つ。
「ひでぶ[9]」「たわば」と並ぶ、北斗の拳を象徴する断末魔の悲鳴である。

丸京「以前より成長している、スキがなくなった」[編集]

原作通りの台詞。
しかし、第四席で放送予定の原作十一日目での殴り合いを踏まえての台詞のため、時系列が入れ替わっている。

追記:これを受けて、第四席では該当部分に台詞が追加された。

丸京「こいつは昔からこうだった」[編集]

原作では、二人の小学校時代の回想しかないが、アニメでは中学校時代と高校時代の回想が追加されている。

手寅丸京達「雪やこんこ、霰やこんこ、降っ」[編集]

童謡「雪」の歌詞より。

雪やこんこ 霰やこんこ。
降つては降つては ずんずん積る。

手寅丸京が着ている制服[編集]

J.C.STAFF制作のアニメ『あの夏で待ってる』の舞台となる小諸学園の制服(リボンカラーから3年生)風。
『あの夏で待ってる』のキャラクターデザインは本作と同じ田中将賀が担当している。

鉄道[編集]

国鉄113系もしくは115系電車[10]。車両塗色はJR西日本広島支社の広島更新色。体質改善30N工事と言われる更新工事が施工された編成がベースで、屋根上の機材の位置、窓割り[11]まで完全再現。

ホームから発車するシーンは、上記『あの夏で待ってる』第3話でしなの鉄道[12]115系電車がホームに入ってくるシーンに似ている。

制作スタジオにあった資料を流用したものと思われる。

追記第十三席でも、しなの鉄道115系がNゲージとして登場している。

駅のホームの掲示板[編集]

アナウンス「ただいま、信号機の故障のため運行を一時見合わせております」[編集]

大入袋[編集]

原作三十四日目参照。
古くは「5円」と「御縁」をかけて5円玉1枚を入れることが多かったが、現在は50円玉、もしくは100円玉が主流。奮発すると500円や、稀に5000円ということもあるが、どちらにしろ平均的な大入袋の中身からすれば高額であり、札か硬貨かを抜きにしても500円入っていただけで当たりなのかもしれない。

手寅が持っている五百円紙幣[編集]

五百円紙幣B号券。肖像は岩倉具視。

大工[編集]

原作よりも『大工の源さん』の田村源三に似せており、なおかつ目線消しを入れている。

写真内のテレビ画面「10」[編集]

テレビ朝日系列(関東圏のアナログ放送で10ch)のクイズ番組『アタック25』[13]か?

下の答えを表示する余白とポーズ的に「コロンビア」ネタ(2006年10月1日放送分)かもしれない。
「コロンビア」と答えた回答者の大学生(男性)は、その答えで優勝を決めガッツポーズとドヤ顔を見せたが、mixiにて予選時のカンニングを告白しており、本戦での誤答率の高さもあって不正疑惑が取り沙汰された。そのため、インターネット上で正解した瞬間の画像が拡散し、AAにされるなどネタ化した。

魔梨威「地デジカもアナログマも、御役御免になってんだよ」[編集]

地デジカは地上デジタル放送完全移行キャンペーンの公式キャラクター。
2009年4月、偶然にも後述する草彅剛の現行犯逮捕騒動の直後にデビューした。(さよなら絶望先生180話の解説も参照)

アナログマ(アナロ熊)は2ちゃんねるのクマーのアスキーアートにアンテナを付けた非公認マスコット。
地デジカの二次創作に関して、権利所有者の民放連が否定的な発言をしたことから「※著作権はありません」と注釈がつく。

2012年3月31日[14]の地上デジタル放送完全移行とともに両者ともにお役御免となった。
民放連の公式サイトにあった地デジカの公式ホームページは削除されている。
また、アナログマは2011年7月24日、秋葉原のあるガジェット系ショップで告別式が行われた。

双方のキャラクターとも『さよなら絶望先生』『さよなら絶望放送』『じょしらく』など久米田作品関連で頻出のネタとなっている。

丸京「地デジの方は黄色い水着着たり脱いだり大変だった」
苦来「脱いだのは別でしょ」
[編集]

草彅剛#全裸わいせつ事件の項目参照。

なお、地デジカの黄色の服はスクール水着やレオタードに見えるが、公式にはどちらも否定されている。(⇒★>http

苦来手寅ちゃんの後ろのキグちゃんの後ろのガンちゃんが動いた、同じ動きをしないと」[編集]

原作では苦来丸京のことを「ガンちゃん」ではなく「丸京ちゃん」と呼んでいる。

三浦プロデューサー[編集]

三浦 敏広
1970年生まれ。M大学卒業。
辣腕で知られる大プロデューサー
これまで世に送り出したヒット曲は
「OH、女神様」「LOVEやん」「進め!進撃の巨人」
などがある。

実際の三浦氏の名前からは「宏」から「広」に一文字変えてある。
「世に送り出したヒット曲」の元ネタは全て講談社系の漫画だが、実在の三浦氏がこれらの作品を担当したことはない。

OH、女神様

講談社の月刊アフタヌーンで連載中の『ああっ女神さまっ』。

LOVEやん

同じく月刊アフタヌーンで連載中の『ラブやん』。

進め!進撃の巨人

別冊少年マガジンで連載中の『進撃の巨人』。
日本テレビ系列のバラエティ番組『進め!電波少年』との捩り。
日本テレビの土屋敏男プロデューサーを意識している模様。

看板「特二式内火亭 加巳」[編集]

大日本帝国海軍の陸戦隊に配備された水陸両用戦車「特二式内火艇 カミ」。

ちなみに、同様の兵器として「特三式内火艇 カチ」「特四式内火艇 カツ」が生産されている。また、「特五式内火艇 トク」が開発中に終戦を迎えている。

看板「放籠亭 鯛夢」[編集]

けいおん!』の劇中バンド「放課後ティータイム」。
Webラジオ『じょしらじ一日目のメール投稿者とネタが被った模様。

追記じょしらじ二日目にてペンネームの原作・アニメへのフィードバックについて語られており、ラジオの一日目・二日目の収録日の関係からラジオよりポロロッカされた可能性もある。

看板「空亭 舞台」[編集]

空挺部隊。

ダンス寄席[編集]

実際の落語と舞踊は縁が近く、昔は高座の余興でかっぽれなどの踊りを披露する噺家も少なからずおり、喜劇役者としても活躍した八代目雷門助六や関東落語四天王のひとりにも数えられた三代目古今亭志ん朝などは踊りの上手さでも知られていたという。
近年ではブレイクダンスを嗜む柳家花緑(五代目柳家小さんの孫、実兄の小林十市は元バレエダンサーの振付師)のような噺家も実在したりする。

手寅「外国産のスイカなんだけど、安かったから!今包丁借りてくるね」[編集]

原作では金属バットを使ったスイカ割りと言う名の激しいスイカ争奪戦っぽく描かれているが、アニメではこの台詞の変更により、下記のスイカの爆発ネタになっている。
冒頭の部屋がめちゃくちゃに荒れているシーンはそのままなので、スイカの爆発の破壊力が火薬を使った本物の爆弾並みということになる。

爆発するスイカ[編集]

原作が掲載された翌年に起きた、中国のスイカ農園でスイカが次々に爆発した事件から。
後にスイカ爆発の原因は「膨張促進・甘味増強剤」を使ったことによるものだと判明した。

ED[編集]

じょしらくEDを参照。

予告[編集]

かゆいところ[編集]

Aパートの送られてきたチョコの山[編集]

上記の時期ズレにより、アニメではバレンタインデーは六ヶ月後ということになっているにもかかわらず、魔梨威に山ほどのチョコが送られてくるという矛盾が発生している。

Cパートの丸京のメガネ[編集]

原作では、壁に潰されてメガネにひびが入ったためその後のシーンから別の丸メガネをかけているが、アニメでは変わっていない。


第三席『無情風呂/浅草参り/真田小ZOO』
第二席『楽屋の富/三塔一両損/風邪娘』第四席『眼鏡小娘/よいよい台場/兎の目』

  1. ちなみに、死去から約20年後に遺体がイギリス領セント・ヘレナ島よりパリへ返還された際に、よやく凱旋門をくぐることができた。
  2. 二つの凱旋門は「歴史軸」もしくは「王の道」と呼ばれる一直線上に存在する。
  3. ローマ神話の勝利の女神。ギリシャ神話ではニケと呼ばれる。
  4. 1870年2月から1871年2月中旬。明治5年までは旧暦(太陰太陽暦)のため西暦とは差がある。
  5. 1890年(明治21年)の貨物駅の開設時は「あきはのはら」と読んでいた。旅客駅となったのは1925年(大正14年)より。
  6. 国語辞典においても「吉祥」の項目は「きちじょう」とルビが振られ、「きっしょう」は別読みとされていることが多い。
  7. 「法花寺」「法華寺」は国分尼寺の別名。
  8. 現在の府中が国府の置かれていた場所で、府中の名にその名残がある。
  9. 原作担当の武論尊の解釈から誤植説が有名だが、作画担当の原哲夫により否定されている。さよなら絶望先生187話も参照。
  10. 両形式とも設計時期がほぼ同じのため基本的な外装や窓割りは位置に大きな相違点は無く、なおかつ同じ塗色(一例として、広島更新色や瀬戸内色など)をしていることもあるので、車号を見ないと区別がつきにくい。
  11. 113・115系更新車は30Nの場合、主に車両の内部を改装しているので、未更新車との外観の相違点は屋根上ベンチレータ(通風口)の有無と、戸袋窓の縮小程度であり比較的少ない。
  12. しなの鉄道には169系と115系がJRより譲渡されている。車両のドアの数を見るに『あの夏』『じょしらく』ともに115系が描かれている。
  13. 番組の制作はANNの準キー局である朝日放送(ABC)が担当。
  14. 東日本大震災により、東北3県の地上アナログ放送がこの日に終了。それ以外の地域は2011年7月24日に終了している。